研究者インタビュー

怪異と幻想の世界を描く日本文学

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宮城学院女子大学 学芸学部 教授
深澤 昌夫 先生

昔から怪談好きだった日本人

 本学では4年前まで、「夏の怪談教室」と題する公開講座を行っていました。副題は「怪異と幻想の日本文学」です。私は怪談を専門的に研究しているわけではありませんが、企画と講話を担当いたしました。2016年の第1回から毎回ほぼ満席で、市民の皆さんには大変好評でした。新型コロナウイルスの感染拡大で中断し、現在は私が多用を極めているため、しばらくお休みをいただいております。いずれまた再開する予定です。

 他の先生にもご協力いただいてホラー映画なども取り上げましたが、皆さん本当にこわいものがお好きですね。という私も、実はタレントの稲川淳二さんが語る怪談の大ファンです(笑)。しかしなぜ私たちは、わざわざ「こわいもの」や「おそろしいもの」を求めるのでしょうか。そしてなぜ科学の発達した現代に生きる私たちは、何百年も前に成立した怪異や幻想の物語を受け入れたり、登場人物に共感したりするのでしょうか。

 私が講話で主に取り上げたのは、世阿弥(ぜあみ)の能「井筒」、江戸時代の怪談「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」、泉鏡花の戯曲「天守物語」の3つです。世阿弥が室町期に大成した能では、「井筒」に限らず、しばしば死者が生者に語りかけます。そして僧侶などの聞く側は、ひたすら恐れるのではなく、共感や敬意をもって耳を傾けるのです。

 江戸末期から明治期にかけて活躍した落語家の三遊亭円朝は、怪談噺ばなしの創作で知られ、「牡丹灯籠」はその代表作です。落語家は人を笑わせるだけでなく、噺家(はなしか)の別名もある通り、怪談や人情ものなど多彩な物語を口演します。「牡丹灯籠」で描かれるのは、亡霊である女性と生きている男性との切ない恋愛です。単に恐ろしいだけではない、人の情の深さや運命の残酷さが、現代の私たちの胸にも迫ります。

 「天守物語」は1917年(大正6)に発表されました。魔界の存在である女性と若い武士との恋物語が、姫路城の天守閣を舞台に繰り広げられます。1951年(昭和26)に初めて上演され、その後は歌舞伎やオペラにもなりました。「牡丹灯籠」も何度も映画や演劇になっていて、私たちにはおなじみですね。

 このように、日本の文学にとって怪異や幻想は重要なテーマです。怪談だけではありません。古代の「記・紀」神話も、かぐや姫の『竹取物語』も、天上の世界や死後の世界など、この世のものではない存在を描いています。『源氏物語』『今昔物語集』『平家物語』にも、不思議な出来事や亡霊が当たり前のように出てきます。その『平家物語』を、琵琶法師が怨霊たちに弾き語りで聞かせる「耳無し芳一」の物語は、小泉八雲の『怪談』によって、明治期に広く知られるようになりました。日本文学における怪異と幻想の伝統は、古代から脈々と受け継がれているのです。

もう一つの見えない世界

 日本の社会は明治維新と敗戦によって大きく変わりました。近代以降は合理性が尊重され、文学でもリアリズムが主流であるかのように思われています。戦後は欧米の価値観がさらに普及しました。そして21世紀の現代はグローバリズムの波に洗われて、日本の伝統的な感覚や文化は、すっかり影が薄くなってしまったかのようです。

 しかし私はそうは思いません。「目に見えるものが全てではない」「目には見えないもう一つの世界がある」という日本人の感覚や文化は、文学、芸能、映画、さらにはマンガ、ゲームなど様々な形で表現され続けています。海外から入ってきたものに抵抗し、あるいはそれを取り込みながら、いっそう発展しているとさえ言えるでしょう。

 日本の宗教は現世利益(げんせりやく)的です。しかし一方で、あらゆるものに命や魂が宿っていると考えたり、森や山に神を感じて大切にしたりする心を、今も多くの人が持ち続けています。また先祖の供養では仏教のしきたりを守りつつ、キリスト教の行事も楽しむなど信仰には寛容です。これらの宗教が生まれた国以上に、民衆的・市民的な広がりを見せることも珍しくはありません。

 たとえ非合理的と言われても、科学で証明されていなくても、私たちは「目には見えない存在」「もう一つの世界」を大切にしてきました。怪談も幽霊も妖怪も、単なる娯楽や流行として消費するのではなく、そこに人間や世界の真実を見て、文化として現代へとつないできたのです。

 「おそれ」を漢字で書くと、恐れ、怖れ、畏れなどになります。畏いは「かしこまる」とも読みますね。「畏敬の念」という言葉もあって、これは相手の威厳や威光を敬う氣持ちを表しています。目には見えない存在、もう一つの世界をおそれることは、決してマイナスだけの感情ではないのです。

 地震、津波、噴火、洪水と、日本の歴史は災害の歴史であり、日本列島は災害列島です。人は無力さを感じ、自然の大きな力を畏れ、敬ってきました。東日本大震災でご家族を亡くした方が、夢で会いに来てくれた、実際に姿を見た、とおっしゃることがあります。災害で突然の不幸に見舞われた方のそうした話を否定することなく、傾聴したり共感したりするのも私たちの文化です。被害をもたらすもの、未知のものは、確かにおそろしいでしょう。しかし、たとえそれが幽霊であったとしても、自分を愛してくれた者、よく知る者を受け入れ、見守ってくれていると思うことは、決して悪いことではないはずです。

東北の鬼を訪ねる旅へ

 先ほどご紹介した泉鏡花に学んだ、岩手県出身の佐々木喜善(きぜん)という人をご存じでしょうか。文学を志し、鏡花の筆名にあやかって「鏡石」という筆名を用いたこともあります。彼が鏡花と同世代だった柳田国男の知遇を得て、故郷の伝説や民間信仰を語ったものが、有名な『遠野物語』に結実したのです。喜善は岩手・東北に伝わる伝承を調べて自らも本にまとめ、これが縁で10歳下の宮沢賢治とも親交を結びました。

 賢治にも「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」など伝承に取材した童話がいくつかありますが、代表作である「銀河鉄道の夜」なども、「目には見えない存在」「もう一つの世界」を描いた幻想的な作品です。童話集『注文の多い料理店』の序文に、賢治は「ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。」と記しました。

 もしかしたら東北は怪異と幻想の宝庫であり、そうした物語が産まれやすい土地なのかもしれません。東北ならではの人間と自然との、あるいは人知を超えた存在との交流や葛藤が、彼らの優れた仕事につながったことだけは間違いないでしょう。

 歴史的に東北は、征服され、支配され続けてきました。一方でそれに抵抗し、乗り越えることで力を得て、独自の文化を育んでもきたのです。そして「鬼」こそは、その象徴に他なりません。鬼はキと読むと、死者の魂を意味します。また鬼才という言葉があるように、常識を超えた能力のことも指すのです。東北各地には、平安期の征服者である坂上田村麻呂を讃える史跡や伝承が、数多く残されています。しかし抵抗した蝦夷(えみし)たちの事跡も、「退治された鬼たち」や「勇猛だった首領」の物語として、今に伝えられ続けているのです。

 本学で私が担当する「東北の文学・文化・ことば」という授業では、学生たちが架空の旅行会社の社員になって、読者を「鬼伝説の旅」へと誘うパンフレットを作っています。「鬼社長」はもちろん私です(笑)。社員たちは宮城県の鬼首(おにこうべ)や岩手県の鬼死骸(おにしがい)を訪ねて地名の由来を調べ、鬼剣舞(おにけんばい)の顔出しパネルで記念撮影し、福島県の安達ヶ原でおにばばソフトに舌鼓を打ちました。こわいものやパワースポットが大好きな、彼女たちにしか作れない力作です。

 思い返せば私が大学生のとき初めて本格的に取り組んだのは、上田秋成の怪異小説集『雨月物語』でした。研究者になったのは、おそろしくも美しい物語に魅せられたことがきっかけだったとも言えそうです。

 皆さんも「おそれ」を遠ざけるだけでなく、文芸や芸能として親しみ、そこからさらに調べたり、知ったりすることによって学びを深めていただければと思います。

(取材=2023年5月22日/宮城学院女子大学 人文棟4階 深澤研究室にて)

研究者プロフィール

宮城学院女子大学 学芸学部 教授
専門=古典文学 演劇・芸能
深澤 昌夫 先生

《プロフィール》(ふかさわ・まさお)1963年岩手県生まれ。東北大学大学院 文学研究科 博士課程中退。修士(文学)。著書に『現代に生きる近松 ―戦後60年の軌跡―』、共著書に『日本の舞台芸術における身体 ―死と生、人形と人工体―』など。

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