研究者インタビュー

被災地発の新しい観光ビジネス

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宮城学院女子大学 現代ビジネス学部 教授
宮城大学名誉教授・宮城学院女子大学名誉教授
宮原 育子 先生

東北で見つけた新しい観光のかたち

 専門学校を卒業後、旅行会社で11年の勤務を経て、大学に社会人入学しました。専攻は自然地理学です。その後大学院を修了し、宮城大学が開学した1997年、事業構想学部に講師として着任しました。東京から仙台に移り、旅行を仕事にしていた経験から、観光業を中心に地域活性化の研究に取り組んでいます。

 夫とともに東北を回った中で、山形県高畠町には二人とも特に魅了されました。ワインや温泉などの観光資源ももちろんですが、何よりも人が素晴らしかったのです。観光客をもてなす宿やお店の方々だけでなく、町の誰もが氣さくに話しかけてくださり、地域の楽しみ方を教えてくださいました。

 それがうれしくて何度も足を運ぶうちに「空き家があるから、借りて畑でもやってはどうか」と言われてそれに従い、「ちょうどいい土地があるから、いっそ住みなさい」と言われてその氣になり、まんまと高畠町に移住してしまいました(笑)。地域の婦人会では最年少。集まりでは幹事を任され、たくさんのことを教えていただきながら楽しく暮らしています。

 こうした経験から、私の観光業に対する視野は大きく広がりました。特別な観光資源がなくても、地域の姿勢しだいでは、熱心なファンやリピーターを獲得することができるのです。

 2002年にはゼミの学生たちとともに、鳴子温泉郷の活性化を手がけました。鳴子は泉質の種類も湯量も、国内屈指の豊かさです。しかし当時は他の温泉地と同様、団体旅行から個人旅行へという時代の変化に対応しきれていませんでした。

 JR東日本の温泉地キャンペーンの対象に、鳴子が選ばれたことがきっかけでした。ちょうど、観光客を送り出す側が仕切る「発地型旅行」に対して、受け入れる地域の側がアイデアを出す「着地型旅行」の魅力が知られ始めた時期です。学生たちは何度も鳴子に通って事業者の方々から聞き取りを行い、率直に意見を交わしました。そして、「街を歩けば下駄も鳴子」をキャッチフレーズとする企画の実現にこぎつけたのです。

 湯めぐりマップや貸し下駄、協賛店でサービスが受けられる「下駄手形」などを用意し、温泉街をゆっくり歩いてもらおうという内容でした。泊まった宿だけでなく、他の宿のお湯や、町なかの足湯も楽しめます。伝統を活かしつつ、長時間の滞在を促すこの工夫は、家族連れや若い世代など新たな客層も呼び込んで、大きな成果を上げました。

 また、木製の手形の製作には地元の福祉作業所があたるなど、地域の人々を結びつける役割も果たしました。このキャンペーンは、少しずつスタイルを変えながら今も続いています。そしてこうした成功事例で自信を得た若者たちが、卒業後も様々な地域で活躍しているのは、実にうれしいことです。

震災から立ち上がった観光地

 私は行政関係の委員などをいくつか拝命しています。2011年3月11日の午後も、その一つである仙台観光コンベンション協会(現・仙台観光国際協会)の会議に出席していました。地震が来たのは、会議が終わって間もなく。建物の3 階から駆け下りて、あわてて並木のイチョウにしがみつきました。

 揺れが収まると、まず県庁と青葉区役所を訪ねました。しかし役所も被災していて、情報を得ようとしてもままなりません。大和町の宮城大学キャンパスに向かって歩く途中、台原の手前で大学行きの路線バスに乗ることができました。その後は学生の安否確認や大学としての支援を検討する日が続きました。

 一方で、研究や地域活動でお付き合いがあった沿岸の方々の中には、亡くなられた方もいらっしゃいます。支援活動で被災地には何度か入りましたが、衣食住に困っている状況では、旅行や観光が専門の私がお力になれることは限られていました。しかしやがて復旧・復興へと動き出すにつれて、「交流人口」を増やすことの大切さが明らかになってきたのです。交流人口とは、その地域に住む「定住人口」に対して、通勤や通学、そして観光で訪れる人々を言います。

 沿岸部では多くの方が亡くなり、また他の自治体に避難したままの方も少なくないため、漁業・水産加工業・商業などが大きなダメージを受けました。もちろん観光業もです。しかし全国からボランティアの方々が来たり、地元のお店が集まってテントや仮設で事業を再開したりしたことで、交流人口が増えて活氣づき始めました。私も知識や経験を活かしてそうした活動を支援し、また、かさ上げしたり堤防を築いたりした後の土地の活用策を練るなどの形で関わらせていただいています。

 そうした中、ボランティアに来た若者たちが、その地を氣に入って移住したり、地域の魅力を発信したりする例が出てきました。観光業は、工業のように経済を急成長させ、一度に多くの雇用を生み出すことはできません。しかし日本、特に東北には豊かで多彩な自然があり、歴史の中で人々が築いて来た伝統があり、知恵や工夫を尊ぶ文化があります。地元の人が氣づいていなかった魅力を発見し、アイデアを出し合い、思い切って実行してみることができる観光業は、人口減に苦しむ地域を活性化させる可能性に満ちているのです。そしてこうした取り組みに、若者たちはぴったりでした。

地形や地層が国際的な観光資源に

 宮城学院女子大学では2016年に現代ビジネス学部が新設され、私は初代の学部長を4年間務めさせていただきました。「女子大でビジネス?」という声もあったようですが、「現代社会における女子としての自分を確立したい」「男子の目を意識することなく伸び伸びと学びたい」という志望者は多く、これまで入学定員を割り込んだことはありません。卒業生たちは新聞社や電力会社などの企業で活躍したり、生まれ育った町で起業家として奮戦したりしています。

 「古今東北」という食品ブランドをご存じでしょうか。震災で被災した生産者を支援するため、商品の開発や販路の拡大を目指して、2015年に誕生しました。みやぎ生協などが出資して設立された東北協同事業開発が、現在は約200点の商品を展開しています。そしてこの商品開発には、現代ビジネス学部のゼミ生たちも携わってきました。彼女たちがアイデアを出したりモニターとして試作品を評価したりして、地域の素材を活かした商品が次々と誕生しています。カステラなどのスイーツが加わったのは、女子大生ならではと言えるでしょう(笑)。

 東北の観光業は新型コロナウイルスの感染拡大によって、またも大きな打撃を受けました。実は観光業は宿泊施設や交通機関だけでなく、食材の生産や加工、お酒、リネンなど、地域経済に広く、そして深く関わっていますが、苦しい時ほど、それを乗り越えようとする新しいアイデアや人材も生まれてきます。キャンプなどのアウトドアツーリズム、近隣の観光資源を再認識するマイクロツーリズム、リモートワークと休暇の両方に適した環境でのワーケーション、インターネットで現地の人にガイドしてもらいながら対話も楽しめるオンラインツアーなどがそうです。これらの人氣から、旅行や観光が人間の根源的な欲求であることを改めて知ることができます。

 私が今力を入れているのは「ジオパーク」です。大地(ジオ)と公園(パーク)を組み合わせた言葉で、2015年にユネスコ(国連教育科学文化機関)の正式プログラムとなりました。知名度は世界遺産には及びませんが、ジオ(地形や地層)と人の暮らしの関係を伝える活動などへの注目は世界的に高まっています。日本でも、NHKの「ブラタモリ」が人氣ですよね。私は日本の認定機関である「日本ジオパーク委員会」の副委員長を務めています。ジオパークは東北にもいくつかありますが、地元の方や観光業の方には、もっとアピールしていただきたいです。ジオパークに限らず、自信を持って地域の宝を自慢し、未知の旅行者にも話しかけ、ネットも使いこなして、東北の観光業をさらに盛り上げていきましょう。

 震災後、東北では若者や女性が新たな事業に取り組みやすい環境の整備が進みました。地域の皆様には、彼らの挑戦を励まし、一緒に新しい東北をつくっていく支援を心からお願いしたいと思います。

(取材=2022年11月9日/宮城学院女子大学 講義館5 階 図書室・学会室にて)

研究者プロフィール

宮城学院女子大学 現代ビジネス学部 教授
宮城大学名誉教授・宮城学院女子大学名誉教授
専門=地理学・観光学
宮原 育子 先生

《プロフィール》(みやはら・いくこ)1954年東京都生まれ。旅行会社勤務の後、明治大学二部文学部卒業。東京学芸大学大学院 教育学研究科 修士課程修了。東京大学大学院 理学系研究科 博士課程修了。博士(理学)。1997年、宮城大学の開学と同時に事業構想学部に講師として着任。同助教授、教授を経て、2016 年、宮城学院女子大学 現代ビジネス学部の開設と同時に教授として着任し、初代学部長を4年間務める。著書に東北大学大学院経済学研究科 地域産業復興研究プロジェクト編『東日本大震災復興研究Ⅰ〜Ⅵ』(共著)など。

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