東北大学大学院 文学研究科/統合日本学研究センター 准教授

沖縄に魂を落としてしまった
「観光」や「移動」をテーマに、文化人類学・民俗学の方法を用いて研究しています。これらの学問では、現地調査を意味する「フィールドワーク」が欠かせません。特に文化人類学では、研究対象の社会や集団に加わって、ときに1年も2年もその土地で生活しながら観察する「参与観察」が行われます。というわけで私も長期・短期の旅を重ねてきましたが、仕事であって、特に旅好きというわけではありません(笑)。
私の主な研究対象の一つがお墓です。お墓、遺骨、仏壇、位牌など形があるものから、葬送儀礼、その継承までを幅広く調査・研究してきました。お墓には子どもの頃から関心があって、私には男のきょうだいがいないため、小さい時から父方の祖父母に「婿養子を迎えてお墓を守ってほしい」と言われていたのです。また小学生の時には、母方の祖母の墓の前に親族が集まり、飲食を共にする「死者正月」を経験しました。実家のある愛媛では夜に行うことが多く、強く印象に残っています。
大学では考古学を専攻して、古代のお墓である古墳を発掘するつもりでした。しかし入学後、文化人類学に出会って方向転換します。古代ではなく現代の葬送が対象であれば、実際に儀礼を見て研究できることに惹かれたのです。
3年生の夏休みには、いよいよ単独でのフィールドワークに挑戦です。母に相談すると「友人の実家がある瀬戸内海の島では、二晩にわたって盆踊りをするそうだ」と教えてくれました。過疎化の進む小さな島ですが、出身者が家族を伴って帰省するため、島の人によれば参加者は300人から500人にもなるそうです。連夜にわたって深夜まで踊り尽くすその盛り上がりは、想像をはるかに超えていました。盆踊りには本来、死者との交流の意味があります。この島では1年以内に亡くなった方の遺族が、その方の戒名を記したのぼり旗のようなものを掲げて踊っていました。会場は実に賑やかで、島外から多くの人が集まって交流するという意味で、「観光行事」にもなっていたのです。
卒業研究では、まさに観光行事化した神事を取り上げました。京都の祇園祭です。勉強が楽しくなって大学院に進学しましたが、2年間の修士課程を終えたら就職するつもりでした。しかし「大きくて面白そう」という単純な理由で沖縄のお墓を研究対象にしたことが、私のその後を決定します。夏に1ヶ月間、本島から南の小さな島々までを巡るうちに、現地の言い方をすれば「驚きのあまり魂を落としてきてしまった」のです。
慰霊の旅・歴史を学ぶ旅も「観光」
沖縄の言葉で魂は「マブイ」と言い、マブイを落としたら早く取り戻さないと、病氣や不運に見舞われるとされています。旧暦のお盆に行われる民俗行事を見て回った私は、広島の大学に戻っても「また行かなければ」とまったく落ち着きませんでした。例えば石垣島では、亡くなった祖父母の面をつけた遺族が、家々を回って踊りを披露します。死者になりきってあの世の様子を語ったりして、これが実にコミカルなのです。いずれも仏事が基本となってはいますが、沖縄、そしてその島や集落ならではの個性があって、すっかり魅了されてしまいました。
博士後期課程に進み、2年目の夏からは1年間、那覇で暮らしました。与那国島でお世話になった方にその家のお墓を研究したいとお願いしたところ、「うちは近々本島に引っ越すから、よその家か、本島の歴史ある家にした方がいいよ」と言われて考えたのです。腰を据えて研究するテーマとして、今まで誰も取り上げていない「お墓の引っ越し」はどうだろう、と。
その方はすでに那覇に移住し、家を建てていましたが、のちに仏壇と位牌を移し、ついにはお墓を作って、そこに先祖代々のお骨を納めました。小さな島を出て本島や内地に移住する方は多く、那覇に1年間いたことで、そうした方々との信頼関係を築くことができたのです。その後も「いよいよお墓を引っ越す」という連絡をいただくたびに沖縄に出かけ、一連の儀礼を見せていただいたりお話を聞いたりして研究を深めました。最短で3年とされる博士論文に私は7年半をかけましたが、長期に及ぶフィールドワークが必須の文化人類学では、実はこれでも早い方です。
沖縄に通ううちに、新たな研究テーマにも出会いました。沖縄は国内屈指の観光地ですが、亜熱帯ならではの海のレジャーや、琉球王国時代の文化遺産だけが観光資源ではありません。「観光」という言葉は娯楽のイメージが強いのですが、ツーリズムの日本語訳であって、本来は「行って帰ること」、つまり移動の意味合いが強いのです。第二次大戦末期に3ヶ月以上続いた地上戦の跡を訪ねたり、その後27年に及んだ米国による統治の影響を考えるといった、慰霊の旅、歴史を学ぶ旅もまた「観光」なのです。首里城の地下に構築された旧海軍司令部壕のように、近年になって文化財指定された戦跡もあって、その公開が待たれます。
沖縄で観光の歴史や現地の方々の意識を調査する中で、私は多くの氣づきを得ることができました。たとえば戦後まもなく各地の集落で人々が建立した慰霊碑は、最初は納骨施設でもあったことから、沖縄県民にとっては今でもお墓と同じように大切な存在なのです。
東北でも高まる「学ぶ旅」の重要性
沖縄と台湾の関係、特に人的交流の歴史を調べた際も驚きました。沖縄の西端にある与那国島からは台湾が近く、肉眼で見えることもあるそうです。沖縄も台湾も、ともに隣接する大国・強国の影響を受け、貿易の中継点として栄えるなどした一方で、その圧力に苦しんできました。
沖縄は明治初期に王国としての独立を失い、琉球藩、沖縄県とされます。そして第二次大戦後は、米国によって「琉球政府」が置かれました。一方の台湾は1683年からは清の領土に、1895年(明治28)からは日本の領土になり、第二次大戦後には大陸から逃れてきた中華民国政府が統治します。したがって沖縄と台湾は、1945年までの約50年間は「同じ日本」だったのです。与那国などの小さな島の人にとって、台湾は広く、人口も多く、都市も発達した「すぐ近くの日本」でした。高校に進学したり仕事を求めるなどして、多くの人が渡ったそうです。
戦後はかつて台湾で暮らした沖縄の人々が、外国となった懐かしの地を旅行しました。そして今は台湾から、豪華なクルーズ船に乗って多くの観光客が沖縄を訪れます。台湾の人々は、沖縄ならではの観光地を巡るだけでなく、日本製品のショッピングも楽しみ、米国風のリゾート地も満喫しているそうです。たとえば地域振興や経済効果を期待して旅や観光について考える際も、私たちは単純な思い込みから離れて、こうした歴史や実態にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
私はお墓に加えて現代アートも大好きなのですが、実は私にとってこの二つは、「新鮮な驚きを与えてくれるもの」という意味でつながっています。そして現代アートと旅の関係も、私の研究対象です。
美術館だけでなく屋外にも多くの現代アートを設置するアートプロジェクトは、2010年から3年ごとに開かれている瀬戸内国際芸術祭の成功を機に、今では各地に広まっています。宿泊や飲食による経済効果、地域振興の面でも成果を上げてきました。一方で新潟市の例のように、合併で大きくなった自治体の住民同士が、芸術祭を機に互いの伝統文化に触れたり、移住者を迎えて継続的な地域活性化に取り組むケースもあります。
私は本学に赴任するまで、東北にはほとんどご縁がありませんでした。しかし7年目になった今は、いくつもの点で沖縄との共通性を感じています。中でも東日本大震災の記憶、特に死者の記憶の継承についてです。震災後の弔いのあり方、顕彰の仕方、そして慰霊碑など、沖縄で戦跡を訪ねたり体験をお聞きして得られた知見と、重なるところが少なくありません。時間が経過するにつれて「学ぶ旅」の重要性はさらに増していくため、私も自身の課題として考え続けたいと思っています。
この8月にはドイツに行き、1年ほど滞在をする予定です。ドイツをはじめヨーロッパでは、戦跡を訪ねる「学ぶ旅」が盛んに行われているため、ぜひ現地での学びを日本へ持ち帰りたいと思っています。皆さんも「観光」についてあらためて考えてみたり、「学ぶ旅」に出かけてみてはいかがでしょうか。
研究者プロフィール

専門=文化人類学・民俗学
《プロフィール》(おち・いくの)1978年愛媛県生まれ。愛媛大学法文学部卒業。広島大学大学院社会科学研究科修了。博士(学術)。立教大学観光学部助教などを経て、2020年より現職。著書に『動く墓-沖縄の都市移住者と祖先祭祀』、共著書に『グローバル地域研究を知るための50章』、『脱観光化の人類学 かわりゆく観光と社会のゆくえ』『少子化に揺れる東アジアの父系理念-祖先祭祀の実践と世界観の再創』など。
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