研究者インタビュー

カルトに抗し未来を開く「宗教多元主義」

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東北学院大学 大学院文学研究科・文学部 教授
川島 堅二 先生

教会の牧師を務めながら研究者の道へ

 私の父方は、曽祖父の代から熱心なプロテスタントの信者です。明治の初めに仏教から改宗したそうで、「仏壇はそのとき川に流して捨てた」と聞かされて、子ども心に強い印象を受けました。私の両親は東京の教会で出会っています。結婚の際もお世話になった牧師さんは大変穏やかな方で、月に一度わが家に来て、私たち家族に聖書のお話をしてくださいました。私もこの方に親しみを覚え、親子関係も良かったため、自然にキリスト教を信仰するようになったのです。

 高校生になると都会の喧騒を嫌い「自然豊かな北海道の大学で獣医学か畜産を学びたい」と思うようになりました。しかし3年生になっていよいよ真剣に進路を考えると、信仰を広めるという使命を持つ牧師にも魅力を感じ始めます。迷いましたが、東京神学大学に進学して大学院まで学び、牧師になる道を選びました。

 修了後は日本基督(キリスト)教団の教師資格を取得し、東京の教会で副牧師を5年間務めます。実は大学の3年目には、自分の選択に疑問を感じ始めていました。「自分は本当に信仰に救われたと言えるだろうか。たまたま生まれ育った家庭の影響でキリスト教徒になっただけなのではないか」と悩み、より広い視野で宗教を研究したいと思うようになったのです。

 牧師を務めながら東京大学の大学院に学んだ私は、宗教学の研究者を志しました。修士課程を終えてからドイツの大学に留学しましたが、帰国後今度は神奈川県でさらに5年主任牧師を務めます。同時に東大大学院の博士課程で学び、1994年に恵泉女学園大学に職を得ました。オウム真理教の地下鉄サリン事件が発生したのは、その翌年です。

 日本では1970年代から新宗教の活動が活発になりました。そのいくつかは若い信者を増やして盛り上がり、80年代にはテレビで修行の様子が紹介されたり、教祖が大学祭に招かれて講演したりすることが、当たり前のように行われていたのです。

 80年代なかばから日本がバブル景氣に覆われると、社会全体が物質主義や拝金主義に飲み込まれていきます。宗教、特に新宗教はそうした風潮を強く批判し、物質よりも精神の、お金よりも人間関係の大切さを説きました。真面目な若者ほど新宗教に惹きつけられたのは、無理もなかったのです。

 宗教学の研究者たちも、時代の空氣と無縁ではいられませんでした。新宗教の教祖の言葉を無批判に本にまとめたり、行事に参加してその内容をテレビで語ったりもしていました。しかし自分自身が信仰に迷い揺らいでいた私は、自分と同じ若者たちが新宗教に熱中している姿に、危うさも感じていたのです。

大学の教員として「カルト」に向き合う

 オウム真理教の一連の事件を受け、また以前から旧統一教会が組織的に違法行為を行っていたことを裁判所が認定したことで、「カルト」に社会の注目が集まりました。カルトには複数の意味がありますが、ここでは「反社会的な団体や、組織的に違法行為を行い、外部の人がそれに巻き込まれる恐れのある団体」のことを指しています。

 カルトは狙う人を定め、宗教であることを隠して近づき、スポーツや文化のサークルだと偽って勧誘します。そして親密な人間関係を築いて誘いを断りにくくするとともに外部からの情報を巧みに排して徐々に教義を注入、入信へ導きます。こうした方法で入信させられた人は「自分から選んだ」「入信して幸せだ」と思っているので、家族などの説得には耳を貸しません。自分の生活に支障が出るほど献金したり、教団の指示で詐欺的な商売に従事したり、知人を無理に勧誘したりすることにも、何の疑問も持たなくなります。私が大学で教え始めたのは、まさに若者たちにそうした事件が数多く起きていた時期でした。

 地下鉄サリン事件が起きた1995年「日本脱カルト研究会」の設立に参画しました。2004年からは、家族がカルトに入信して苦しんでいる方々と共に「日本脱カルト協会」として活動しています。また2009年には、大学の担当者をつないでカルトに対抗する「全国カルト対策大学ネットワーク」を立ち上げました。現在は高校や専門学校にも対象を広げ、日本脱カルト協会の活動として継続しています。

 まず「カルトとは何か」を定義しなければ、社会に危険性を発信したり、カルトが疑われる団体を特定したりすることはできません。健全な宗教なのか危険なカルトなのかを明確に判定することは、実は宗教学の知見をもってしても不可能なのです。そこで私たちは脱会者の証言から100項目以上に及ぶカルトの特徴を書き出し、それぞれを4段階で評価することで、カルトか否かを判定する方法を開発しました。

 この判定法では、伝統宗教にもわずかながらポイントがついてしまいます。しかし多数の教団について教義や活動を調べると、問題なし、問題や危険性がある、明らかに危険、という3つのグループにはっきりと分けることができました。こうして、多くの若者を集めるイベントの主催団体にもカルトが含まれていることや、キャンパスや街頭で公然と行われていたカルトの勧誘に、警告を発することができるようになりました。

 その後はマスコミでも、カルトによる事件、裁判での違法行為の認定、入信者の家族や脱会者の声が報じ続けられました。こうして社会の見方も、「信仰の自由」「本人の個人的問題」から「強制された信仰」「社会全体の問題」へと変わったのです。

宗教の未来は「多元主義」にある

 私が活動を始めた当初、宗教研究者の反応は全体的に鈍く、論文でカルトを取り上げることにさえ否定的な声がありました。しかし東京帝大(今の東大)に最初の宗教学講座が開設された際、その主任教授となった姉崎正治は今から100年以上も前に、宗教もまた病むことがあるから、宗教学は「宗教現象の気象台として」その予知や予防に努める必要があるとする「宗教病理学」を提唱していたのです。

 2022年に起きた安倍晋三元首相の銃撃事件では、政治と宗教の関係の問題とあわせて、カルトの問題が注目を集めました。NHKは事件の3カ月後、6人の論者をスタジオに集めた討論番組を放送し、大きな反響を呼びます。私も出演し、番組の内容を書籍化した『徹底討論! 問われる宗教と“カルト”』には、「学生たちと“カルト” 」という一文を寄せました。

 これだけ科学が発展しても、なぜ宗教は無くならないのでしょうか。そしてなぜ、多くの人の心の拠り所になっているのでしょうか。私はまず、人が必ず死ぬ存在であること、そして明日のことさえ分からないという不安があることを挙げたいと思います。宗教には、それに応える「言葉」があるのです。

 宗教にはカルトだけでなく、対立する宗派間の争いなど多くの問題があります。その源は、自分が信仰する宗教のみが真理だとする「排他主義」や、他宗教も真理の一部は含むが完全な真理は自分の宗教だけだと考える「包括主義」でしょう。これに対して、偉大な伝統宗教はいずれも真理を含み、優劣はつけられないとするのが「多元主義」です。この立場では、信仰している宗教から抜けたり、複数の宗教を同時に信じたりすることも否定しません。

 この多元主義の主唱者は英国の神学者ジョン・ヒックで、表明したのは1980年と、長い宗教の歴史では比較的最近です。しかしそのルーツは、さらにさかのぼることができます。私が主な研究対象としてきたのは、「近代プロテスタント神学の祖」とも呼ばれる、ドイツの神学者シュライアマハーです。彼は今から200年も前に、多元主義につながる思想の展開を書き記していました。布教だけでなく純粋に神学の問題としても、信者、宗教指導者、宗教研究者は多元主義について学び、考え、自らのものとするべきだと思います。これはもちろん、キリスト教以外の宗教についても言えることです。

 日本では初詣やお盆、クリスマス、七五三など複数の異なる宗教の行事に参加する人が多数派で、「宗教に関して無節操」とも言われがちです。しかし私はむしろそうした姿勢こそが、カルトに抗し、排他主義に陥りがちな宗教を開いて、多くの人を救う上でプラスに働くのではないかという希望を持っています。今これをお読みの皆さんも、「自分には関係ない」と思わずに、ぜひ宗教について学び、考えることで、ご自身の生活や人生を豊かにしていただければ幸いです。

(取材2024年5月2日/東北学院大学土樋キャンパス ホーイ記念館5階 川島研究室にて)

研究者プロフィール

東北学院大学 大学院文学研究科・文学部 教授
専門=宗教学・キリスト教学
川島 堅二 先生

《プロフィール》(かわしま・けんじ)1958年東京都生まれ。東京大学大学院 人文社会系研究科博士課程満期退学。博士(文学)。恵泉女学園大学人間社会教授、同大学長を経て2018年より現職。日本脱カルト協会顧問。共著書に『徹底討論! 問われる宗教と“カルト”』、監修書に『わたしが「カルト」に? ゆがんだ支配はすぐそばに』など。

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