東北大学大学院 経済学研究科 教授
「企業家精神」と大災害
私の専門は経営学で、地域の企業活動を中心に研究してきました。株式会社はもちろん企業の代表例です。しかし企業とは本来、事業を企てて計画的・継続的に活動する組織のことで、広い意味ではNPO(非営利組織)なども含まれます。
目的が利潤であれ社会課題の解決であれ、それを達成するためには人を組織したり、計画を立てて活動を持続させたり、必要に応じて資金を獲得したりしなければなりません。目の前の活動に力を入れながらも広い視野を保ち、短期的な課題に取り組みながらも中長期的な展望を描ける人材が必要です。とりわけ現代では、このような人材が広く強く求められています。
東日本大震災の後、被災地では、生業を失った方々に仕事を作ろうと、地域性を活かした商品の開発・販売に取り組み、それが会社に発展したケースが多数見られました。被災者支援で始めた仕事作りは、結果的に地域からの人口流出を食い止める役割を果たしましたし、そこで作られた商品・サービスは、その地の名物・名産となって地域経済に貢献したり、納税という形で自治体を支えたりした事例もあります。産地の訪問や限定商品の購入を目当てに域外から人が訪れれば、交通や宿泊などにも好影響が及びますし、地域のファンになった人の移住に結びつく可能性もあります。災害は本当に悲しい出来事ですが、こうした意味では企業家精神が立ち上がり、発揮される機会にもなり得るのです。
大災害の後に企業家が生まれるというのは、歴史が証明しています。例えば死者・行方不明者が10万人以上に及んだ1923年の関東大震災の後にも、後に日本を代表する企業が数多く産声を上げました。また2005年にハリケーン・カトリーナに襲われた米国のニューオーリンズは、その後の復興過程で「起業家の街」と呼ばれるまでになっています。
東日本大震災の発生後も、岩手・宮城・福島での「開業率」が大きく上昇しました。開業率とは、総企業数に対する新設された企業数の割合です。被災したりそれまでの仕事を失ったりした方が、新たな事業を起こしたり、一方で、域外から来た人たちも数多く起業しました。支援活動で被災地に入り、悲惨な状況を目の当たりにしたことによって、人の企業家精神が呼び覚まされたり、最初から起業の機会を求めて来る人もいたりと、本当にその経緯は様々です。
地元の人と域外の人の情報やアイデアが交わって、新しい事業が生まれることも起こりました。被災地で出会った域外の人同士が交流することで、人脈が広がり資金を得られた例もありました。震災後に起きたこうした事例は、今でも被災地域の活性化に有益なヒントを与えてくれるはずです。
ボランティアがきっかけで移住して来たり、被災者の仕事を手伝っているうちにそれが本業になったりした人には、若者と女性が多いという特徴があります。大きな災害を経験したことで自分の生き方や将来を見つめ直し、被災地での起業に踏み切った人たちです。そのような人の中には、震災から10年以上が過ぎた今も、被災地に根を張って事業を続けている人がおります。
現代社会における「イノベーション」の意味
私は企業の「イノベーション」に着目して研究をしてきました。イノベーションを重視する経営理論は、20 世紀前半に活躍した、オーストリア出身の経済学者シュンペーターに始まります。経営学は経済学と混同されることが多いのですが、資本や商品の流れを大きく把握して理論化する経済学に対して、経営学では個々の企業活動の事例研究が欠かせません。私自身は、企業や地域レベルで生じるイノベーション活動に興味を持って研究をしてきました。
イノベーションは、単に技術革新という意味で使われることがあります。しかしその本質は社会に求められる新たな価値の創造であり、技術や商品の革新である以上に、人々の価値観の変革を伴うものなのです。たとえばインターネットの普及やスマートフォンの登場は、私たちの仕事や生活を劇的に変えましたし、社会の在り方にも大きな変化をもたらしました。
現代は人々のニーズや社会課題が速く、大きく変化しています。それを的確に把握して応える、新たな商品・サービス・事業を展開するイノベーションを起こさなければ、企業はやがては衰えていってしまうでしょう。
東北ならではの価値に目を向ける
私が経済に関心を強めたのは、高校生だった1987年にニューヨーク株式市場が暴落した「ブラックマンデー」からです。当初は法学部の進学を考えていましたが、結局、ダイナミックな社会の動きを扱う経済学のほうが面白いかもと経済学部に進学しました。経済学部に入ってから経営学という学問の存在を知りました。化粧品の商品開発や倒産した企業の事例を学ぶ中で、「人のにおいがする」経営学の面白さを知りました。しかし企業の経営や組織を学ぶうちに、「自分自身は組織に向いてないな」と確信するようにもなります(笑)。
「研究者の道に進もう」と考え進学した一橋大学では、事例を中心とした実証研究に力を入れておりました。特に1997年に設立された「イノベーション研究センター」では活発に日本企業のイノベーションの実証研究が行われており、野中郁次郎教授をはじめとする先生方が日本企業などを対象に刺激的な研究を多数発表されていました。そこでいろいろ刺激を受け、私もイノベーション研究を行うようになります。東北大学に職を得て仙台に戻った後、大学院の兄弟子でもある権奇哲先生とともに東北大学大学院経済学研究科に設立された「地域イノベーション研究センター」の活動に携わりました。以来、東北の企業ならではの特色を探求しようと、各地に経営者を訪ねてお話をうかがい、事例研究を重ねています。
そうした中、2011年3月11日、大学の5階にある研究室で震災に遭遇しました。揺れはきわめて大きく、最初は本棚から本が飛び出し、次いで棚そのものが倒れて来ました。あわてて机の下に潜って頭を守りましたが、揺れが収まってみると部屋は本の海。本をかき分け、内開きのドアをどうにか開けて、やっと屋外に避難しました。
震災の後、地域の復興に貢献しようと、東北大学ではいくつものプロジェクトが立ち上がりました。経済学研究科は「震災復興研究センタ一」を発足させ、私は「地域発イノベーション事例調査研究プロジェクト」の担当者になりました。約10社の企業の取り組みを紹介する、『地域発イノベーション』という事例集を、2012年から2016年まで毎年刊行しました。震災復興に限らず、東北の企業のイノベーション活動を集めた本ですので、ぜひ参考になさってください。
東北は震災以前から、人口減少や高齢化など、日本が直面している課題の「先進地」でした。しかし震災を機に、古い常識や価値観から人々を解放するイノベーションを起こしやすい「先進地」になったと言うこともできます。
工場を誘致して地域に多くの雇用を生み出したり、企業が上場を果たしたりすることには、もちろん大きな意味があります。しかし私は東北の企業と経営者を研究する中で、そうした数字にはならない価値に目を向けることの大切さを学びました。
東北には、伝統を守りつつイノベーションに挑み続ける企業や、地域との共存共栄を第一に考える経営者が少なくありません。また今は世界的に、環境・人権などの面から企業活動や投資活動に倫理が求められるようになっています。東北に受け継がれてきた自然との共生や、人のつながりを大切にする知恵は、大きなアピールになるはずです。
東北の自然、人、そして可能性に魅せられる人は今も増え続けています。私もその一人です。これからも、研究や教育を通して、地域の方々と共に歩み続けたいと思っています。
研究者プロフィール
専門=経営学・地域企業論
《プロフィール》(ふくしま・みち)1969年、静岡県生まれ。東北大学経済学部卒業。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(経営学)。1997年、東北大学大学院経済学研究科に助教授として着任。2000 年から2 年間、テキサス大学IC2研究所&マコーム・スクール・オブ・ビジネス客員研究員。2012年より現職。日本ベンチャー学会副会長、仙台市中小企業活性化委員なども務めている。
著書に『ハイテク・クラスターの形成とローカル・イニシアティブ』(白桃書房)、共著書に『地域発イノベーションⅠ〜Ⅴ』 (南北社)など。