研究者インタビュー

市民と生態学者が共に調べた成果

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東北大学大学院 生命科学研究科 教授
占部 城太郎 先生

震災前後の海辺の生物の比較調査へ

 私は横浜の丘陵地に生まれ育ち、子どもの時は雑木林や湿地で虫や魚をとって遊んでいました。東京水産大学、現在の東京海洋大学に進んだのは「海に潜りたい。潜水部のある大学に行こう」という動機からです。ところが船酔いに弱かったことで海洋学は断念します。たまたまダム湖のプランクトンを調べていた先生に出会い、これが面白かったため、湖や沼、川などを対象とする「生態学」の研究者になりました。大学院を終えて千葉の博物館に勤めた時は、地域の昆虫などを採取して調べる業務だったため、親には「子どもの時と同じことをやって仕事になるのか」と言われました(笑)。

 もちろん生物は環境とつながり合っているため、大きく生態系そのものも研究しています。東日本大震災が発生した2011年3月11日は、札幌で行われていた日本生態学会の大会中でした。札幌も大きく揺れ、照明器具などの落下に備えて全員で会場の外に出ると、テレビが宮城県の被害を報じています。関西に出かけていた家族とはすぐに連絡がつき、研究室の学生も、その日のうちに無事が確認できて安心しました。

 3日後にようやく交通機関が動きましたが、津波に襲われた仙台空港だけでなく、首都圏の空港も使えません。一度大阪まで飛んで、さらに東根市の山形空港に飛び、山形市からバスで仙台に戻りました。不眠不休で支援活動をしておられた医学部や工学部の先生もおられましたが、生物学系のわれわれには何もできません。用もなく、大きな被害を受けた沿岸地域を訪ねることがためらわれました。

 4月になって、環境NPOの方から「現場を見てほしい」と連絡が入ります。まだ津波の跡が生々しい雄勝や石巻の沿岸をご案内いただいて、強い衝撃を受けました。そして「これは震災後の生態系がどうなるのか調査をするべきだ」と決意します。

 満ち潮のときは海に、引き潮のときは陸になる干潟(ひがた)は、そこに暮らす生物の珍しさや種類の多さから、生物多様性に富んでいます。震災前のデータもあったため、生態系の変化や回復を調べるには最適です。私たちは調査地を、仙台湾の干潟8カ所に絞りました。しかし、どれくらい長く調査したら生態系の変化や回復がわかるのでしょうか。海辺の生物には、1年で子孫を作る種もあれば、成熟に3年ほどかかる種もいます。そこで、3世代9年間調べたら津波の影響が分かるのではないかと考えました。研究者や学生だけでは、とても人手が足りません。研究室の同僚の先生が、震災前から市民や子どもと一緒に海辺の自然を調べる活動をなさっていたため、その経験を活かそうという話になりました。

生態学研究における大きな成果

 まだ多くの方が避難所で生活していた状況です。我々だけでは、とても調査はできませんでした。ところが自然に親しんでもらうため、国内外で市民の方々に現地調査をしてもらおうという活動を1993年からしていた、東京に本部を置くNPOが協力を申し出てくださったのです。さらには、研究室のOBや県内の高校の先生等がスタッフとして加わり、資金面で支援してくださる企業も見つかりました。こうして市民参加型のプログラムをスタートさせ、2011年から各エリアで毎年5回から6回の調査を行い、2019年までに延べ500名もの方々に、ボランティア調査員として参加していただくことができたのです。

 津波で「壊滅した」としか表現しようのなかった干潟にも、実は2割から3割の種類の生物が生き残っていました。それに干潟もそこに暮らす生物たちも、数万年、数十万年の歴史の中では、何度も大津波に遭遇してきたはずです。しかし、再び同じような生き物たちが見られるかは予想できませんでした。大津波後の沿岸生態系の変化を調べることは、生態学の課題としても重要だったのです。

 生態学では大規模な環境の変化を「撹乱(かくらん)」と言います。生き物の種類によっては、これは決して悪いことではありません。生息域を広げたり、子孫を残すのに都合が良い環境になったりするからです。開発や動植物の持ち込みなど人間による撹乱は様々な問題を引き起こします。しかし、自然現象であれば、撹乱は単なる良し悪しで語ることはできません。

 たとえば同じ仙台湾の干潟でも、生息している動植物の種類や数はそれぞれ違います。従って、同じ場所に干潟が形成されたとしても前と同じ種類の生き物たちが戻るのか分かりません。もし戻るのならば、その土地特有の生態系は偶然に形成されるのではなく、環境が決定的だと証明されます。さらに、震災の影響は、生態系を大きく変化させるものではなかったと結論付けることができます。そして結果は、まさにその通りでした。

 市民が参加する調査は、楽しくなければいけません。年齢は中学生から高齢者まで幅広く、被災前の干潟で遊んだ思い出のある方も、勤め先の企業の社会貢献活動で派遣されて来た、東京のオフィスビルで働いている方もいます。調査経験のない「素人」であることは、大きな問題ではありません。大切なのは、すべての場所で、毎年、調査の質を同一にすることなのです。

海辺は楽しさと驚きに満ちている

 調査ボランティアは、常に12人がひと組です。詳しい説明もなしに、「今から他の人と重ならないように散って、15分間で生き物だと思ったものは何でも袋に入れて戻ってきてください」とお願いします。すると一見何もないように見えた海岸でも、様々な植物や虫や貝がいることに氣づかれるのです。全員が取ってきた種もあれば、一人しか見つけられなかった生物もいます。希少な生物を見つけた人はうれしいし、他の人は悔しい(笑)。

 次はスコップを配って「今度は土の中の生き物です。深さ30センチの穴を掘って、見つかったものを全て持ってきてください。穴は一人15個です」と言うと、「ここにいそうだ」と思う場所をみんな一斉に掘り始めます。そうして集めた生き物を図鑑などで調べ、名前が判明するたびに大いに盛り上がりました。最後には、今日の調査が沿岸生態系の変化や回復を解析する貴重なデータであることを説明し、感謝します。

 2022年、私たちは調査の結果を公表しました。被災した干潟の生態系は、津波による撹乱から7~8年程度で回復する力のあることが分かったのです。論文は、海洋学の分野で国際的な評価を得ている学術誌に掲載されました。

 2016年には、日本生態学会の東北地区会長だった私が編集代表を務め、それまでの知見を市民向けの『生態学が語る東日本大震災』という本にまとめました。また2023年には『仙台湾の砂浜生物ポケットブック』を作成し、無料配布しました。仙台湾の砂浜に生きる動植物をカラーで紹介し、見つける楽しみや見分ける喜びを味わってもらうための小冊子です。

 仙台は都会でありながら、すぐ近くの海で散歩、釣り、海水浴、サーフィンなどができ、山に行けば氣軽なハイキングから本格的な登山まで楽しめます。そうした幸運な場所に暮らしているのだから、海岸や山の自然を楽しまないのはもったいないのではないでしょうか。

 震災後、海岸線には高い防潮堤が建設され、その内陸側には、山砂でかさ上げされた防災林エリアが造成されました。私はいずれも否定はしません。しかしもう少し時間をかけて検討したり、我々研究者の知見を取り入れたりはできなかったのかとは思います。たとえば砂浜を維持し、防災林を海側に、防潮堤をそれより内陸側に作ることで、貴重な生態系を守ることができるはずです。法律や予算や時間の関係でできなかったというのであれば、今からでもそうした復旧・復興のあり方を検討し、準備して「次」に備えるべきでしょう。

 私たちは東日本大震災で、自然の脅威をあらためて胸に刻みました。しかし海は、私たちに大きな恵みも与えてくれます。それは産業面や、経済的な価値だけで計ることはできません。たとえば海辺に生きる多彩な生き物たちは私たちをなごませ、楽しませ、そして驚かせてくれます。海や川は内陸部の自然とつながり合って、複雑でかけがえのない大きな生態系を構成しているのです。ぜひ実際に海辺へと出かけ、自然に触れて、知って、学んで、考えていただければと思います。

(取材= 2023年11月22日/東北大学青葉山キャンパス生物学系研究棟3階
           占部教授室にて)

研究者プロフィール

東北大学大学院 生命科学研究科 教授
専門=生態学・陸水学
占部 城太郎 先生

《プロフィール》(うらべ・じょうたろう)東京水産大学水産学部卒業。同大学院 水産学研究科修士課程修了。東京都立大学大学院 理学研究科単位取得退学。理学博士(東京都立大学)。千葉県立中央博物館 学芸研究員、東京都立大学理学部助手、ミネソタ大学生態進化行動学教室 客員研究員、京都大学生態学研究センター助教授等を経て、2003年より現職。著書に『湖沼近過去調査法 : より良い湖沼環境と保全目標設定のために』、共編著書に『生態学が語る東日本大震災』、共著書に『阿寒湖の大自然:最新研究が解き明かす「火山・森・湖」とアイヌ民族の物語』、訳書にワーウィック・ヴィンセント『湖の科学』、ブロンマーク&ラスアンダース『湖と池の生物学』など。東北学院大学の『震災学 vol.4』にも寄稿している。

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