「桃」の色目の第16号が巷に出回っている頃かと思う。さまざまな「学び」の芽をここから見つけ育んでいただけると嬉しい。
さて、その裏表紙を見ていただくと次号テーマは「ことばに学ぶ」となっている。「ことば」についてはかねてから一つの思いがあった。何百年もの時代を経て現代にまで生き残って息づいている言葉がある、ということについてである。その日頃の思いをカタチにしてみたくて、今年初頭、どのような言葉がどれだけあるのか調べてみようと思い立った。どうせやるなら思いきり古いところをやろうと思い、ノートを取りながら『万葉集』の通読を実行した。その調査の中で最初に記した言葉は「束の間(つかのあひだ、つかのま)」という言葉で、真っ先に思い浮かんだのが『シルエット・ロマンス』であった。
『シルエット・ロマンス』は来生えつこ作詞・来生たかお作曲、1981年11月に大橋純子氏の歌唱によって発表され、氏の代表曲となった。ここに「束の間」が出て来る。ある日このことを考えていて大変な驚きに打たれた。この時改めて歌詞の最初からなぞっていたのであるが、「束の間」のみならず、それまで紐解いてきた万葉の言葉が次から次へと出て来るからである。
それでは歌詞を思い起こしながら以下をご覧いただきたい。なお底本は、岩波文庫 佐佐木信綱 編『新訂 新訓 万葉集』上下二巻を用いている。「原文を、現在普通の、漢字と仮名を交える体に書き改めた」(「凡例」より)ことが本書の特徴である。ルビは( )の中に表記し、作者名などは歌の次に(作者名・巻数・歌番号)の順で示した。
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【 恋 (戀)】
むらさきのにほへる妹を憎くあらば人づまゆゑに吾(われ)戀(こ)ひめやも
(大海人皇子・巻一・21)
一番は「恋」から始まる。今回通読してみて判ったが、「恋」は万葉中最も多く出て来る言葉であろう。数え上げたらキリがない。恋は昔も今も人間の最大の関心事なのである。
【 女 】
秋野には今こそ行かめもののふの男(をとこ)女(をみな)の花にほひ見に
(大伴宿袮家持・巻二十・4317)
万葉では他に「丁女」を「をみな」と読ませている。「女郎花(をみなへし)」という語が14首において出て来るが、この花に「女郎花」という字が当てられたのはずっと時代が下ってからで、もともと「女郎花」と書かれているものは一首も無く、「娘子部四」「佳人部為」などと表記されている。平安時代に撥音便化され「をんな」となった。「をみな」は万葉の女性の若々しさ、ふくよかさを表した柔らかないい言葉である。
【 夢 】
相思はず君はあるらしぬばたまの夢(いめ)にも見えずうけひて寝(ぬ)れど
(詠み人知らず・巻十一・2589)
ルビにあるように、この時代には「いめ」と発音されていたらしい。人の目があったり、噂を立てられたりするので、なかなかおおっぴらに思い人に逢えなかったようである。だから、せめて夢にでも逢いたい、あるいは、逢いたさのあまり夢にまで出てきた、という歌が非常に多い。
【 いつも 】
わが門(かづ)の五本柳(いつもとやなぎ)いつもいつも母(おも)が
戀ひすすなりましつしも
(矢作部眞長・巻二十・4386)
「河上(かはかみ)のいつ藻(も)の花のいつもいつも」(巻四・491)とも歌われている。
なお、広辞苑の「いつ藻」の項に「イツは繁茂の意」とある。
【 束の間 】
大名兒(おほなこ)彼方(おちかた)野邊に刈る草の束(つか)の間(あいだ)も
吾(われ)忘れめや
(草壁皇子・巻二・110)
夏野ゆく牡鹿(をじか)の角(つの)の束(つか)の間(ま)も
妹が心を忘れて思(おも)へや
(柿本人麻呂・巻四・502)
くれなゐの浅葉(あさは)の野らに刈る草の束(つか)の間(あいだ)も吾(わ)を忘らすな
(詠み人知らず・巻十一・2763)
(一束ほどのみじかい間の意)ちょっとの間。しばらく(広辞苑)。「一束」は指4本分の量を言う。「かやをひと束刈ってしまうほんの短い間」ということになる。片手で掴んで束ねて鎌を当てればそれが「一束」になるのだから、まさにアッという間の出来ごとには違いない。大橋氏やたかお氏によって「束の間の」と囁かれると、いかにも大人の恋のムードが漂う。
【 鏡 】
まそ鏡磨(と)ぎし心をゆるしては後にいふとも験(しるし)あらめやも
(大伴坂上郎女・巻四・673)
大半が「まそ鏡」という枕詞として用いられている。
【 色 】
こいまろび戀ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花
(詠み人知らず・巻十・2274)
この言葉の登場回数も多い。いかに恋わずらおうともはっきりと顔色には出すまいとする忍耐、あるいは、よもや顔色に出るのではあるまいか、という不安を抱くのがこの時代の心情のひとつであったようだ。ちなみに、万葉時代の朝顔は、現代では桔梗に同定されている。
【 並べて 】
秋風は冷(すず)しくなりぬ馬並(な)めていざ野に行かな萩の花見に
(詠み人知らず・巻十・2103)
【 うれい(患) 】
右は、大伴宿袮家持、聟南の右大臣の家の藤原二郎(なかちこ)が
慈母を喪(うしな)へる患を弔(とぶら)へるなり。五月二十七日
(巻十九・4216・左注)
他に、病氣に罹(かか)ってしまうこと、そしてそれによって苦しい思いをしている様の表現に用いられている。
【 顔(貌) 】
多胡(たこ)の嶺(ね)に寄綱(よせつな)延(は)へて寄すれども
あにくやしづしその顔よきに
(詠み人知らず・巻十四・3411)
【 装う 】
やまぶきの立ちよそひたる山清水(しみず)汲(く)みに行かめど道の知らなく
(高市皇子・巻二・158)
難波津に装(よそ)ひ装(よそ)ひて今日の日や出でて罷(まか)らむ見る母なしに
(丸子連多麻呂・巻二十・4330)
【 茜(あかね) 】
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る
(額田王・巻一・20)
この歌に答えたのが冒頭の大海人皇子の歌で、ともに古文の教科書などでお馴染みの歌である。
【 染め 】
我が衣(ころも)色服(いろぎぬ)に染(し)めむ味酒(うまさけ)を
三室(みむろ)の山はもみちせりけり
(柿本人麻呂歌集・巻七・1094)
「染」に「し」とルビが振ってあるので、古くは「し」音だったのであろう。
二番に入ると次の二つの言葉が出て来る。
【 声(聲) 】
ほととぎす汝(な)が初聲は吾にもが五月(さつき)の玉に交(まじ)へて貫(ぬ)かむ
(詠み人知らず・巻十・1939)
鳥の声、花の開花は現代以上に切実に待ちわびるものだったであろう。
【 重なり 】
立易(たちかは)り月重なりてあはねども眞實(さね)忘らえず面影にして
(田邊福麻呂歌集・巻九・1794)
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えつこ氏が万葉集を念頭に置いて作詞されたのかどうか定かではないが、果たしてこれを偶然と呼ぶべきか、はたまた蓋然(がいぜん)と呼ぶべきなのか。いずれにしても、万葉の言葉が現代に生きていることだけは事実のようである。
「まなびのめ」編集部 佐藤 曜