宮城県公文書館企画展
「災害と公文書」―地震・津波と宮城県―
主催:宮城県公文書館
日時:2021年12月4日(土)~ 2022年2月26日(土)
場所:宮城県図書館2階展示室
1月半ば、南太平洋トンガ沖の海底火山が噴火し、その影響により日本の沿岸地域に津波がやってきました。津波の専門家は噴火爆発時の衝撃が起こした空振による津波の可能性を指摘しています。そのような折、県立図書館2階展示室で開催中の宮城県公文書館企画展「災害と公文書」に立ち寄ってきました。
宮城県は地震保険料が全国的にみても高い方です。その宮城県の地震・津波災害関連の公文書が展示室の一角にこじんまりと展示されていました。テーマ順に示すと、1.明治三陸地震・津波、2.昭和三陸地震・津波、3.チリ地震津波、4.昭和53年宮城県沖地震、5.東日本大震災と宮城県公文書館です。宮城県下では約150年の間に著名な地震津波により5回も被災しています。
明治三陸地震津波が起きた明治29年は全国的に大水害に見舞われた年です。河川法など治水3法が制定され、国によって防災対策が本格的に開始されたころです。宮城県では津波の後も北上川や阿武隈川で洪水災害が起きたことから、連続災害の復旧支援を国に要請した文書が展示されていました。
昭和35年のチリ地震津波では、当時の気象庁の津波予報は遙か遠いチリなどからの遠地津波は対象にしていませんでした。そのため津波警報は発令されず被災地では混乱を大きくしたようです。
調べてみると、日本の津波予報は昭和27年から気象庁で正式に行われています。それ以後、度々地震津波を経験し、地震津波の調査研究の進歩もあり、津波予報は充実強化されてきましたが、対する自然は驚異的です。あの東日本大震災では想定外の津波が各地に押し寄せました。地震規模の推定にも問題があったようですが、津波予測に関しても課題は残りました。
発災当時、勤務地だった石巻市で地震津波を体験しました。旧北上川河口部では誰もが予想もしない高さ8mもの津波が襲来し、多くの人々が犠牲になりました。昭和35年のチリ地震津波時、旧北上川河口部では水面が1m程度上昇し、浸水しました。津波の河川遡上で押し流された多数の船が橋で堰き止められ滞留し、この時の事故で犠牲者が1名でました。これが過去最大級の津波でしたが、この経験が地区住民の避難行動に災いしたのでしょうか。防災関係者も驚愕する津波でした。
旧公文書館書庫の被災状況(書棚から資料が落下、散乱)と新公文書館書庫の写真が展示されています。旧書庫は地震県のものとしては少々心許ない印象を受けますが、現在は免震機能付可動式の書庫に改善されています。東日本大震災級の地震でも貴重な公文書はしっかり保存されることでしょう。
トンガ沖海底火山噴火による津波は船舶や漁業設備などに被害をもたらしたようですが、沿岸地域の警報発令や深夜の避難行動にも混乱が生じたようです。今回の新たな経験が知見として加わり、今後、気象庁の津波予測、警報発令や関係機関の災害対策などが充実していくことになるのでしょう。ただ、歴史を振り返ると、自然界の森羅万象を予め予測して備えることの難しさを感じます。いつもながら自然には驚かされることが多いものです。
(仙台市・島田昭一)