参加体験記

令和7年度縄文の森講座第3回 アスファルトに関連した土器が出土!鳥海山ろくの縄文遺跡―山形県遊佐町・杉沢C遺跡-

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月日 2026年2月22日13:30~15:30
講師 小林圭一氏(山形県埋蔵文化財センター主任主査)
場所 仙台市縄文の森広場 オンライン受講
主催 仙台市市民文化事業団 仙台市縄文の森広場

 2年ほど前に小野章太郎氏(東北歴史博物館)による先史時代のヒトとものの移動をテーマとする講演を拝聴したことがあります。考古学なので遺跡、遺物などから当時の人々の生活を推測していくことが基本ですが、遺物の中のアスファルトの存在が特に氣になっていました。日本では石油産出地は秋田、新潟、北海道などの一部に限られる一方、それ以外の土地からもアスファルトが発見されています。当時の人々が何らかの形で運んだり、入手していたことがわかるのですが、具体的な説明は出来ていません。
 今回はアスファルトが発見された縄文遺跡に関する報告です。山形県の杉沢C遺跡からアスファルト塊が見つかりました。杉沢遺跡は山形遊佐町の鳥海山麓、月光川沿いにある縄文遺跡です。アスファルトと言っても今日のように石油から精製されたものではなく、天然アスファルトですが、山形県内では産出地は限られており、遺跡の付近では出ないとのことです。山形県内では初めての遺跡事例です。
 講師は縄文時代、特に、後期、晩期の遺跡発掘、土器の分類などを研究テーマとしています。杉沢C遺跡で発掘した遺物に付着していたことからアスファルトにも着目して研究を進めたそうです。縄文時代のアスファルトの利用についてはすでに研究報告があるそうです。
 アスファルトは接着剤としての利用や耐水性に優れていることから、骨格製漁労具である銛やヤス、釣針の基部への使用や破損した土偶や土器の補修にも使用されています。縄文晩期、後期に利用が広がっています。山形県では縄文晩期の遺跡は県北地域に集中しています。東北地方における縄文後期の主要遺跡の分布状況とそれらを結ぶ東西方向の交通路を考えた場合、奥羽山脈でも標高が低い鞍部となっている箇所を通る4区間が抽出できます。特に山形~宮城の県境の堺田越は標高350m程であり、国道47号とJR陸羽東線が併走し県境にトンネルがない地区です。山形県の向田盆地と宮城県の江合川流域を結んでいます。山形県側からアスファルト、緑色石英、宮城県側からは海産物などが運搬され、山形と宮城の間に交流があったことが窺えるとのことです。
 講師は地形、地理学上の障壁を超えたネットワークが構築されたのではないか、専業的な集団の介在も考えられると話します。しかし、自然科学的分野と共同研究により供給源を明確化することや地域間交流関係の把握のために手がかりとして土器型式の編年の特徴を探ることも必要です。関東地方などと比較して東北地方は土器の研究が進んでいないそうです。
 杉沢C遺跡は2年前の講演のヒトとものの移動に関する具体的な遺跡事例です。何故、どのように交流が進んでいったのか、具体的にはまだ解明されていません。
 1週間後の28日(土)、地底の森ミュージアムで海部陽介氏(東京大教授)による講演「海を越えた最初の日本列島人~実験航海で探った3万年前の挑戦~」を拝聴しました。縄文時代以前、旧石器時代の4~3万年前に大陸から日本列島へ海を渡ってきた旧石器人の話です。想定される大陸から日本への3つのルートのうち、南方ルートは台湾から海を渡って琉球列島へ行くものです。沖縄の島々にこの旧石器人の遺跡が発見されており、移住してきたことがわかります。しかし、流れの速い黒潮が航路の途中にあり、これを乗り越えて来なければなりません。海部氏はこのことを実証すべく旧石器人の時代の船を再現・建造し、台湾と琉球列島の与那国島の間で実験航海を行いました。さらに、この実験航海に加えてスーパーコンピュータにより航海シミュレーションを行い、証明しています。
 現人類のホモサピエンスはアフリカを起点として世界各地に移動拡散していったのですから、その子孫である縄文人には東北地方の一部の地域間の陸路の移動はさほど難しいことではないように思われます。様々な手法を駆使し、想像力も十分働かせて問題を解明していくことが求められるようですが、それを証明することも難題のようです。

(仙台市 栗蔵)

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