東北大学大学院 文学研究科 教授
宗教的ケア・スピリチュアルケアの役割
私は石川県金沢市のお寺に三男として生まれました。宗派は真宗大谷派で、現在は長兄が父の跡を継いで住職を務めています。私も9歳の時に、僧侶の資格を得る得度(とくど)を受けました。従って私は宗教の研究者であると共に、仏教を奉じる宗教者でもあるわけです。
そうした環境に育ったこともあって、私は成長するにつれて宗教に関心を深めます。本学の文学部哲学科と大学院の文学研究科で、主にインドやバングラデシュの仏教について研究しました。そして大学院修了後、新潟県の長岡西病院に「ビハーラ僧」として勤務します。
この病院には、仏教に基づいた緩和ケアを行う「ビハーラ病棟」があります。がん患者さんらの痛みや苦しみをやわらげる緩和ケアが、日本の医療制度に導入されたのは1990年でした。現在は終末期に限らず、生命に関わる病氣と、その病氣による様々な問題に直面している患者さん、そしてその家族に対する幅広い支援を緩和ケアと呼んでいます。私はそうした方々のお話に耳を傾け、ご希望があれば仏教の教えを説いたり儀式を行ったりして3年間を送りました。その後は大学に勤務することになりましたが、このビハーラ僧としての経験は、私の研究と人生に大きく関わっています。
世界保健機関の定義によれば、緩和ケアには身体的、精神的なものに加えて、社会的、さらにはスピリチュアルなケアが含まれます。従って緩和ケアには、医療スタッフだけでなく心理、福祉、そして宗教の専門家がチームを組んであたるのです。
スピリチュアルという言葉は、日本では正しく、また広く理解されているとは言えません。「魂の」とか「霊的」と訳されることが多いこともあって、言葉自体に抵抗を覚える方もいるでしょう。しかし世界的には、宗教的ケアやスピリチュアルケアを正しく評価し、位置付けることが、死や痛み、ショックや不安などの苦しみをやわらげるためには不可欠だと考えられているのです。
スピリチュアルケアは、例えば心理的ケアやメンタルケアとどう違うのでしょうか。カウンセラーの中でも病院や学校で働く方々は、治療や公的支援の一環として業務を担っています。臨床心理士や公認心理師という資格制度も整備されていて、後者は国家資格です。精神医学や心理学の知識・技術に基づいて面談を行い、対象者との心の距離を慎重に測りながら、問題の解決に取り組みます。
一方で宗教的ケアやスピリチュアルケアを担う人は、対象者の感情に自ら近づいて行きます。対象者の苦痛を自らも分かち合い、そして時には私が務めていたビハーラ僧のように、宗教の教典や儀式を用いて、共にそれを癒そうと努めるのです。宗教的ケアやスピリチュアルケアは、決して近代的でも科学的でも客観的でもありません。しかし実際に人々の苦痛を癒してきた長い歴史があるからこそ、今でも存続し、多くの人の支えとなっているのです。
宗教的ケアの担い手を東北大学が養成
13年前の東日本大震災では多くの方が亡くなり、子どもから高齢者までの幅広い方々が、家族など身近な人を失って心に深い傷を負いました。被災地に入った心理的ケアの専門家たちが、悲嘆を癒す「グリーフケア」にあたったことは、皆さんもご存じの通りです。
そして宗教者たちも、宗教や宗派を超えて、火葬場や埋葬の場で祈りを捧げたりお経を読んだりしました。涙ながらに感謝の言葉を述べる方々から、あらためて宗教の持つ力や果たすべき役割を教えていただいた宗教者は多く、私もその一人です。
米国には、病院や軍隊で宗教活動を行う「チャプレン」という聖職者たちがいます。そこで日本でも、布教を目的とせずにグリーフケアを行う、宗教的ケアやスピリチュアルケアの専門家を養成しようという機運が生まれました。医療や宗教の関係者、それに私を含む研究者らが議論を重ね、また東日本大震災の経験を踏まえて、「スピリチュアルケア師」「認定臨床宗教師」という2つの資格制度が整備されています。
2007年に設立された日本スピリチュアルケア学会は、2012年にスピリチュアルケア師の資格認定を開始しました。また2016年に設立された日本臨床宗教師会は、2018年から認定臨床宗教師の資格認定を開始しています。後者は認定対象を宗教者に限定していますが、前者はスピリチュアルケアを学び、実践することで社会に貢献したいという方すべてが対象です。
私は本学の、「死生学・実践宗教学専攻分野」で両者の養成講座を行ってきました。毎年多くの応募があるため、小論文などの課題で受講者は絞らせていただいています。開設は2012年でしたが、実は当初はここまでの広がりや継続は予想していませんでした。
「信仰を持つことのメリット」を考える
宗教的ケアやスピリチュアルケアの基盤となるのは、宗教そのものだけでなく、宗教学や死生学もそうです。そして私の専門である実践宗教学とは、苦痛や悲嘆に直面している方々のために宗教や学問は何ができるのか、を問う学問でもあります。
例えば私は、僧侶が唱えるお経は人の悲しみを癒すことができるのか、という研究を行いました。実際に、愛するペットを失って悲嘆に暮れる方々にご協力をいただいて、お経を聞く前と後で氣持ちがどう変わったかを、心理尺度と生化学指標という心理学の手法を用いて実験します。すると、お経には明らかに効果があることが分かったのです。
また近年は、葬儀を簡素化したり行わなかったりする例が増えています。もちろん本人のお考えは尊重すべきですし、経済的な問題が関わっている場合もあるでしょう。しかしこれらの選択は、京都大学のカール・ベッカー教授らと進めている研究によれば、ご遺族の不満を持ちやすくなるなどのマイナス面も大きいという結果が出ています。
そうしたご遺族の中には、氣持ちになかなか区切りがつかなかったり、日常に戻るきっかけを失ったり、手を合わせる対象が無いために、故人を偲(しの)びたいと思いながらその方法に悩んだりしている方が少なくないのです。それは集中力の低下を招き、仕事の生産性が落ちたり、不注意によるケガに結びついたりもします。つまり個人やその家族だけの問題でなく、社会的、経済的な問題でもあるのです。
臨床死生学も私の専門分野です。死生学について知識がない方も、死や生に対する考え方、あるいはそれに基づく人生観を意味する「死生観」という言葉は、聞いたことがあるのではないでしょうか。健康で仕事や人間関係がうまく行っている時には「死とは何か」「残りの人生をどう生きるか」ということは、あまり考えないものです。しかし病氣になったり、家族や職場のことで悩んだり、知っている方が亡くなった時、私たちは死や生について、あらためて考えずにはいられません。
例えば私は、20代の時にまだ58歳だった父を失っています。その後、治療法が確立されていない難病を患ったり、うつ病になったりもしました。一方で私は本学に職を得て、関心の対象である宗教について学び続けることができています。また、多くの方との出会いがあり、充実感を覚えながら後進の指導にもあたってきました。私の死生観が、こうした経験によって形作られていることは間違いありません。
死生観はきわめて個人的なものですから、自分の経験に基づいて、一人で考え抜くことはもちろん大切でしょう。しかし他の人と対話したり、死生学の研究成果を学んだりすることにも意味はあるはずです。そして宗教的ケア・スピリチュアルケアの意義や、葬儀・お墓がもたらす効能など、信仰を持つことのメリットについても考えてみてはいかがでしょうか。
宗教や教団は現代でも本当に必要とされているのだろうか、と自らに問う時、私は率直に言って、その将来に対して悲観的にならざるを得ません。しかし宗教を学び、「宗教は自分の生活や人生のために利用しても良いのだ」と考えてくださる市民の方が増えれば、そこに希望はあると、そう思っています。
研究者プロフィール
専門=臨床死生学・実践宗教学
《プロフィール》(たにやま・ようぞう)1972年石川県生まれ。東北大学文学部卒業。東北大学大学院文学研究科 博士後期課程修了。博士(文学)。長岡西病院ビハーラ病棟にビハーラ僧として勤務した後、四天王寺大学人文社会学部准教授、上智大学グリーフケア研究所 特任准教授・主任研究員を経て、2012年より東北大学大学院文学研究科准教授。21年4月より現職。一般社団法人日本スピリチュアルケア学会副理事長。一般社団法人日本臨床宗教師会事務局長。著書に『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』、『医療者と宗教者のためのスピリチュアルケア 臨床宗教師の視点から』、編著書に『仏教とスピリチュアルケア』、共著書に『スピリチュアルケアを語る ホスピス、ビハーラの臨床から』、共編著書に『スピリチュアルケアを語る 第三集 臨床的教育法の試み』など。