東北工業大学 ライフデザイン学部 准教授
「人的資源管理」を知っていますか?
アメリカの労働市場や企業経営について研究しながら、実際に新商品開発に関わったり、学生たちにそれを体験させる講義をしています。本学では地域課題の解決に挑む「プロジェクト研究所」を20ほど展開していますが、私はその一つである「マーケティングサポート研究所」の代表者です。地元の事業者の皆さんのため、他の先生方や学外のコンサルタントの方と共に、商品開発・販路の開拓・宣伝広報などに取り組んできました。
マーケティングは、消費者のニーズを調べ、それに応える商品やサービスを開発し、供給するまでの全過程です。しかし中小企業の多くはその重要性を認識していても、担当者を置く余裕がないなどの理由から、取り組みは十分ではありません。
「良いものを作れば売れる」「長年作ってきたものを変えたくない」という姿勢で、売上が伸び続けているなら良いでしょう。しかし社会も消費者の意識も、大きく変化し続けているのが現代です。算出方法や業種にもよりますが、「日本の企業の平均寿命は約30年」とも言われます。たとえ何十年と成り立っていた事業も、変化に適応できなければ継続さえ望めません。
それでは企業がマーケティングを機能させ、変化の激しい時代を生き抜くために、もっとも大切なものは何でしょうか。私はそれは「人」だと考えます。
経営学では、経営資源をヒト・モノ・カネ・情報の4つの要素で考えます。ヒトに関する企業の活動は、長らく労務管理や人事管理と呼ばれてきました。しかしアメリカではヒューマン・リソース・マネジメントという言葉が定着し、日本でもこれを訳した「人的資源管理」という言葉が普及しつつあります。そして私たち研究者はこの言葉を、「4つの資源の中でヒトこそがもっとも重要だ」という考えで用いているのです。
「人も資源」とか「従業員を管理」と聞いて、抵抗を感じる方もいるかもしれません。「家族的な経営」を否定はしませんが、もし業績が上がっていないのであれば、経営学の成果も取り入れて、合理的な経営を目指してはいかがでしょうか。経営資源のうち、モノもカネも情報もたしかに大切です。しかしそれらを生み出したり使いこなすのは人ですから、経営でまず優先するべきは従業員のマネジメントだと考えましょう。
これは「働く人を大切に」とか「従業員こそ宝」といった、スローガンの話ではありません。マーケティングと同様、働く人についてもその個人の生活や価値観を理解することから始め、制度を改めたり新たに創設したりなどした上で、その成果を評価して次に活かすべきです。マネジメントとはこうした活動の全体であり、日本語では「管理」となります。そしてこの「人的資源管理」が、私の主な研究テーマの一つです。
リテンション・マネジメントをしていますか?
今の日本では、働く側はかつてのように「会社任せ」では安心できず、企業の側は少子化で労働人口が減り続ける現実を直視せざるを得ません。経営側はこれまで以上に働く人のことをよく知ってその生活を考える必要がありますし、働く側も経営をよく知って、そのあり方を考える必要があります。
もちろん相互の対話は絶対に欠かせません。対話は、労働条件や会社の今後をめぐる真剣なやり取りになることもあるでしょう。アメリカでは昨年、自動車業界の組合が企業の枠を超えた大規模なストライキを行いました。しかし日本では、組合の組織率が16%をわずかに超えるほどしかありません。これは経営側が、組合を通してではなく一人ひとりの働き手との、対話の場と時間を持つ必要があるということでもあります。
実はアメリカでは、この点でも先行しています。特に大企業間や成長産業では人材の争奪戦が激しく、採用後・獲得後もリテンション、日本語にすれば「引き留め」のマネジメントがもはや常識なのです。報酬を上げることはもちろん有効ですが、きわめて高度な技能や知識、実績を持つタレント人材は、収入や付加給付面だけでは判断しません。働きやすさや私生活への配慮、自分がどれだけ必要とされ、任される仕事でどのように成長できるかなどを総合的に考えて、働き続けたり移籍したりするのです。従って上司や経営側は、対話によって常にそうしたニーズを把握し、応えようとします。
こうした「リテンション・マネジメント」は日本でも、また一般の従業員に対しても欠かせません。若い世代を中心に、より良い収入や働き方を目指して転職することが当たり前になった現在では、積極的かつ制度的に取り組む必要があるのです。
上司と部下が二人だけで行うミーティングを「1on1(ワンオンワン)」と言います。これは部下を評価したり管理したりするための面談とは違う、双方向的なコミュニケーションです。プライバシーへの配慮はもちろん必要ですが、上司は仕事だけでなく経済状態や家族のことを含む生活全般について部下の話を聞き、働き方や会社の経営についての意見も述べてもらいます。
双方の就業時間内に行うため、これをムダだとか現実的ではないと考える経営者もいます。しかし一定の時間的コストをかけてでも、長期的にはそれを上回るリターンが期待できることは明らかです。せっかく仕事を覚えた人材の流出を食い止め、代わりの従業員の採用・教育コストといった損失を防げるからです。また上司や経営陣も、新たな事業や業務改善のヒントが得られたり、互いの信頼を深めたりすることで自分たちも働きやすくなるなどの効果があります。
ワークとライフの「統合」を考えませんか?
私は学生たちの就職活動のサポートもしています。今は学生側の「売り手市場」ではありますが、企業研究の方法や求人票の見るべきポイントなど、細かい指導を心がけています。
一方で統計上、長期にわたり、四年制大学の新卒者のうち約3割が3年以内に辞めています(753問題)。仕事の内容、働き方、職場の雰囲氣など理由はいろいろでしょうし、学生の側も就活の際にそれらをもっとよく調べ、考えるべきです。しかし同じことは、実は採用する企業の側にも言えます。「募集しても人が来ない」「若い人はすぐ辞める」と嘆くだけでなく、若者の感覚や考え方を知って理解するよう努め、それを踏まえて情報発信や採用活動を行うなど、もっとよく調べ、考えていただくことも必要です。
また採用後も、今は「仕事は見て覚えろ」では通用しませんから、教育プログラムを整備する必要があります。また社内の業務全体を細かく書き出して説明すれば、他の部署の仕事の重要性を理解したり、本人が将来像や目標を明確に描けたりするようにもなるでしょう。
アメリカはもはや突出した経済大国ではありませんが、今もなお他に先がけて新たな価値を生み出そう、失敗を恐れずに前に進もうとする活氣があります。経営面でも働き方や生き方の面でも、学ぶべきことは少なくありません。日本の文化や環境に合わせて、取捨選択やアレンジをすれば良いのです。
ワーク・ライフ・バランスという言葉は、日本でも定着してきました。労働時間の短縮や私生活の充実を目指す取り組みはもちろん大切です。しかしアメリカでは既に、これを超える「ワーク・ライフ・インテグレーション」という概念が広まりつつあります。インテグレーションは「統合」ですね。
仕事と私生活のバランスというと、100のものを何%ずつに分けるのか、1日を何時間ずつに分けるのか、という発想になりがちです。しかしライフは生活であるだけでなく「人生」でもありますから、楽しく働けることを優先して仕事や職場を選んだり、家事を大切な労働と考えたり、育児を自分も成長できる貴重な機会と捉えたり、標準や伝統に縛られない自分らしいライフプランで生きる道もあって良いはずです。ライフとワークを分けないこうした生き方をしたい人は、若者を中心にアメリカだけでなく日本でも増えていますし、それを許容したり前提としたりする企業文化も広がりつつあります。
今年、私が筆頭編集者として企画した『入門 人的資源管理論』という本が出る予定です。大学生だけでなく、企業の経営者や管理職にとっても、そして働いている人にとっても、学びと氣づきに満ちた本になります。ぜひ手にとっていただいて、お仕事や生活に活かしていただければと願っています。
研究者プロフィール
専門=アメリカ労働市場論・労働経済学・人的資源管理論・マーケティング論
《プロフィール》(さとう・あすか)1976年岐阜県生まれ。金沢大学経済学部卒業。金沢大学大学院 社会環境科学研究科修了。博士(経済学)。文部科学省「知的クラスター創成事業」常勤研究員を経て、2008年、東北工業大学ライフデザイン学部に講師として着任。2011年より現職。東北工業大学マーケティングサポート研究所所長。共編著書に『入門 人的資源管理論』、共著書に『価値創発(EVP)時代の人的資源管理 Industry4.0の新しい働き方・働かせ方』、『経営労務事典』、『明日を生きる人的資源管理入門』など。