研究者インタビュー

豊かな人生への学びは「平等な会話」から

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尚絅学院大学 人文社会学群 教授
松田 道雄 先生

発想を形にするワクワクこそが学び

 生涯学習や地域づくりを研究し、大学で教えながら様々な活動に関わってきました。「学び」と聞くと学校教育や、一人で勉強するイメージが強いかもしれません。しかし実は、自分の興味関心や実現したい発想が先にあって、それを他の人たちと形にするワクワクする過程こそが「学び」の本質なのです。

 私がこう考えるようになったのは、山形大の学生時代です。将来の職業もはっきりしないまま「考え方そのものを学ぼう」と哲学を専攻しましたが、入学当初は引きこもりのような生活で、自室に新聞や美術雑誌、米国の『TIME』誌などを広げ、切り抜いたり整理したりして自分なりの方法で世界を知ろうとしていました。

 やがてクリエイティブな活動への興味から、美術史などを扱う美学の研究室に入ります。その縁で知り合った美術教員を目指す学生たちと話すのが楽しくて、「自分で作品を作らなくても、創作する人と場を結んで表現するのは面白そうだ」と思うようになりました。プロデュースやコーディネートの発想です。学生の作品による商店街のディスプレイなどが実現すると、いろいろな方からお声がけをいただけるようになり、お付き合いの幅が広がっていきました。

 NHK山形放送局の方から「テレビの公開収録用に、何か新しいセットはできないか」と言われた時には、ビール瓶・ジュース瓶のケースを組み上げるというアイデア(「積み器」)を提案して採用されました。仲間たちと夜間にスタジオに入り、ケースに着色して形にしていく作業は本当に楽しかったですね。

 社会科の教員免許を取得して、卒業後は山形県山辺町(やまのべまち)の中学校に赴任しました。地元の方々に話を聞いたり文献を調べたりするうちに、町が民話の宝庫であることや、じゅうたん、ニットの生産が盛んで、ファッション業界でも高く評価されていることを知ります。「そのことを生徒たちは分かっていないし、地元に誇りを感じていない。美しいものを作っている工場も建物は地味で、町全体が殺風景な感じだ」と思い、美術教員になった仲間たちと企画を練りました。

 そして、工場や幼稚園の外壁に地元の民話をモチーフとしたカラフルな壁画を描いたり、共通のタグをつけた「山辺ニット」という地域ブランドを作ったりしました。「これは地域と環境を創造するプロジェクトとして国際的にも評価されるはずだ」と考え、世界的な腕時計メーカーであるスイスのロレックス社が主催する賞に応募したところ、1993年の佳作を受賞したのです。小さな町でも挑戦できることを実感しました。

交流に感じる喜びこそが学び

 教員をしながら地域づくりに取り組むうちに、私は大学院で勉強し直そうと思うようになりました。教員には1年目は職場を離れて研究し、2年目は仕事に復帰しつつ論文を仕上げるという制度がありました。私もこれを利用し、消えつつあった駄菓子屋をテーマに選びました。自身の経験から、駄菓子屋が子どもたちにとって楽しい学びの場だったと思い描いたからです。

 子どもたちに教えてもらった店を訪ね、店主の方にお話を聞き、店先での子どもたちの生き生きとした表情に触れるうちに、私は駄菓子屋の存在意義が、考えていた以上に大きいことに氣づきました。店は子どもたちにとって、評価や競争のある学校とは違う、お客さまとして扱ってもらえる癒しの場です。授業では学ぶ内容を選べませんが、店ではお菓子やくじ引きなど、お金の使い道を選べます。店の人は笑顔で歓迎してくれて、学校や家であった話を喜んで聞いてくれて、時には助言したり叱ったりもしてくれるのです。そして多くが年配者である店の方にとっても、子どもたちから元氣をもらえるかけがえのない場であることが分かりました。

 駄菓子屋は私に、学びや教育だけでなく、地域や生活、人生について考え直す機会を与えてくれました。私は学生時代や山辺町での経験から、自分のアイデアを人と一緒に形にする喜びを知っています。「駄菓子屋文化の消失はあまりにもったいない。これを新しい形で継承し、発展させよう」と考え、学校ならぬ「だがしや楽校(がっこう)」という造語を掲げ、大人も子どもも自分の売りたいものや見せたいものを持ち寄る集いを開きました。

 駄菓子屋前の公園を会場にすると、子どもたちは自然に集まってきました。声をかけたシニアのけん玉サークルの方々やマンドリンクラブの大学生たちが「店(見せ)」を出し、子どもたちと、そして出店者同士で楽しそうに交流していました。子どもも「店(見せ)」を出し、親たちが子育ての悩みを語り合ったりするようになると、「うちの町でもやりたい」「開き方を教えて」という声がどんどん広がっていきました。こうして私は全国各地の催しや小さな子どもの学びに深く関わるようになり、その経験を講演で話したり本に書いたりするうちに、大学の研究者としても歩むようになったのです。

 学校での学習がなければ今の私はありませんし、本からも多くのことを学んできました。しかしそれでも私は実際に人と交わること、互いに学び合うことの大切さを強調したいと思います。なぜなら他者との交流こそが人間の喜びであり、学びとは人生を豊かにするためのものだからです。

世代を超えた交流で高齢者が元氣に

 現在は「等話(とうわ)」の普及に力を入れています。これも「平等な会話」を略した私の造語で、お互いに短く話すよう心がけ、相手へ問いかけるだけで人生が変わるし社会が良くなりますよ、という呼びかけです。コロナ禍ただ中に出版した本には、《1.今、目の前の人との出会いに感謝する。2.お互いの話す時間が平等になるよう、心がける。》などの五か条を掲げました。私も常に守れているわけではなく、つい長く話してしまいがちな自分に言い聞かせている言葉でもあります(笑)。

 等話は家庭内や職場でも有効ですが、会議や社会教育の場に導入すると、空氣が一変して全く新しい世界が開けます。会議では「上の人」が多く話しがちで、それ以外の人は意見を求められても、なかなか本音は言えません。しかし皆が等しく発言できるように工夫をすると、驚くほど多様な意見が続出し、活発で創造的な議論が交わされるようになるのです。

 公民館などの社会教育講座でも、「偉い先生」のお話を聞き、アンケートに答えて終わることが少なくありません。しかし講話を短くし、参加者を小グループに分けて感想や自分の体験を語り合ってもらうと、受講者の満足度は格段に向上します。社会教育も学校教育も、人生を充実させ、学んだ成果を社会に還元する「生涯学習」の一部です。交流によって楽しく学べる講座や授業が、これからは主流になってほしいと思います。

 日本では公民館が、長く社会教育を担ってきました。たとえば仙台市には、公民館の機能に住民の交流や地域づくりの機能を加えた「市民センター」が、現在60館あります。しかしサークルへの貸し室や講師が教えるだけの講座ばかりでは、住民の生活に寄り添える存在にはなれません。事実、公民館の数は全国的に減少が続き、貸し室を主とするコミュニティセンターへの置き換えが進んでいるのです。

 行政も問題は認識していて、各地で改革が進められています。私は6年前から仙台市の公民館運営審議会の委員を務め、一昨年に会長を拝命してから、会議に等話の視点が取り入れられたり、審議の様子の写真がインターネットで公開になったりしました。市民センターが地域の方々にとって、より親しみやすい学びと交流の場となるよう、委員一同支援しているところです。

 もちろん若者たちにも、地域に住む方々と出会って交流できる公民館を、大いに活用してほしいと願っています。そして年配の方々も、経験や知恵を次の世代に伝えるとともに、若者たちと交流することでリフレッシュされてはいかがでしょう。本学にも、市民の方も1 科目から受講できる「科目等履修生制度」があります。私の担当する「生涯学習論」では、社会人の方、シニアの皆さんも大歓迎です。若者たちと触れ合うことで学びを広げ、生きがいを膨らませていただけるものと思いますので、ぜひ本学までお問い合わせください。

(取材=2023年2月10日/尚絅学院大学 4号館3階 松田研究室にて)

研究者プロフィール

尚絅学院大学 人文社会学群 教授
専門=生涯学習・社会教育・地域づくり論
松田 道雄 先生

《プロフィール》(まつだ・みちお)1961年山形県生まれ。山形大学人文学部卒業。中学校教員として勤務しつつ山形大学大学院 教育学研究科 修士課程修了。教育学修士。東北芸術工科大学研究員、高千穂大学教授、東北芸術工科大学教授を経て、2018年より現職。
著書に『等話 平等な会話があなたの人生と社会を変える』、『関係性はもう一つの世界をつくり出す』、『輪読会版・駄菓子屋楽校―あなたのあの頃、読んで語って未来をみつめて』など。

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