研究者インタビュー

大川小が震災伝承の場であり続けるために

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東北工業大学 建築学部・大学院工学研究科 教授
福屋 粧子 先生

建築家による復興支援ネットワーク

 子どものころから住宅の写真やスケッチが載った雑誌を見るのが好きでした。高校で化学の面白さを知り、大学では化学を学んで卒業しましたが、その過程で自分の発想を形にできる建築の魅力に改めて氣付きます。建築学科に3年生から入り直し、さらに大学院に進んで、建築デザインを仕事にするようになりました。

 最初に入った仕事場で「金沢21世紀美術館」などに関わらせていただいた後、自分ひとりの事務所を開設しました。あわせて大学で教育に携わる機会を得たところ、大きなやりがいを感じ、2010年に本学に採用していただきます。ずっと東京暮らしで、仙台へは「せんだいメディアテーク」の建設現場を見学しに来たことがあったくらいでしたが、家族との住まいや仕事場を東京に残したまま、仙台との二重生活が始まりました。

 前任の先生から引き継いだ学生たちの卒業研究の指導も終え、ほっとしていた2011年3月9日、仙台の自室で地震に見舞われます。東京では経験したことのない大きな揺れに驚いたものの、特に被害はありませんでした。年度内の大学の用事は19日の卒業式だけだったので、翌日から東京の事務所で仕事をしていたところ、11日、仙台で2日前に遭遇したレベルの強い地震に見舞われます。事務所は無事だった上にテレビはなく、あれだけの災害が発生しているとは思っていませんでした。

 帰宅してから事態の深刻さを知って、研究室所属の学生たちに電話をかけました。「学内にいましたがケガはありません」などの答えに一安心したものの、その後は学生たちの携帯電話が電池切れで、連絡がつかなくなってしまいます。仙台に戻る交通手段がない中、テレビとインターネットで情報収集を続けながら、「私にできることは?」と考え続けました。ようやく仙台に戻れたのは10日ほどが経ってからで、被災した現地の状況を目の当たりにして大きな衝撃を受けます。

 建築関係の学会や業界はのちに復旧・復興に大きな役割を果たしましたが、予算や体制を整えて動き出すまでには、どうしても一定の時間がかかります。一方、建築家どうしの個人的なつながりから生まれた活動は立ち上がりが早く、状況の変化にも素早く対応しました。互いに安否を確認し合う中で、被災地の建築学生を支援しよう、被災者に我々の知識や技能を提供しよう、という話が形になっていきます。3月中には「東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク」、略称アーキエイドが動き始め、私もその活動の一部を担うことになりました。

震災4カ月後に学生たちと牡鹿へ

 アーキエイドではまず、実家や大学が被災した建築学生たちを東京の建築事務所などに短期インターンとして受け入れていただきました。また、やはり早期に始まったのが、被災前の地域を建築模型で再現する「失われた街」プロジェクトです。私たち建築家は構想を示すとき、図面だけでなく立体でも表現します。土地に起伏があればそれも含めて、どう造成してどのような建物を建てるのかを模型に作るのです。これを応用して、津波で失われてしまった沿岸地域を再現しました。仙台で震災前に教えていた、現在は神戸大学の槻橋修研究室を中心とした活動です。

 縮尺は500分の1で、500m四方の模型をつなげます。私も研究室の学生たちと参加し、宮城・岩手・福島のいくつかの地域を担当しました。地図や衛星写真に基づいて、地形や住居に加えて、漁業倉庫や作業場、堤防などの港の施設、漁船などを手作業で形にしていきます。模型は被災地に持ち込んで、被災者の皆さんに昔の思い出を語っていただいたり、災害前の地域の風景を記録します。

 私は震災の前まで、建築家として主に都市部の住宅や公共施設の設計に携わっていました。また建築物と周囲の環境を調和させつつ、新たな景観を創造するランドスケープは、私の主要な研究テーマです。しかし被災地を回る中で、「建築には何ができるのか」「真の再建・復旧・復興とは何か」などを、自ら問い直さざるを得ませんでした。

 特に「浜」と呼ばれる沿岸の集落では、たびたび自分の価値観が揺さぶられる体験をしました。津波にさらわれて基礎だけを残した住居跡を前に茫然とし、家族を失った方々のお話に言葉を失う一方で、「浜ならではの豊かさ」に氣付いていったからです。水揚げを競いつつも協力し合って生きてきた浜の人たちは、先人から受け継いだ海の恵みと文化を、被災しても守り続け、伝え続けようとしていました。

 震災から4カ月後、アーキエイドから呼びかけた全国の15大学研究室が石巻市と連携して、牡鹿半島にある30すべての浜に一斉調査に入りました。復旧・復興に向けた、現地の要望をお聞きするのが主な目的です。住民の方々が仮設住宅へと移り、それまで避難所だった公共施設が利用できる時機を待って、4泊5日で行いました。建築家と学生のチームが徒歩で浜を回り、土地勘を養いながら聞き取りを重ねます。真剣にメモを取る学生たちに、多くの方々が震災前の思い出、今の氣持ち、浜の再建についての意見などを語ってくださいました。学生たちはその結果を地図に書き込んで共有したり、高台への集落移転について具体的なプランを立てたりする中で、大きく成長することができたのです。

震災遺構大川小学校に込めた想い

 大学で教育・研究に携わる身としても、そして建築家としても、私は震災とその後の活動から多くを学ぶことができました。2012年には共同で仙台に設計事務所を構え、東北の仕事を中心に取り組んでいます。同年にはアーキエイドの牡鹿調査で協力した建築家チームで応募し、岩手県釜石市が公募した災害復興公営住宅(半島部全浜)の基本計画と建築設計業務で最優秀賞に選ばれました。つながりを重視した平屋の戸建て住宅など、入居者本位の住まいが実現できたと思います。

 アーキエイドは当初の予定通り、2016年をもって活動を終了しました。その後、熊本地震や能登半島地震でもそれぞれ建築家のネットワークが立ち上がって活動しており、アーキエイドの経験とつながりが生きていると感じています。

 また「失われた街」プロジェクトは独立して、今も活動を続けています(https://losthomes.jp/)。私は石巻市大川地区の模型製作に携わり、これを機に2018年、児童74名・教員10名が亡くなった大川小学校を、震災遺構として残す事業に関わることになりました。

 被災した建物を保存して公開することについては、様々な考えがあります。大川地区にも「残すことで震災を後世に伝えてほしい」という方もいれば、「見ると亡くなった家族を思い出して辛い」という方もおられました。しかし模型作りのために現地を訪ね、ご遺族をはじめとする関係者にお話をうかがった私は、「教訓を伝えるため大川小は震災遺構としてぜひ残すべきだ」と思いました。そしてのちに、「自分も記憶を残す形を工夫したい」とも。犠牲者が多かった大川地区では、ご遺体の捜索が続いたことや、大川小の児童のご遺族が市と県に賠償を求めた裁判が継続中だったことなどから、校舎を震災遺構として保存することが決まったのは2017年です。私たちは石巻市の調査・設計業務の公募に応じ、選んでいただきました。

 私はまず、校舎を被災時の姿で残したいと考えました。中も見学できれば理想的でしたが、かなわなかったため、校舎内の写真などを展示する新設の「大川震災伝承館」は片流れの屋根下の天井の高い高窓のある空間が、現在は立ち入ることができない校舎2階の空間を想起させ、またランドスケープでは震災前の街並や子どもの逃げたルートを示しています。また大川小は、「震災を学ぶ場」であるだけでなく、多くの方が亡くなった「慰霊の場」であり、そして近隣の方々にとっての「地域を学ぶ場」でもあるべきです。私はこの3つの場を敷地内にゾーンとして設定するとともに、この場所に訪れる目的がお互いに違っても、それを認め合えるような動線を実現しようとしました。検討の結果、伝承館を3つのゾーンが交差する地点に設置し、建物から大きく張り出した屋根下の空間を設けることで、来訪の目的にかかわらず皆が自然に立ち寄れるようにしたのです。

 震災遺構は2021年に完成しました。大川小の校歌には「歴史を刻む」と「未来をひらく」という言葉がありますが、私はこの二つを、震災遺構として形にこめられたと思っています。できれば大川小へは、インターネットでご確認の上、「大川伝承の会」の語り部の活動日にお訪ねください。過去にあった「他人ごと」ではなく、これから起きる「自分ごと」として震災を捉え直し、きっと具体的な行動に結びつけていただけるはずです。

(取材=2025年11月19日/東北工業大学 八木山キャンパス6号館4階 福屋研究室学生室にて)

研究者プロフィール

東北工業大学 建築学部・大学院工学研究科 教授
専門=建築デザイン・復興まちづくり・ランドスケープデザイン
福屋 粧子 先生

《プロフィール》(ふくや・しょうこ)1971年東京都生まれ。東京大学工学部反応化学科・建築学科卒業。東京大学大学院 工学系研究科修了。修士(工学)。「妹島和世+西沢立衛/ SANAA」に勤務の後、2005年に福屋粧子建築設計事務所を、2012年に共同でAL建築設計事務所を設立。あわせて2006年より慶應義塾大学理工学部にて助手、助教を務め、2010年に東北工業大学工学部建築学科(当時)に講師として着任。准教授を経て、2022年より現職。建築家としての仕事に、石巻市震災遺構大川小学校、八木山ベニーランド・エントランスなど。共著書に『浜からはじめる復興計画 牡鹿・雄勝・長清水での試み』など。

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