参加体験記

第22回上廣歴史・文化フォーラム「江戸の文化革命 蔦屋重三郎をめぐる人々」

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月 日:令和7年11月8日13:00~15:45(12月6日YouTubeで視聴 ※動画配信期間11月28日~12月22日) 
講 師:田中優子氏(法政大名誉教授・元総長)、佐藤至子氏(東京大学教授)
場 所:東京大学伊藤国際学術研究センター伊藤謝恩ホール

 上廣倫理財団から案内メールが届き、YouTubeで視聴しました。NHK大河ドラマで主人公の蔦屋重三郎に係わる内容の講演会です。田中優子氏が「蔦屋重三郎の編集から見る江戸文化」と題して蔦重の行った仕事についての講演、後半は佐藤至子氏との対談です。
 蔦重は1750(寛延3年)年に生まれ、1797(寛政3年)年に没しています。蔦重について田中氏は大凡次のように解説します。
 蔦重が生きた江戸時代の後半は出版技術が向上し、活字印刷や版木による多部 数の本の出版やモノクロからカラー刷りも可能になっていました。一方、藩校や寺子屋などにより江戸社会の学びが一般庶民まで浸透し、識字率も高く、書籍も売れる時代となっており、学びが江戸時代をつくったと話します。狂歌や浮世絵などの江戸文化の発展、町人文化の開花期に当たります。
 こうした時代背景の中で編集者として、江戸文化を絵師、戯作者や版元、また自らも狂歌仲間(連)に入るなど広く繋がりをもち、遊郭や芝居小屋などとも通じて築いていきました。
 顔だけ大きく描く浮世絵は蔦重が発明し発信しました。浮世絵(芝居絵)が顔を主に描かれている大首絵は蔦重が進めたものです。カラー刷りは蔦重が生まれる15年前からできるようになっていました。版木を彫る彫師や刷師という職人達の存在も江戸文化が職人の文化であることを示しており、さらに作者や版元などの人々が集まり、高度な技術が発展していきました。印刷に使う和紙も職人の手により質よく丈夫な紙が造られるようになったことも出版文化の発展に貢献しています。
 吉原で育った蔦重は吉原の年中行事を核に吉原を「文化の別天地・発信地」とし、旧暦8月の1ヶ月に及ぶ夏祭り、にわか祭りを本にまとめて多くの人に楽しんでもらうようにしました。
 縦(世代間)のつながり、横のつながり、両方において自らその間に立つ橋となり、またその人々を重要視しました。人と係わり合うことで作品ができるものであり、決して作者1人でできるものではないとします。そうした江戸文化を担うスターを生み出すことで日本の中の「江戸っ子」と「江戸文化」に確かな位置を与えたとします。 
 講師の著書「蔦屋重三郎 江戸を編集した男」によると蔦屋重三郎の残した江戸文化は、吉原文化、天明狂歌、山東京伝の洒落本と黄表紙、喜多川歌麿の浮世絵、東洲斎写楽の浮世絵だそうです。多くのスターが育ち、次代に継承されています。
 若い頃から落語や講談などの寄席文化を愛好していますが、今回は届いたメールに誘われて、講演視聴と読書を通じて、改めて江戸文化を少し深く理解したように思います。

(仙台市 栗蔵)

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