日時 令和6年6月16日(日)10:00~11:30
場所 せんだい環境学習館たまきさんサロン セミナースペース
講師 野澤日出夫氏((公財)小岩井農場財団法人)
主催 仙台市環境局環境共生課
転勤先の盛岡在住時、小岩井農場に何度か訪れたことがあります。
小岩井農場という言葉がなつかしく参加してみました。15名程の参加者でした。
講師は小岩井農場の野澤裕美氏の予定でしたが、急遽、父君の日出夫氏が代理で講演されました。小岩井農場に長年勤務され、現在は小岩井農場財団法人で活躍されている方です。娘さんの代役とはいえ、熟練の話術でした。
冒頭の地球環境問題から、氣候変動、地球温暖化に影響を受けた生き物の変化、そして、SDGS、持続可能性へと話題が展開します。ビオトープは生物生態系保全に繋がっていき、ビオトープについて説いていきます。
小岩井農場の創設から今日までの133年の歴史を紐解き、小岩井農場と施設などを紹介していきます。長い歴史をものがたり、国指定重要文化財、国指定名勝などに指定を受けた牛舎、倉庫、サイロなどもあります。現在は、小岩井農場から離れた東京のビルや美術館などでも環境緑化事業を手がけており、2028年完成予定で現在建設中の丸の内木造高層ビルの話もありました。
小岩井農場は低湿地帯、火山灰土、酸性土壌でやせ地という条件を克服して圃場を整備し、約2000haの森林施業も行っています。100年の計で進めてきた成果といえる、創られた自然(二次的自然)の豊かさを示しています。持続可能な社会、子供たちの未来に自然豊かな環境を残そうと提言します。終わりに南米アンデスの先住民の伝承を引用して、1人1人が自分の出来ることをしていくことの大切さを強調されました。
小岩井農場を事例として、100年先の未来を見通した環境問題への取り組みを呼びかける講演内容と思えるものでした。
折しも日本ビオトープ協会主催のビオトープフォーラムin仙台2024が6月14日(金)に、13~16日までは関連イベントが東北大学で開催されていました。講座資料とともに、昨年30周年を迎えた日本ビオトープ協会の資料も配布されていました。講師は同協会の相談役、主席ビオトープアドバイザーです。
最初のスライド画面に赤色で強調された言葉「心地よく豊かに生きのびる為」からビオトープの話が展開します。心地よくは五感で感じ取るもので、人も動物も植物も同じです。ビオトープとは、生き物が心地よく棲息できる生態系のことであり、開発行為に対して影響を受ける生き物のために代替地として創られた棲息環境です。
明治24年(1891)創設時、創設者の1人井上勝(鉄道庁長官)が鉄道建設で失われた自然環境、山林、農地などの復元を志したということです。湿地などの不毛の地、約4000haを取得します。これはビオトープの発想です。1891年は東北本線が青森まで開通した年です。
小岩井農場の礎を築いたのは岩崎弥太郎の長男久弥が創設間もない小岩井農場の経営に関与してからとのことです。「今の利益ではなく 農場づくりは100年の計で・・!!」が彼の方針でした。講師の野澤氏はこの久弥の言葉を常に頭に置いて小岩井農場での仕事を続けてきたそうです。戦後の農地改革で4000haから3000haへと面積は減少しましたが、2000haの施業林と酪農、乳製品製造などに対して持続的な手法を用いて133年の歴史を紡いできました。現在一般客が入場できるまきば園は、牛の放牧地を来場者のために開放することにしたもので、有名な観光地となっています。
2000haの森林は緑のダムとして保水能力を確保し、オオタカの営巣地ともなり、牧草地は狩り場となっているそうです。北上山地の石灰岩を採掘工場から現在の田沢湖線を活用して800haの圃場に投入し、酸性土壌を改良しました。農場開設当時、自給肥料を目的に雑種牛35頭を導入して以来、現在は飼養牛2600頭までに増えています。多くが湿地だった荒れ地に暗渠排水路網を敷設して圃場に改良しました。この暗渠を止めると容易にため池が出来ます。牛糞はバイオガス発電所で利用され、牧場消費電力の1/4を発電し、固形物は堆肥として活用しています。
環境の時代を先取りしたような小岩井農場の133年の取り組みの歴史も地球環境問題の話も1時間30分の講義時間ではとても足りない多くの内容が含まれています。133年の歴史のなかで100年の計の牧場づくりに向けて関係者が世代を超えてどのように取り組み、継承してきたのか、苦労話や失敗談などもあることでしょう。また、個々にみると結論のみが示されてその根拠や詳しい説明が欲しいと思われる項目もあります。機会があればさらに聞いてみたいところです。