研究者インタビュー

日本人は江戸時代から旅行好きだった

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宮城学院女子大学 学芸学部 教授
高橋 陽一 先生

現代につながる江戸時代の旅

 旅の記録を読むと、たとえそれが遠い過去のものであっても、旅路を歩む人々の生き生きとした姿が浮かび上がってきます。意外に思われるかもしれませんが、旅が現代のように大衆化したのは江戸時代(1603~1867)のことです。身分・階層・性別を問わず多くの人が旅に出かけていました。遠方への移動には往来手形などの許可証が必要でしたが、寺社参詣(さんけい)や温泉への旅は、届け出をすると多くが許可されていたのです。代表的な旅先である伊勢神宮(現三重県伊勢市)には、最盛期に年間約500万人が訪れたと言われています。江戸時代の日本の人口は3000万人足らずですから、これは驚異的な数字です。

 1690年から2年間日本に滞在したドイツ人ケンペルや、1775年から1年間滞在したスウェーデン人ツンベルクは、街道には毎日信じられないほどの人がいる、有名な寺社にはあらゆる地方から参詣の旅が行われている、日本人は旅行好きだなどと、驚きをもって記しています。世界史的にみても、旅の大衆化は当時の日本の特徴の1つと言えそうです。

 江戸時代の人氣の旅先は寺社、温泉、名所旧跡、景勝地、都市です。レジャー施設がないことを除けば、今とそれほど変わりません。ただし、交通手段は基本的に徒歩で、東北から関西への旅は2~3か月にも及びました。時には行き倒れてしまうリスクを覚悟しての旅路ですから、その目的には、観光のみならず信仰的な要素が多く含まれていました。自分の足でお伊勢参りや富士山参詣を果たした人々の感慨はどれほどだったでしょう。これらの有名な旅先の混雑ぶりはすさまじく、現代と同じオーバーツーリズムの問題も起きていました。

 江戸時代の温泉は医療目的で利用されていました。入湯客は数週間温泉に滞在し、療養しますが、食事は自炊で賄いますので、現地では食材や物品調達のために金銭消費を活発に行います。こうした経済的価値に着目した人々は、温泉を地域の活性化に利用していきます。1780年代の天明飢饉で疲弊した地域経済を立て直すため、秋保温泉の収益を村で共有していった湯元村(現仙台市太白区)の事例は、その典型です。現代につながる秋保温泉の観光地化の起点は、江戸時代にあります。

研究の旅

 私の専門は江戸時代史で、とくに旅行史に関心を持っています。実家がある奈良県橿原(かしはら)市は、710年に平城京へ移るまで、都の藤原京が置かれていたところです。近々世界遺産に登録されるそうですが、その遺跡や古墳は子どもの頃から身近な存在でした。親とNHKの大河ドラマをみるのも楽しみで、10歳頃に「独眼竜政宗」をみていた記憶があります。氣づけば、歴史が好きになっていました。

 大学の授業で驚いたのは、日本史の講義内容が高校までとまったく違っていたことです。私は江戸時代に暗いイメージを持っていたのですが、それは高校の教科書に、重税と圧政に苦しむ民衆の姿やその抵抗が取り上げられていたからです。実際、私が大学に入る少し前までの江戸時代史研究の中心的な課題は、民衆に対する幕府や藩の支配体制や、封建(ほうけん)制下の階級闘争でした。言葉の意味がよくわかりませんよね。

 ところが、大学では先生方が当時の人々の活氣に満ちた日常生活を語っていたのです。また、新たな史料の解釈が進み、領民を思って政務にいそしんでいた領主や、安定した身分制社会の継続を願っていた庶民の存在も明らかになっていました。そして、「古文書(こもんじょ)学」の授業では、昔の日本語であるくずし字の解読にはまりました。通説にとらわれず、自ら史料を読んで考えていく。そんな歴史学と出会い、「大学院に進学して勉強を続けよう」と考えるようになりました。

 卒業論文のテーマを考えていた時、思いがふと、仙台から奈良への帰省旅行に及びました。昔の人びとはどこへ、どのように移動していたのだろう、と。そこで調べてみると、なんと江戸時代から、東北の人々が伊勢神宮や奈良・京都方面に旅に出かけているではありませんか。しかも、それは特別な家柄の人だけではありません。旅費を積み立てる「講」という組織を作るなどして、庶民も盛んに旅をしていたのです。

 当時の旅行者が著した旅日記には、知識人による「紀行文」と庶民による「道中日記」の2種類があります。紀行文で有名なのは松尾芭蕉の「おくのほそ道」で、芸術性の高い作品でもあります。一方の道中日記は旅の日程、経路、宿泊先、費用といった客観的情報を記した日記で、当時の旅の実態を具体的に知ることができます。

 実は、東北地方には、江戸時代の道中日記がたくさん残されています。江戸をはじめ関東から出立した道中日記については、すでに分析が進んでいましたが、東北から出立した道中日記については、ほとんど手付かずの状況でした。

 道中日記が解読され、収載されていたのは、『~市史』『~町史』といったタイトルの自治体史です。東北各地の自治体史は、私にとって研究史料の宝庫でした。大学4年生の時、私は東北各県の図書館を訪ね、県史や市町村史を調べて回りました。

 先行研究が少ないことはオリジナリティを発揮する上ではプラスですが、ターゲットとなる議論がないため、かえって調査や立論が難しいというマイナス面もあります。卒業論文で旅行者側を扱った後、修士論文・博士論文で旅先の地域側として温泉を取り上げ、時間をかけて江戸時代の旅の全体像に迫っていく中で、自分が「旅行史」という分野を開拓し、主要な研究テーマに据えているという意識を持つようになりました。

 旅の研究は、社会学、人類学、観光学などで盛んに行われています。寺社参詣については宗教学や民俗学で、紀行文については文学で取り上げられてきました。しかし、歴史学では、参詣史を除き、旅は体系的に取り上げられていませんでした。2001年の卒業論文執筆にはじまり、大学院時代に旅行史を意識するようになり、足かけ15年を経て、2016年に『近世旅行史の研究』という本に研究成果をまとめることができました。

歴史を探究する楽しみをぜひ

 講演や講座で話をすると、市民の皆様がいつも熱心に耳を傾けてくださいます。宮城県には歴史好きな方が多いなと感じます。ただ、人の話を聞いたり、本を読んだり、博物館の展示をみたりするだけでなく、一歩踏み出してご自身で歴史を探究してみると、良い意味でその深みにはまるはずです。

 たとえば、古文書を読んでみてはいかがでしょう。くずし字を読むことは簡単ではありませんが、それだけに読めるようになったときの喜びはひとしおです。学生時代の私がまさにそうでした。「何を読んだらいいか分からない」という方には、私の研究史料である道中日記をお勧めしておきましょう。私自身も市民の皆様と古文書を読む活動を続けていますが、読みやすい上に当時の旅の氣分にひたれる道中日記はとても好評です。

 また、宮城学院女子大学では、5年前から学生たちが古文書を保全する「桜ヶ丘古文書プロジェクト」に取り組んでいます。これまで、仙台市内の老舗の温泉旅館や登米市の神社の古文書をクリーニングし、写真を撮り、内容を読み取ってきました。実際の古文書に触れて歴史を体感するだけでなく、地域の歴史を後世へ伝えていくという意義の大きな活動です。若い世代の方々にもぜひ活動に参加していただきたいです。

 現代の若者の中には、マンガ・アニメ・ゲームなどを入口に、熱心な歴史ファンになる方が少なくありません。そんな皆様にもっと宮城の歴史に関心を持ってもらおうと、2026年に『みやぎの地域史をひらく―観光と探究のガイド―』という本を作りました。案内役はアニメ風のキャラクターで、短く読みやすい13編の文章からなっています。私は最初の「仙台城下を巡る―現代と江戸時代の仙台観光―」などを担当しました。ぜひ「推し」の地域、テーマを発見し、参考文献を頼りに探究を深めてください。もちろん若者を卒業した皆様にも、本書は大いに楽しんでいただけるはずです。慌ただしい日常の合間に、ほんの少し郷土の過去に思いを馳せる、そんなタイムトラベル氣分をぜひ味わってください。

(取材=2026年6月22日/宮城学院女子大学 人文館5階 高橋陽一研究室にて)

研究者プロフィール

宮城学院女子大学 学芸学部 教授
専門=歴史学(江戸時代史・旅行史)・歴史資料保全学
高橋 陽一 先生

《プロフィール》(たかはし よういち)1977年生まれ。奈良県出身。東北大学文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。岩沼市史編纂室市史編纂専門員、東北大学東北アジア研究センター助教などを経て、2019年、宮城学院女子大学一般教育部に准教授として着任(翌年より学芸学部)。2024年より現職。著書に『近世旅行史の研究-信仰・観光の旅と旅先地域・温泉―』、『湯けむり復興計画 江戸時代の飢饉を乗り越える』、編著書に『みやぎの地域史をひらく-観光と探究のガイド―』、『古文書がつなぐ人と地域-これからの歴史資料保全活動―』など。

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