仙台市博物館でたまたま「まなびのめ」の創刊準備号を手に取ったのがちょうど2年前。それから紆余曲折を経た半年後に編集部に加入(?)させていただくことになり、今に至ります。そんなわたしの、初の編集部だよりとなります。
わたしは普段大学で研究をしています。専門は社会学です。社会学が何か、ということは非常に難しい問いですが、ものすごく簡単かつ単純に「物事や出来事を人間同士の関係という観点から考えてみる」となるでしょうか。そしてそこには、関係に影響を及ぼすような習慣や常識や環境、といったことがらも含まれます。もちろん、「人間」自体も取り扱う対象になりますが、例えば脳や神経などから人間を考えるような分野とは違い、関係の点から説明しようとします。
このような、関係というものを重視する分野である社会学からすると、第9号のテーマである「科学の哲学」といった議論も大変重要になってきます。つまり、新しい発見や技術を生み出すような「科学」という領域は、日常の生活とは関わりを持たないように思いつつも、実際には科学の成果の恩恵ないし弊害を受けている訳です。そのため、科学と市民、科学研究者とそうではない人々とが積極的につながったり、実際に議論しあったりできるようになることは、非常に素朴ではありますが、両者にとっては、ひいては人間社会にとっては、後々意義を持ってくることだと思います。
そういう意味で「学術の世界と市民をつなぐ情報誌」としての「まなびのめ」は、学問と市民との関係のあり方に少しずつではあれ変化を(できれば良い変化を)作っていける、そういう冊子であると思います。また、今後もそうしていくことが、「まなびのめ」に求められると思います。
冒頭でも書いた通り、わたしは日常として研究を行っている立場であるため、「学術の世界」と「市民の世界」という区別をした場合には、「学術の世界の住人」であると言えます。もちろん、区別をしたからといって、どちらか一方が優れているとか、上位にあるとかいうことは意味しません。それぞれは異なる知識や言葉や常識を持っていて、またどちらにも弱点や範疇外のことがあるでしょう。それらを補って、両者にとってより豊かな稔をもたらしてくれるような、関係が作れることは一つの理想ですし、「まなびのめ」はその理想を実現する方向に絶えず努力して行く必要があると思います(もちろんわたし自身も含めて、ですが)。
そうした「学術の世界」と「市民の世界」を繋ぐための場は、仙台には沢山あります。「まなびのめ」に掲載されている「学び」イベントは言うに及ばず、市民センターや街の古本屋さんなどで行われている大小さまざまな勉強会などがそうです。こうした活動が「学都仙台」を支えているのだと思います。仙台の街のなかには、沢山の「まなび」があるのです。
ところで、最近わたしも知り合いの大学院生とともに、色々な人が学んだり議論したりできる場所や関係をもっと作ろうと、ある試みを始めました。それは「仙台哲学カフェ」といいます。哲学カフェとは、フランス発祥の「カフェで色々な話題について色々な人とおしゃべりしよう」というコンセプトを持った活動で、日本では大阪を中心に、各地に広まりつつあります。わたしもたまたまインターネットを通じて知り、ほぼ同時に興味を持った数人で開いてみることにしました。
哲学カフェ、といっても「哲学に関するむずかしいことを話す」というものではありません。むしろ、研究者/市民を問わず、多様で異なる知識や考え方を持った人たちが一緒に集まって話す中で、日常的な疑問や関心を「哲学化」しようという実践です。今はまだ小さな集まりですが、学都仙台を草の根的に盛り上げて行ければなぁ、と思っています。
「まなびのめ」ともども、「仙台哲学カフェ」もご愛顧いただければ幸いです。
仙台哲学カフェ:http://blogs.yahoo.co.jp/sendai_tetsugaku_cafe
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