研究者インタビュー

「知る」+「考える」で命を守る

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東北大学災害科学国際研究所 防災実践推進部門 准教授
佐藤 翔輔 先生

被災地の声に学んで防災・減災に活かす

 東北大学の災害科学国際研究所で、主に災害・防災に関するコミュニケーションの問題を研究しています。被災した地域の住民や自治体はその経験をどのように伝承・継承しているのか、また災害時の防災情報や避難指示を、市民はどう受け止めどう行動するのかなどを、現地を訪ね歩いて調べてきました。

 私が所属する「防災実践推進部門」は、研究所の研究成果を具体的に防災・減災に活かす役割を担っています。中でも「防災社会推進分野」では、予防から復興までのあらゆる場面、地域から国までのあらゆるレベルで災害に強い社会を作るために、市民向けの活動に取り組んでいます。

 私も編集に関わって2013 年に発表した『みんなの防災手帳』は、その成果の一つです。被災者の声を聴き、自治体と連携してハンドブックにまとめました。「発災~ 10 時間」など時の経過に応じた章立てにし、「今は何をするべきか」が分かる実践的な内容です。市町村ごとに情報を差し替えたものを作成し、自治体や企業などの協力で、岩手県では全市町村、宮城県でも4 つの市と町で全世帯に配布しました。

 また、私が執筆や監修を担当した『わかる!取り組む!災害と防災 2 津波』や『災害伝承の大研究 命を守るために、どう伝える?』という本は、小・中学生から読めるようになっています。ぜひ内容について家庭や教室で話し合うことで、実際の避難行動に結びつけてください。

 その地域で過去に起きた災害や、避難の用意と方法、そして生活や事業の立て直し方など、防災・減災においては正しい情報が欠かせません。インターネットの普及で情報の量は増えましたが、災害時には不正確な情報や、状況の変化に応じていない古い情報も広まります。基本的で確実な情報を家族や地域で共有し、コミュニケーションを密に取ることが命を救い、早期の復旧・復興につながるのです。

 私は東日本大震災の被災地を訪ね、住民の方のお話を聞くことに力を入れています。防災への取り組みや過去の災害の伝え方は地域ごとにどう違うのか、それは避難行動やその後の復旧・復興にどう影響するのかを調べてきました。正確な数値データをもとにした情報処理技術も活用して、災害に強い人・地域・社会のあり方を提示していきたいと考えています。

震災当日に京都を出て翌日仙台へ

 私の「実際に役立つ研究」への志向は、経歴と無関係ではありません。中学の時は理科と社会が大好きで、特に関心があったのは地球環境問題です。自分は基礎から積み上げるより、具体的で明確な課題の解決に向かって勉強するタイプだと自覚していました。そこで高校・大学ではなく、高等専門学校5 年・専攻科2 年というルートから大学院に進みました。

 長岡高専に環境都市工学科があったので「これだ」と思って入ったのですが、看板にやや偽りがあって(笑)、主に土木を学ぶ学科でした。しかし測量・土質工学・構造力学などが意外に面白く、これが災害というテーマへつながります。高専4年で研究室を選ぶ際は、土木から建築を経て地震防災を専門にしておられた、防災研究の先生にお世話になることにしました。

 私は構造物よりも「人」に興味があったのですが、土木工学を英語でシビルエンジニアリング、「市民の工学」と呼ぶことを知り、その思いを深めました。研究で取り上げたのは阪神・淡路大震災です。避難所に来る人数は何に規定されるのか、それを試算して資源の配置に活かすことは可能なのかなどの課題に取り組みました。こうして専攻科、京都大学の大学院へと災害研究の道を歩んだのです。

 京大大学院では、専攻科1 年の時に学会で出会った林春男先生にお世話になりました。ご専門は社会心理学で、当時の所属は情報学研究科の社会情報学専攻ですから、コンピュータや情報学の高度な知識が欠かせません。土木工学出身の私には厳しい環境でしたが、やがて面白さが分かるようになり、研究職を目指すことにしました。

 2010 年の夏、就職先として東北大学を受けた時の面接官は、津波工学がご専門の今村文彦先生でした。当研究所の今の所長です。採用していただき、翌11 年の4 月から仙台での研究生活が始まるはずでしたが、その直前に東日本大震災が発生します。

 京都も大きく揺れたため、「予測されていた宮城県沖地震ではなくもっと大規模なものだろう」と思ったのですが、そのとおりでした。林先生から「すぐに宮城に行け」というメッセージが入りました。隣の研究室に津波工学が専門の若手の先生がいて、「宮城県岩沼市に実家があるから車で向かう」と言うので、先生と交替で運転し、新潟を経由して、まず山形県にある妻の実家を目指しました。翌日には宮城県に入り、東北大学に挨拶だけして岩沼へ。幸い先生の実家も、仙台にあった私の親戚宅も津波の被害はなく、私はさっそく調査活動を始めました。

公的な情報を待たない、頼らない

 被災地を歩き、住民の方々に話をお聞きし、時には食事をごちそうになり、後にはお酒の輪に加えていただく中で、「この方たちのお役に立ちたい」という氣持ちが強まりました。そして市民の意識や行動をデータ化・理論化するという、自分の研究の方向性が見えてきたのです。現地で研究対象に出会い、仮説を立て、調査・検証して論文にするという流れができました。

 三陸沿岸では1896(明治29)年に2 万名以上、1933(昭和8)年に3 千名以上が地震と津波で亡くなっています。伝承や慰霊のための石碑を建て、啓発施設を作り、経験を語り継いできながら、東日本大震災でも多くの犠牲者が出てしまいました。しかし伝承の営みは、決して無駄だったわけではありません。

 昭和の三陸津波では、岩手県普代村の太田名部地区では100 名、洋野町の八木地区では79 名もの命が失われました。両地区ではそれ以来、石碑前での慰霊祭を70 年以上も継続し、毎年住民が集まって清掃やお供えをし続けたのです。この伝承と結びつきが東日本大震災では地域ぐるみの早期避難につながり、どちらも死者はありませんでした。

 岩手県陸前高田市の住民の意識調査でも、特に「過去の津波の被害を知っていた」「家族で話し合っていた」という人が、早期に避難して助かっていたことが分かりました。しかし災害に関する知識や避難意識の高さは、地域や自治体によって大きな差があります。過去に津波被害があった地域では「揺れたら逃げる」が基本ですが、東日本大震災から10 年が経過した今、決して徹底されているとは言えません。

 2021 年3 月20 日の宮城県沖地震では、気象庁の津波注意報と自治体の避難指示が出されました。それでも逃げなかった人に理由を尋ねると、「大きな津波は来ないと思った」「テレビ・ラジオ等での情報収集を優先した」という選択肢を選ぶ人が多く、経験や情報がマイナスに働いていることが分かります。「東日本大震災ほどではないだろう」と思ってしまう問題とともに、公的な情報が出るのを待ったり頼ったりしてしまう問題も深刻です。

 今は地震が発生すると、すぐに津波情報が発表されますが、高さが3 m を超える可能性がある大津波警報や、1 m 超の津波警報に比べて、1 m 以下の津波注意報では避難する人が減ってしまうのです。しかし50 cm の津波でも、人や車は流されます。そもそも津波情報は、実際に津波を観測する前に、できるだけ早く発表するための目安に過ぎません。2016 年11 月22 日の福島県沖地震では発生直後に津波注意報が出ましたが、これが警報に格上げされたのは、実際に1 m 超の津波が到達した後でした。

 防災において経験や情報を「知る」ことは大切ですが、自分で「考える」力も欠かせません。「対話」によって経験や情報を確かめ合い、防災や避難について考える機会を持つことが、実際の行動に結びつきます。ぜひ家庭で、教育の場で、職場で災害を話題にしてください。

そして私たちの生活が、自然の恵みを受けている一方で常に災害と共にあるのだということを、学び、考えていただければと思います。そうした「災害共生文化」とでも呼ぶべきものを共有する社会こそが、真の意味で災害に強い社会なのです。

(取材=2021年11月29日/東北大学青葉山キャンパス 東北大学災害科学国際研究所 5階 防災実践推進部門 防災社会推進分野 研究室にて)

研究者プロフィール

東北大学災害科学国際研究所 防災実践推進部門 准教授
専門=災害情報学・災害伝承学
佐藤 翔輔 先生

《プロフィール》(さとう・しょうすけ)1982 年新潟県生まれ。長岡工業高等専門学校専攻科卒業。京都大学大学院 情報学研究科修士課程・同博士後期課程修了。博士(情報学)。日本学術振興会特別研究員(DC2)(京都大学防災研究所巨大災害研究センター)。2011 年、東北大学に着任し、助教。大学院工学研究科附属災害制御研究センターと防災科学研究拠点(2012 年より災害科学国際研究所)に所属。2017 年より現職。監修書に『災害伝承の大研究 命を守るために、どう伝える?』、共著書に『わかる!取り組む!災害と防災 2 津波』など。

 

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