東北大学大学院 農学研究科 教授

水田は連作障害に強い優れたシステム
岩手県の、田畑が広がる地域の出身です。実家は農家ではありませんが、農作業に励む人々を見て育ち、中学生の時には「食べ物をつくる農業は人間にとっての基本だな」と思うようになりました。一方で、経済的に恵まれていない農家さんがいることにも氣づき始めます。高校で農学部への進学を決めたのは、もっと農家さんを元氣にしたいという氣持ちからです。
大学での学びは充実していたのですが、環境問題にも関心が広がり、一度は総合商社に就職しました。環境問題の解決に、食料事業を通して寄与したいと考えたのです。しかし2年ほど働く中で「やはり食料をつくる側に立ちたい」と思うようになり、国家公務員試験を受けて農林水産省の研究職に転じました。
都道府県の公立農業試験場は、品種改良や農家さんへの対応が主な仕事です。一方、私が所属していた国立の「農研機構」は、1893(明治26)年にルーツとなる試験場が設立されて以来、基礎から応用まで幅広い研究を積み重ねてきました。我が国の公立農業試験場や農研機構では、長期連用試験が続けられてきましたが、英国における小麦の研究を除けば、世界的にもこれだけ長期にわたってデータを蓄積してきた例はありません。私は最初に九州、のちに東北に配属され、水田を中心に研究してきました。7年前からは母校に戻り、現在は基礎研究や技術開発に加えて教育にも携わっています。しかし「農家さんのために」と「環境問題の解決を」という私の目標は、一貫して変わることがありません。
肥料を施さなかった場合、水田で作る稲は、たとえば同じ面積の畑地で作るコムギに比べ、多くの収量を上げることができます。また何十年も何百年も同じ水田で稲を作り続けていますが、これは当り前のことではありません。同じ土地で同じ作物を栽培し続けると、多くの場合は土の中の特定の元素の過剰や欠乏、そして病原菌の増加によって「連作障害」が起き、生育不良が発生します。しかし農家さんは世代を超えて水路や畦畔(けいはん=あぜ)の管理、稲に合わせた「土づくり」を続け、栽培期間中に水を張るという作業を丁寧に行い続けることで、これを防いできたのです。
水田は畦畔で囲まれているため、畑に比べて土が流出しにくいという特長があります。また水は温まりにくく冷えにくいため、適切な温度管理が可能です。「肥料の三要素」である窒素、リン、カリウムのうち、リンは水田に水を張ることで土壌から稲に利用されやすくすることができます。そして水はpH(ペーハー)を保ち、土壌が過度に酸性やアルカリ性に傾くことを防ぎます。このように、水田はきわめて優れた栽培システムなのです。
環境・生態系重視の農業技術の開発
稲作で収量と食味を両立するには、土づくり、水の管理、適切な種類と量の肥料を適切な時期に入れる、除草、などなど大変な手間がかかります。しかしたとえば土づくりには、手間だけでなくお金もかかるのです。「ケイカル」という土づくり肥料の使用量を調べると、みごとに米価と連動していることが分かります。生産物が高く売れないと投資を控えるという点では、農業は他の産業・事業とまったく変わらないのです。
こうした日本の農業は、農学をはじめとする多くの分野の研究と技術開発が支えてきました。私の専門は土壌ですが、土は世界的にも劣化や浸食が進み、耕地や食料の危機が広がっています。国連は啓発のため、2015年を「国際土壌年」に制定しました。この「まなびのめ」でも特集を組まれていましたが、私たち研究者も市民向けの発信に力を入れ、日本土壌肥料学会として『世界の土・日本の土は今』という本を刊行しています。私も「田んぼと水田土壌が支えてきた「もの」と「こと」」の題で執筆していますので、ご一読いただければ幸いです。
今回の取材は仙台でお受けしましたが、私のメーンの研究室は大崎市の鳴子温泉地区にあります。水田、畑、牧草地、森林がそろい牛も飼っている、大学附属農場としては全国一の規模の「川渡(かわたび)フィールドセンター」の中です。東北大学には海洋生物資源を研究する「女川フィールドセンター」もあり、この青葉山を含む3つの拠点から成る「附属複合生態フィールド教育研究センター」で、私は昨年からセンター長を務めています。
川渡では今、環境を重視し、生態系と調和した農業技術の開発に力を入れています。実は水田は、温室効果ガスであるメタンを放出することで、環境に負荷をかけているのです。それを抑える方法、有機栽培の効率化、水鳥の保全を目指す「ふゆみずたんぼ」の効果など、様々な調査や実験を続けています。
中でも「リン含有炭」の開発は実用化が見えてきました。先ほど述べた通りリンは肥料の三要素のひとつですが、下水には豊富に含まれています。これを今は廃棄されている間伐材や竹から作った炭に吸着させて耕地に施すことで、肥料としてだけでなく、温室効果ガスの削減、土壌の物理性の改善などが期待できるのです。牛糞とともに堆肥にすると効果的であることも分かってきたので、これから実証実験に進みます。
農家さんの経営や食料自給率にも目を
昨年の夏以来、米の販売価格が大きく上昇し、品切れになる店が出るなど「令和の米騒動」と言われるほどの騒ぎになりました。流通の問題というより供給量が不足していたことが明らかになり、米の生産を抑制してきた農政の失敗だったという見方が広がっています。
米を含めて「食料がたりないなら外国から買えば良い」という考えもあります。しかし国際市場価格の動向を見たり、産地が天候不順や災害に見舞われる可能性も考えれば、楽観的に過ぎるでしょう。日本の食料自給率をカロリーベースで見ると、1960年度の79%から減り続け、2022年度は38%になっています。
一方で、農業に関する国の研究予算は減少しています。たとえば農研機構や公立農業試験場で続けられてきた、世界に誇る長期連用試験の継続さえ困難になりつつあるのが現状です。市民の皆さんには、食品の価格や品質だけでなく、農家さんの経営、環境問題、食料自給率、そして農業を支える研究などにも目を向けていただければと願っています。
日本の稲作は生産コストが高く、生産者の高齢化と減少が進み、海外産と競う力はないとよく言われますが、本当に可能性はないのでしょうか。私はそうは思いません。一つは水田の大規模化による効率化です。もう一つは化学肥料や農薬を減らしたりゼロにしたりする有機栽培などの、高付加価値化です。こうした地道な取り組みは、いま各地で実を結びつつあります。法人化も有効ですが、家族経営でも「もう農政に振り回されるのはごめんだ」と、米作りに加えて経済・経営も学び、事業家として成功している方を私は何人も知っています。
一方で規模の拡大が困難な中山間地の水田にも、私はチャンスがあると考えています。政治的にも技術的にも、まだ明確なビジョンはありません。しかし傾斜地に作られた棚田のダム機能や環境保全機能については、都市部でも認識が深まっています。こうした価値を守るためには、補助金だけでなく、労力の大きさや生産コストの高さに見合うだけの収量と食味、そして価格を実現する努力もし続けなければなりません。私たちの川渡フィールドセンターもまさに中山間地にあるため、これは中心的な研究課題の一つです。
たとえば米の品種の中には、通常の1.5倍もとれるものがあります。これは飼料用品種ですが、食用品種の開発でも、収量のさらなる向上の可能性を諦めることはできません。食味についても、コシヒカリとの単純な比較ではなく、インディカ米を含む多様な価値がもっと認められるようになれば、米の可能性が大きく広がると考えています。そして為替相場が円安に振れて輸出産業が好調なのであれば、高付加価値の米を海外に高く買ってもらう可能性もあります。
私は専門外の勉強にも色々と手を出してきました。しかし学びたいことはまだまだたくさんあります。何歳になっても楽しく、また人生を豊かにしてくれるのが「学び」です。皆さんも、ぜひご自分が楽しいと思われることを学び続けてください。そしてお米に、稲作に、農業に、土壌にも関心を持って、学んでいただければうれしい限りです。
研究者プロフィール

専門=土壌肥料学・水田土壌管理学
《プロフィール》(にしだ・みずひこ) 岩手県生まれ。東北大学農学部卒業。東北大学大学院農学研究科前期課程修了。博士(農学)。総合商社に勤務後、農林水産省九州農業試験場、農研機構(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)東北農業研究センター等を経て、2018年より現職。2024年より農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センター センター長。共著書に『農学生命科学を学ぶための入門生物学』、『世界の土・日本の土は今地球環境・異常気象・食料問題を土からみると』など。
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