■特別展「日本人とクジラ」
展示解説:菊地 逸夫 氏(東北歴史博物館上席主任研究員)
日時:2016年10月30日(日) 11:00~12:00
場所:東北歴史博物館 特別展示室
これは一度見ておいたほうがいいと思い、出かけました。実はもうひとつ背中を押したものがあり、「鯨一匹捕れば七浦潤う」という昔の言い伝えをつい最近知ったばかりで、何か機縁を感じたからでした。
展示は、「第1章 生物としてのクジラ」「第2章 捕鯨の歴史」「第3章 クジラの利用」「第4章 描かれるクジラ」の4章立てでした。
やはり実際に出かけて見たり聞いたりすると、いろいろな氣づきや発見があるものです。例えば、「クジラの中の小さいものが『イルカ』とされる」という解説で、今まであまり氣にもしていなかったので、自分の中では結構驚きが大きいものでした。また、嘉永6年(1853)にペリーが浦賀にやってきて日本に開港を迫ったのは、日本近海のアメリカ捕鯨船への燃料や水の補給が要求のひとつであったから、ということも新たな発見の一つでした。
年末になると宮城では、正月用にクジラ肉を買い求める人々の様子がニュースでよく流れます。それだけ日本では鯨の食文化が現在まで根付いてきたのだと思います。仙台伊達家でも正月料理にクジラが供されており、安政期の膳部が複製で展示されていました。そういえば、静岡県のスーパーではイルカの肉がパック詰めされて普通に売られていました。

昔はよく見かけた鯨缶のラベル

昭和27年(1952)頃 鯨の竜田揚げの学校給食(複製)
天保年間(1830~1844年)頃の仙台藩では、もちろん鯨油は盛んに採取され利用されていましたが、まだまだ一般には食べる習慣がなく、鯨が獲れても大概は赤字だったようです。しかし、藩によっては鯨の捕獲が貴重な財源であったようですし、何よりこの天保期に起きた大飢饉のとき、流れ着いた鯨を食料にすることで多くの命が救われたという例が各地にあり、鯨塚を建立したりして鯨が篤く供養されてきたということです。宮城の鮎川浜では、現在でも旧盆の「施餓鬼(せがき)」で、鯨魚の供養が行われているとの展示がありました。「鯨一匹捕れば七浦潤う」という言い伝えは、こんなところにも表れているように思います。

鮎川浜での鯨供養のようす
捕鯨を取り巻く日本の立場は難しい環境に置かれていますが、このように「日本人とクジラ」は大昔から密接な関係にあったことを思う時、今一度鯨を見つめ直すよい機会となりました。
最後に、展示解説後の個人的な質問に対して、改めて資料を示され丁寧にご教示くださいました菊地氏に、この場をお借りして御礼申し上げます。
(宮城郡利府町 林久慈 羅山)
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