編集部だより

真理の道も一歩から

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 早や7月も下旬である。東北の梅雨明けは海の日の前日であったが、この度の西日本の豪雨災害には心よりお見舞い申し上げる。

 第9号の発行からは3週間ほど経ち、破菖蒲色の「まなびのめ」が街なかで多く目につく頃であろう。少々手前みそになるが、新緑から夏にかかる時期の発行にはまことに似つかわしい、清涼感のある色合いではなかろうか。

 新緑、初夏から夏となると散策やウォーキングにも楽しい時期である。こういう筆者もこよなくウォーキングを愛するひとりである。草の匂いに鼻をくすぐられ、野の花々を愛で、鳥のさえずりに季節を感じ、とりとめのない想いのきれぎれが体を通り過ぎていく。日々の生活の中において、無邪氣でいながら、反面しっかり自分と向き合った思考ができる数少ないシチュエーションである。

 物事やアイディアを考えるのには歩いている時がよい、とは昔から言われている。ズバリ「思索の道」と命名されている所も全国にいくつかあるようだ。思索と言えば第9号のテーマは「科学の哲学」。思索を深める時、あるいは、思索の重圧から遁れる時、やはり科学者や哲学者たちも歩くことの効用に氣づき、氣ままな散策を嗜好してきたのであろうか。

 バチカン宮殿にあるラファエロ作の有名な 『アテナイの学堂』 を見ると、画面中央のプラトンとアリストテレスは歩きながら対話している。また、ベートーヴェンが楽想を練る時に散策を好んだという話はよく知られており、手を後ろに組み、散策に耽っている絵が音楽の教科書に載っていたものだ。彼の散策のおかげで後世の我々は偉大な音楽遺産を持ちえたとも言えそうである。

 一方、北宗期の文人政治家、欧陽脩(修)の言葉だという、これまた著名な「三上(さんじょう)」は、いいアイディアが浮かんだり、文章を練るときに最適なシチュエーションとして、「馬上(ばじょう)」「枕上(ちんじょう)」「厠上(しじょう)」を挙げていて(三つめはトイレでという意味)、歩いている時とは直接的に触れていないが、まあ馬上とほとんど同義に捉えてよいのではあるまいか。

 ヒトである我々「人間」の学名「ホモ・サピエンス」は、「考えるヒト」「知恵のあるヒト」という意味だそうである。考える脳を発達させたのは、やはり二足歩行の道を選択したことが大きな要因であろう。そこに思いを致すと、歩くという生命と知の向上に直結した行為が悠久の太古から連綿と続けられ、その歴史の上に現在の我々がいることに敬虔とも言える感慨が催されてはこないだろうか。

 前に歩いてさえいれば どこにでも行ける
 前に歩いてさえいれば いつかは帰れる

 ウォーキングそのものは元より、生(せい)の営みにおいても自分の歩みはこのようでありたいと思う。

「まなびのめ」編集部 佐藤 曜

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