参加体験記

川崎町上廣歴史文化フォーラム「仙台藩主が愛した温泉~青根温泉を中心にして~」

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日時 令和8年5月23日(土)13:00~15:30
講師 菅野正道(郷土史研究家)、高橋陽一氏(宮城学院女子大学教授)
場所 川崎町山村開発センター、YouTube同時配信にて聴講
主催 川崎町、公益財団法人上廣倫理財団

 毎年開催されているフォーラムです。今年は開湯480年を迎えた青根温泉に因み、仙台藩主と温泉の係わり、日本人と温泉の関係が講演のテーマです。
 前段は菅野氏の「伊達政宗と温泉の話」です。青根温泉開湯の年、1546年前後の時代状況を概観しながら、政宗と温泉について話が進みます。政宗は1567年の生まれなので、生まれる前の時代です。因みに信長は13歳、秀吉10歳、家康4歳の年でした。
 政宗は夏場には川狩り(あゆ、ます釣り)によく出かけ、川沿には温泉場もあるので、何泊かすることになります。近場の根白石、秋保、小原、川崎はよく出かけたそうです。温泉を愛した藩主です。
 後段は「仙台藩主の青根入湯と日本の温泉文化」について高橋氏による1時間半程の講演です。氏は温泉や江戸時代の旅に精通し、菅野氏も一聴講者として聴きたいと話す温泉研究者です。
 日本は3千箇所以上の温泉がある温泉大国です。日本人と温泉との係わり、温泉文化をアピールするため、神楽とともにユネスコ無形文化遺産の提案候補とすることが昨年11月に決定されました。高橋氏は温泉文化について、「自然の恵みである温泉に浸かり、心と体を癒す」という日本人に根付いている社会的慣習である、と説明されているが、具体的にはよくわからないと評します。
 古くは記紀にも温泉文化について記述があり、現代でも行ってみたい場所として温泉場が全国各地域で1位となっています。ただし、日本的温泉文化とは何なのか、について具体的、科学的な説明は未だ無いと言います。医療目的は日本だけでなく、海外にも事例はあります。混浴が日本的かというと必ずしもそうでもありません。
 それでは日本的温泉文化はあったのか。それはあると氏は言います。
 青根温泉から考えていきます。江戸時代は五感による感覚で温泉の効能を判断したのに対し、現代では成分化学分析により判断しており、評価方法が異なっています。青根温泉は、頭痛に効く等でしたが、現在は切り傷となっています。滞在方法も異なります。江戸時代では2、3週間長期滞在し、自炊を行い、共同浴場を利用します。このため温泉場地域は経済活動も活発になりました。5代藩主吉村は入湯の心得として「青根山薬師堂効能温泉記」を書き、青根温泉の湯守に渡しました。入湯法や効能を説明し、温泉入浴時以外の過ごし方にも多く触れています。高橋氏によれば、吉村独自の考え方というより、貝原益軒の養生訓からの引用と話します。養生訓は1712年に書かれ、吉村の温泉記は1720年です。博学の吉村は養生訓を読んでいたと推測します。温泉記前半の内容は養生訓とほぼ同じですが、後半部分は青根温泉独自の内容となっています。
 7代藩主重村は記録上、歴代藩主最多回数の8回訪れ、1772年に「入浴記」を書いています。2週間の滞在でしたが、4回の入浴時以外のことについて多く書かれています。和歌を詠むことや狩りの他に来訪した家臣と政務を行っています。
 日本の温泉文化とは何かについて氏は論じます。江戸時代から続く温泉の医療目的は外国にもあり、日本独自のものではありません。日本的文化といえるのは、入浴時以外の過ごし方にあると考えます。日本には身近に多くの温泉があり、温泉は非日常ではなく、日常の生活の一部となっており、日本人的勤勉さからか仕事をしながら温泉に入っていました。伊達重村のように藩主の政務を行い、夏目漱石、川端康成など文豪は執筆、創作活動をしていました。青根温泉には与謝野晶子や古賀政男が滞在しました。コロナ禍の時代には湯治ワーケーションといわれる方式が生まれ、現在も続いています。温泉で働くことはどの時代にも表れる日本的文化、日本人の伝統的な温泉利用方法となっています。
 レジャー、観光目的での利用以外にもっといろいろな使い方もあるのではないか、温泉―日常性―多くの価値を持つー地域の宝として発展して欲しい、と講演を締めくくります。
 宮城県、仙台周辺にも有名な温泉は多くあり、身近な存在です。温泉でも行こうかは口癖になっています。昨今、宿泊代も高くなり、温泉旅館に泊まることに躊躇しますが、江戸時代とは違い、車で往復すれば宿泊せずとも日帰りで入浴できます。
 リタイアした身にとって仕事と温泉は結びつきませんが、心と体の疲れを癒やすことを温泉に期待するのは江戸時代の人と変わりません。講演に触発されて、日本的温泉文化につて湯に浸かりながら考えてみたいと思います。

(仙台市 栗蔵)

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