研究者インタビュー

対話を促す哲学の視点

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東北大学 大学院文学研究科・文学部 教授
直江 清隆 先生

哲学の立場から科学技術を考える

 「技術は本当に人間を幸せにするか?」などの問題を、主に哲学の立場から考える研究をしています。便利さや効率のみを追求することが人間を置き去りにし、様々な環境や社会の問題につながっていることが、今では広く知られるようになりました。そしてそれらを支える科学技術にも、倫理的な視点が求められてきています。

 しかし私が子どもの頃には全く違いました。日本は高度経済成長に沸き、科学技術の進歩が未来を明るく豊かにすると、多くの人が信じていたのです。私も小学生の時から「科学者になりたい」と思い、高校では化学や生物の勉強に熱中しました。

 当時私が通った高校では、はっきりと文系・理系に分かれたりはしませんでした。ちょうど現在の共通テストの前身となる共通一次試験が始まった年にあたり、国公立大学に進学するには、理科も社会も2科目を受験する必要もありましたが、「入試の勉強は各自で」という考えでした。「倫理・社会」の先生も哲学者の名前が並ぶ教科書はほとんど使わず、「ヒューマニズムとは何か考えよう」とか「英語で相対性理論を読んでみよう」という授業でした。理系志望の私にとっても刺激的で、自分から哲学の入門書に手を伸ばしたりしたものです。

 大学は理科で入りましたが、教養課程で哲学を学ぶとますます面白くなり、2年生の半ばで進学先を選ぶ際には科学哲学を第一志望に、生命系を第二志望にしました。あのとき第一志望に落ちていれば、今頃は注目の的の生命科学の研究者になっていたかもしれないのに、と思うことが時々あります(笑)。大学院に進む際、科学哲学のコースが所属していたのは理学系研究科でした。それやこれやで図らずも「理学修士」で「博士(文学)」という、学位を持つことになりましたが、これは文理融合や学際的研究に関わる今の仕事に、役立っています(笑)。

 私は哲学の専門分野としては、主に現象学という分野を扱ってきました。技術を巡る哲学的な考察や、社会の現実的な問題に取り組む「応用倫理学」も主要な研究領域です。そして古代ギリシア以来、哲学で重要な意味を持つ「対話」についても、専門家の間、市民の間、専門家と市民の間など、様々な場面でのあり方を実践的に研究しています。今回のテーマである「社会との対話」に即して、まず「科学技術の専門家と市民社会との対話」についてお話ししましょう。

市民と専門家が「共同研究者」に

 ICT(アイシーティー/情報通信技術)の発達と普及は、私たちの生活や働き方を大きく変えました。コンピュータがまるで人間のように学習・判断をするAI(エーアイ/人工知能)や、電化製品・車などあらゆるモノが通信機能でつながり合うIoT(アイオーティー/モノのインターネット)などの新しい技術も、次々と実用化されつつあります。しかし一方で急速な変化や個人情報の問題に戸惑う人や、これからの技術の使われ方に不安や関心を抱く人も少なくありません。

 振り返ってみますと、2011年の東日本大震災では東京電力福島第一原発が爆発事故を起こし、放射性物質が放出されました。現在も新型コロナウイルスの感染拡大や予防ワクチンの問題、生命倫理の問題などが、メディアで数多く取り上げられています。「かつてのように専門家任せではいられない」「自分で知識を得て、考え、判断する必要がある」という意識が、広く社会で共有されるようになったのです。

 専門家の側も変わろうとしています。自ら市民に向けて説明の場を設けたり、自分の研究が実際の生活や仕事にどう役立つのかを訴えたりするようになりました。しかし「正確さと分かりやすさ」「説明と合意」などを巡って、専門家と市民の間には食い違いも目立ちます。それどころか専門家の間でも、文系と理系など、分野の枠を超えて対話したり合意したりすることはとても大変です。理想は高く持つにしても、現実には誤解や試行錯誤を恐れずに対話を重ねるしかありません。

 例として、私が関わっている2つの研究事業を紹介します。1つは「dSOIL(ディーソイル)プロジェクト」で、地球温暖化問題の解決に向けて、二酸化炭素に並ぶ温室効果ガスである一酸化二窒素とメタンの発生を減らそうというものです。内閣府が主導して挑戦的な研究開発を進める「ムーンショット型研究開発制度」に採択されました。実は一酸化二窒素とメタンの多くを発生させている人間の活動は農業で、水田も排出源として無視できません。このプロジェクトでは、2050年までに農地由来の温室効果ガスを80%削減するという目標を立てました。

 目標達成のカギの1 つが、一酸化二窒素を消去する土の中の微生物たちです。私たちは、「クールアース 地球冷却微生物を探せ」という市民科学プロジェクトを立ち上げました。全国の皆さんに土を採取して東北大学に送ってもらい、まだ知られていない微生物を一緒に探していただこうという企画です。興味のある方は「クールアース情報局」というホームページを、ぜひご覧ください。

 このプロジェクトには、広く市民に私たちの事業に関わっていただきたい、これまで以上に地球温暖化に関心を持っていただきたいという願いも込めました。そして専門家と市民が「共同研究者」となることで、環境や農業や食品に関わる科学技術についていっしょに考え、科学技術とともにどういう社会をつくっていくかについて対話が深まることを期待しています。

「自分で考える」人を増やしたい

 関わっているもう1 つの事業は、「人の幸せを大切にするIoT 社会のデザイン」というテーマのフォーラムです。東北大学と、東京エレクトロン株式会社が共に主催しています。同社は半導体やフラットパネルディスプレイの製造装置における世界的な企業です。社会貢献や未来への責任の観点から、海外の著名な研究者を招いて国際会議やワークショップを行う「東北大学 知のフォーラム」を支援していただいています。

 その一環である私たちの事業では、通常の内容に加えて、研究者・企業の技術者・(理工系および文科系の)学生・市民などが集まり、関心のありかや課題について対等な立場で語り合う「市民カフェ」を開催してきました。既に3回実施しましたが、市民の皆さんの関心は高く、専門家の側も、立場を超えて意見を交わすことの意義の大きさを実感しています。

 「社会との対話」というテーマの中でも、ここまでは「科学技術の専門家と市民社会との対話」のお話でした。もう1つ、「市民同士の対話の場」である「哲学対話」についてもご紹介しましょう。これについては、あるいは仙台市の施設である「せんだいメディアテーク」などで行われてきた「哲学カフェ」や、宮城県内の多くの学校で行われている「p4c(ピーフォーシー/子どものための哲学)」などをご存じかもしれません。

 これらの場は、他の参加者を攻撃しなければ、何を考えても何を言っても良いというルールで運営されます。同調圧力が強い日本社会では、こうした自由が保障された対話の場はきわめて貴重です。対話を楽しんだり視野を広げたりできるだけでなく、思考力や判断力を高めるトレーニングとしても有効で、医療系などの職場や、アクティブラーニングの授業にも導入されています。こうした動きを受けて2018年には、哲学研究者や教育関係者など多彩な人々が集って哲学対話について考える、「哲学プラクティス学会」も立ち上がりました。

 最後に、「社会との対話」というテーマから哲学に興味を持っていただいた方に、少しだけ哲学の宣伝を(笑)。哲学で大切なのは哲学者の名前や用語を覚えることではなく、自分で考えることです。小中学校の道徳も高校の倫理も、本当は自分で考えることの大切さや、面白さを学べる科目でなくてはなりません。現在の学習指導要領は思考力や判断力を重視して改訂され、大学入試もそう変わりつつあります。

 そして考えるための道しるべとして、対話とともに、ぜひ入門書や古典を手に取っていただきたいと思います。私たちの社会が今後も経済の発展を旗印にするのか、それとも個人がそれぞれの人生を豊かに生きられる柔軟な社会を目指すのかについて、「自分で考える人」が増えることが私の願いです。

(取材=2022年2月18日/東北大学川内キャンパス 文学研究科棟9階 哲学・倫理学合同研究室にて)

研究者プロフィール

東北大学 大学院文学研究科・文学部 教授
専門=現象学・技術哲学・応用倫理学
直江 清隆 先生

《プロフィール》》(なおえ・きよたか)1960年埼玉県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院 理学系研究科 博士課程満期退学。理学修士。博士(文学)。山形大学教育学部助教授などを経て、2005年、東北大学に着任。2013年より現職。
編著書に『高校倫理の古典でまなぶ哲学トレーニング(全2巻)』、『理系のための科学技術者倫理』、『高校倫理からの哲学(全5巻)』など。共著書に『教養教育と統合知』、『岩波講座 現代第2巻 ポスト冷戦時代の科学/技術』、『自然観の変遷と人間の運命』など。訳書にM. クーケルバーク『AIの倫理学』(共訳・訳者代表)、アクセル・ホネット『承認をめぐる闘争(増補版)』(共訳)、アンドリュー・フィーンバーグ『技術への問い』など。

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