毎号のイベント情報にあるとおり、一般市民向けの公開講座やワークショップが各地で豊富に催される時代になった。
講座を通して学ぶと言えば、むかし「大学受験ラジオ講座」という長寿番組があった。テーマ曲はブラームスの「大学祝典序曲」。私もお世話になったくちである。1952年から1994年(平成6年)4月まで続いたそうで、名物講師がたくさんいた。また、本邦某国営放送ラジオでは現在も「高校講座」というのをやっている(テレビもある)。
以上の例などは、学びというよりも勉学そのものズバリの内容であるが、テレビ、パソコン、ケータイに劣らず、学びや教養、娯楽の対象としてはラジオもなかなかに捨てたものではない。
私は昔からラジオ党である。小さい頃から好きだった。本とラジオはいつもそばに置いていた記憶がある。ラジオを聴く受信機は小さければ小さいほど好きだ。何故か。マッチ箱みたいなそのごくごく小さな器の中から、限りない想像、知性・知識、愉悦の世界が大きく展(ひら)けてくるからである。
普段、夕食時などでもたまさか一人でいる場合は、テレビではなくラジオをつける。「サイン2乗シータ プラス コサイン2乗シータ イコール 1のとき、……」と高校講座の数学の時間であってもそのまま聴く。よく判らなかったなあ、と当時の自分を振り返ったり、これから大学、社会へと出て行く若者たちにとって、今ここで習っていることがどういう意味を持って行くのか、との思いなどが浮かんできて、それはそれで自分にはいっときの興なのだ。
中・高時代は70年代欧米ポップスやクラシック音楽のFMエアチェックに熱中した。米軍ラジオ放送のFEN(Far East Network)も好きで(早口の英語が判る訳ではなかったが)、ヒロコ・クボタという今では伝説のキャスターも初めて知った。「ウルフマン・ジャックショー」やケーシー・ケイスンの「American Top 40」もかじりついて聴いていた。
社会に出る頃からは、某国営放送ラジオ一辺倒になった。第一CMの流れないのがよろしい。ニュースや天気予報は元より、音楽、講話、インタビュー、朗読、落語、国会中継などは分断されずよどみ無く聴きたい。
番組が身体の一部にまでなっているのが、その国営放送ラジオ第1午後11時20分からの「ラジオ深夜便」で、放送第1回目である1990年4月の「特集 ラジオ深夜便」の時から今日までほとんど休むことなく聴き続けてきている。多少は人に自慢できる点である。世評では、これは中高齢者の聴く番組であるなどと言われるが、そうでもないだろう。むろん戦前戦後の流行歌などは割によく特集されたりもするが、全体としては新旧さまざまな音楽や話題やインタビュー、講話などあらゆる分野の情報が提供されている。たとえば、今この草稿を書いている10月24日のラジオ深夜便のホームページで「きょうの聞きもの」を開いてみると、
〔ないとエッセー〕
フェルメールの謎をおいかけて(1)
青山学院大学教授・生物学者 福岡伸一
〔インタビュー〕
[日本のあす、私の提言]
どうする? 東北の再生
東北学提唱者・学習院大学教授 赤坂憲雄
〔明日へのことば〕
ニーチェと聖書に学ぶ“現代人の生き方”
文筆家 白取春彦
との予告である。これが聴かずにいられようか。居ながらにして申込みも要らず、しかも無料で3本の「学び」イベントに参加しているようなものである。こんなにトクで嬉しいことはないではないか。だが、本氣ですべて聴くと寝不足になるので、聴きながら寝入るし、目が覚めたらまたそこから聴けばいいのだ。だからたいていラジオはつけっぱなしで寝る。
他にも、「カルチャーラジオ」「文化講演会」「宗教の時間」「古典講読」「新・日曜名作座」「朗読の時間」など長年愛聴している番組は多い。皆さまにおいても折りあればご試聴あれ。また、当編集部オブザーバー 寺田征也 氏ら出演の「仙台 哲学カフェラジオ」(エフエムたいはく 78.9 MHz 毎週日曜、22時~)のご愛顧もお忘れなく。
![まなびのめ - 学術の世界と市民をつなぐ情報誌 [Web版]](http://manabinome.com/wp/wp-content/uploads/2016/04/sub-rogo.png)