東北工業大学 ライフデザイン学部 教授
源氏物語の研究で大学教員に
皆さん、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』はご覧になっていますか? 私は毎週楽しんでいます。まず役者がいいですし、話が進むテンポもいい。ただし映像文化を研究している身としては、純粋に楽しむことはできません。脚本や演技はもちろん、大道具、小道具、色彩設計、音響効果、カメラワーク、編集、そしてこれらをまとめる演出など、どうしても創る側の意図や技量が氣になってしまいます。
さらには「この登場人物には『源氏物語』のあの人物を重ねているな」という推理もやめられません。実は私の40年近い研究生活のうち、前半は源氏物語をはじめとする平安文学が専門だったからです。それがなぜ写真論や映画論などの映像文化に転じることになったのか、というお話から始めましょう。
私は神奈川生まれですが、育ったのは長崎です。中高一貫の進学校に入ったものの、高校で力を入れていたのは、友人たちと校内でミニ芝居を上演すること。脚本と演出が私の担当で、学校に届けもせずに、いきなり階段の踊り場で芝居を始める。楽しかったですねぇ。
当時は大学でこれを学びたいとか、将来こういう仕事をしたいという希望は特にありませんでした。当然のように浪人してしまい(笑)、今度は連日の映画館通いが始まります。映像を分析的に見るようになったのはこの時からですが、まさか自分が将来その研究者になるとは全く考えていませんでした。
映像だけでなく文学など表現全般に関心があったのは確かで、偏差値と相談した結果、一浪して東北大学文学部に入学します。先生や学生は面白いし、優れた旧作を上映していた名画座をはじめ映画館は多いしで、楽しい学生生活でした。
楽しすぎて留年してしまいましたが(笑)、3年生になると、いよいよ自分の専門を決めなければなりません。それが古典文学になったのは、授業が感動的で、お書きになる論文がまるで小説のようでユニークだ、という理由で師事する先生を決めたからです。ところが研究室に入ってみると、ご指導はきわめて正統派。それまで古文の教科書でちょっと読んだだけだった源氏物語を、しっかりと通読するところから始めました。
古典が面白くなってきた一方で、知り合った社会人の方が8mmフィルムで映画を撮っていると聞いて撮影現場に付いて行ったり、東北放送でバイトして「ジャーナリストもいいかも」と思ったりと、われながら全く落ち着きません。大学院に進んだのも、マスコミの就職活動に失敗したからという理由と、「源氏物語の研究者を目指そう」という意欲が半々くらいでした。
ところが修士課程で研究を深めて博士課程に上がると、「東北大学で助手にならないか」というお声がけをいただきます。さらには研究室の大先輩から「東北工大で教えているが、定年だから君やりたまえ」と言われ、本学の講師になったのです。
映画作りで社会人の基礎を学べ
着任した1998年には工学部だけだった本学で、私が担当していたのは文学や日本語表現といった、1・2年生が対象の教養の授業です。一方で映画館には通い続け、映像関係の歴史や技術を解説する専門書、さらには研究者の論文まで読み漁るようになっていました。2002年には「北野武/ビートたけしの世界―『その男、凶暴につき』から『HANA-BI』へ」と題する考察を、大学発行の論文集に発表しています。
最初の転機は、当時の岩崎俊一学長が理事長を兼務されることになった2004年でした。先生とお話しさせていただいた際、「映像文化の研究にも身を入れています」と申し上げたところ、それなら専門的な科目を開設しようという話になったのです。
3・4年生向けに「文化の諸相」「表象文化論」といった授業を持つことになった私は、映像研究に本腰を入れます。推薦人を得て日本映像学会に入会すると、さっそく2005年の大会で「北野武の映像世界 『Dolls』に見られる物語構造から」という報告を行い、自分なりの手応えを得ました。源氏物語の研究で続けてきた「ある場面、ある一言を詳細に突き詰めることで、作品全体の意味を読み取る」という手法が、映画研究でも有効であることが確認できたのです。
次の転機は、本学が工学部のデザイン工学科を発展させる形でライフデザイン学部を開設した2008年でした。新学部の中に経営コミュニケーション学科(2025年度より経営デザイン学科)が設置され、メディアコミュニケーションの専門家として、学部に研究室を持つことになったのです。
その前年、私の授業を受けた学生10名ほどが、「映画を作りたいので教えてください」と言ってきたので、機材を貸してあげたり、撮り方を教えてあげたり、一緒に大学に泊まり込んで酒盛りしたり(笑)しました。ないない尽くしの中、自主的に地元バンドのプロモーションビデオを作り、ついには劇映画を完成させた彼らの情熱に、私も大いに刺激を受けたものです。
新年度からは、授業で正式に映画製作を教えるようになりました。「先生の研究室で卒業制作に取り組みたい」という学生には、プロの現場でも通用するよう厳しく指導しています。カメラや編集ソフトの使い方も徹底的に仕込みますが、それだけではありません。学内で自分たちだけで楽に作ろうとしないで外部と交渉しろ、お願いして子どもにも年上にも出演してもらえ、あいさつは大きな声で、とうるさく言うのは、社会人になった時、その経験が生きるからです。研究室の卒業生のうち毎年2割から3割が映像関係の会社に入るのですが、就職先での評価は高く、責任ある立場への昇進が続いています。
映像に記録して伝える大切さ
私にはクリエイター志向やアーティスト志向はそれほどありません。しかし写真を撮ったり映画を作ったりするのは大好きです。授業で技術や手法を説明するために短い劇映画を作り、それを自主上映の形で公開するなどしてきました。脚本、監督、撮影、編集を一人でこなすと、実に多くの発見があります。
今はインターネットで氣軽に映画を楽しむことができます。2022年にはネット配信のみの作品が、初めて米国のアカデミー賞を受賞しました。一方で名画座やマイナーな作品を上映する映画館は激減し、残念ながら仙台ではほぼ姿を消しました。
写真もデジカメの時代になったと思ったら、今はスマートフォン全盛です。動画を撮ったり編集したりも簡単で、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)にアップすれば、知人に見てもらえるだけでなく海外からの反応もあり得ます。映像の文化状況は大きく変化しましたし、また変化し続けています。
しかし私は、文学に古典が存在するように、映画や写真という、20世紀に大きく発展した映像表現にも、ぜひ見ておくべき作品、未来に残すべき作品が数多くあると思っています。ネットに溢れている写真や動画の多くは稚拙で、たとえ仲間内で評価されることはあっても、次の日にはまた別の新しい何かに話題が移っているのです。情報過多におちいっている現代だからこそ、人工知能の「おすすめ」だけでなく、定評のある作品を見て、鑑賞眼を養っていただきたいと思います。
その上で、ご自分で撮影された写真や動画をネットで公開し、知人同士で楽しんだり、新たな出会いにつながったりするのは、とても良いことです。研究室の学生たちも宮城県内の各地に出かけて、歴史的な建物、刀剣などの文化財、東日本大震災の津波被災地に建った地元生産物が買えるお店などを撮影し、ネットで公開したり会場で展示したりしています。
私が今、特に大切だと思うのは、映像で記録を残すことです。建物も街並みも、お祭りも行事も、人もその体験も、あるとき突然失われてしまいます。私が『二人のライカ』という長編映画を作ったのは、東日本大震災の被災地の記録映像を学生たちと撮影していた際、野蒜駅の近くで泥と油にまみれたミニアルバムを発見したことがきっかけでした。
源氏物語も、紫式部による原本は失われました。しかし多くの人が書き写したものが伝わってきたからこそ、現代の私たちが享受できているのです。文化を創造することだけでなく、記録すること、伝えることにも、より関心を持っていただければと思います。
研究者プロフィール
専門=写真論・映画論・芸術表現
《プロフィール》(さるわたり・まなぶ) 1964年神奈川県生まれ。東北大学文学部卒業。東北大学大学院文学研究科 修士課程修了。文学修士。東北大学文学部助手を経て、1998年、東北工業大学工学部に講師として着任。准教授を経て、2021年より現職。編書に『『紫式部集』『大弐三位集』各句索引』。短編映画『晴れ、ときどき雨』、『二人のライカ』で企画制作・脚本・監督・撮影・編集。その他の映像作品に『prière du requiem : les fleurs, la vie(鎮魂の祈り:花々、そして生命)』など。登米懐古館主催『刀剣祭―雙龍子玉英―』で映像制作・写真撮影・ビジュアルデザイン。