編集部だより

「証(あかし)」の場を「まなびのめ」で

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 先日、しばらくぶりに昔の雑記帳を読み返してみた。日付を見ると、1988年5月24日から同年10月9日まで記してある。掌サイズの大学ノートなので、当時どこへでも持ち歩いていた。何を書き留めていたかといえば様々で、新聞記事の抜き書き、小説の読後記、もう誰のものとも判らぬ電話番号、テレビ番組の評、また8月10日には、批評の神様小林秀雄の墓参りに北鎌倉の東慶寺を訪れており、その時の様子なども記してある。当たり前の話だが、当時の自分がどういうことに興味・関心を抱いていたかがよくわかる。

 写真もいい、ビデオもいい。が、過去のある時、己の書体で訥々と書かれた文章も、間違いなく昔の自分と出逢うよすがである。

 さて、「まなびのめ」を毎回楽しみにしていてくださるファンの方もだいぶ増えて来ており、ありがたい限りである。「学び」イベント情報の記事についても歓迎いただいており、ご自分で興味の湧いたイベントに今度行ってみたい、というご感想も多い。

 イベントや講座に足を運ぶという行為は、自ずからそこに意識的・能動的の意図が働いている。即ち、それまでの来し方とこれから行く末の、まさにたったひとつしかない瞬間点に立ち、自分が何に感じ、考え、行動したか、という証ともいえるものだ。

 人は長い人生の中で、折に触れ自分の立ち位置を確認してみたくなる時があろうし、その意義は決して小さくないはずである。市民講座に参加し、講義を聴き、討議し、聴講記を付けてみる。これもそのまま、自分の生きた証となる。その証をまた子孫が受け継いでいけるとすれば、また何と素晴らしかろう。

 「書く」という行為は写真やビデオと違い確かに負荷のかかる行為であるが、大上段に構えず、まずは1行でも2行でも書いておくことをお勧めしたい。そして、その人生の証を『「学び」イベントに行ってきました』への参加体験記として、私たちとも共有させていただけたら、「まなびのめ」にとってもこの上ない喜びである。

「まなびのめ」編集部 佐藤 曜

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