研究者インタビュー

東日本大震災のあらゆる記録を未来へ

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120超の機関の協力で記録を残す

 東日本大震災に関するあらゆる記録を収集し、国内外や未来に発信するプロジェクト「みちのく震録伝(しんろくでん)」で、マネジメントとシステム設計を担当しています。立ち上がったのは、震災があった2011年の9月です。震災の遺物そのものは、残念ながら保管の都合上収集できませんが、写真や証言などの膨大な記録を、主にデジタルデータとして保存し、研究や防災に活用するためのシステムの開発と運用に取り組んできました。

 実は1995年に発生した阪神淡路大震災については、現在の目で見ると驚くほど記録が残っていません。記録の重要性が認識されていなかったわけではなく、震災直後に記録を収集する体制が組めなかったことや、データをデジタル化しておく技術や機器が不十分だったことが大きな理由です。「みちのく震録伝」はこうした反省に基づき、可能な限り全ての記録を保存することを目指してきました。

 このプロジェクトの大きな特徴は、大学や研究機関という「学」だけでなく、自治体や行政機関などの「官」、企業などの「産」、そして市民団体などの「民」が力を合わせて進めている点です。賛同・協力をいただいている機関はおよそ120に上り、私はご理解とご協力をお願いするためにプロジェクトの意義を説明して回ってきました。

 記録の収集は、決してスムーズに行われたわけではありません。「学」の世界では、論文として発表する前のデータを提供することに抵抗感があります。「官」や「産」も、公開を前提とせずに記録された情報の提供には慎重です。「民」では、被災した方々への聞き取りやその内容の公開に配慮が必要ですし、市民が撮影した写真も、ただ集めるだけではなく日時や場所を特定したり、公開にあたって肖像権の問題をクリアしたりする等の必要があります。こうした困難を乗り越え、現在では公開しているものだけで12万点を超えました。

 「みちのく震録伝」は東日本大震災による被害だけでなく、その後の復旧・復興のプロセスや、将来起こる災害をも記録しようとするプロジェクトです。「民」の分野では、各地域の住民の方や消防OBの方に、現在も記録や情報の収集に当たっていただいています。

「震録伝」 http://shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/ にアクセス

研究者として悔やまれた大きな被害

 私は最初、建築構造の研究者としてスタートしました。高校3年生のときに阪神淡路大震災が発生し、神戸にいた兄の安否がしばらく不明だった経験から、「家族や友人の命を守る建築を」と考えるようになったのです。

 建築基準法に基づく新耐震基準は、1981年に定められました。1995年の阪神淡路大震災では建物の倒壊で多くの方が亡くなりましたが、この新耐震基準の導入以後の建物では、倒壊がほとんど見られませんでした。現在の耐震基準を満たした建物では、大きい地震が起きても、倒壊して人が亡くなることはほとんどないと言えます。

 こうしたことを学び、私は関心を「命を守る建物」から、「地域防災」や「災害情報」へと広げて学び続けてきました。建物自体がいくら丈夫でも、地盤によって被害の大きさはまるで違います。また古い建物が多い地域では、倒壊や火災によって被害が拡大したり深刻化したりする可能性が高いのです。自分や家族だけでなく地域の人々の命を守るためにも、自分が暮らす土地の弱点を知り、耐震改修を行い、防災訓練に参加するなどの対策が欠かせません。

 一方、かつては災害時の記録自体が市民の関心を集めることはほとんどありませんでした。東日本大震災後は、記録や資料の保管庫という意味の「アーカイブ」という言葉が知られるようになりましたが、私は以前から震災を記録する研究に取り組んでいたのです。

 3月11日は、東北大学青葉山キャンパスにある工学研究科の総合研究棟にいました。建物は14階建てですが、私の研究室は1階です。それでも揺れは激しく、「これは想定されていた宮城県沖地震を上回る規模だ。まずい」と思いました。私は大学の防災担当者として、学内に情報を発信するコンピュータの動作を確認し、受け持ちの学生たちが11階から階段を降りてきてから一緒に外に出ました。幸いモバイルでインターネットにつながったため地震の規模を知り、家族とも連絡が取れましたが、安否が取れていない学生達の対応に追われ、津波には考えが及びませんでした。

 帰宅できない教職員・学生ら100名以上と共に青葉山キャンパスの工学部中央棟という建物で夜を明かすことになりましたが、車のガソリンに余裕があったことから、さっそく当日大学にいなかった学生たちの自宅を訪ねて安否を確認して回りました。ほぼ全員分が確認できるまで、2、3日ほどかかったでしょうか。その後も片平キャンパスの大学本部に詰める日々が続き、自宅も建物は無事だったものの室内が乱れたまま2時間だけ眠るという生活が続きました。

 その後、大学全体の再開の見通しがつき、研究者として震災の実態解明に移りました。建築の専門家チームによる被害調査は、震災から翌々月の5月から始まりました。被災地40カ所に入って1万4,000棟の建物を調べ、それぞれの地域の建物の被災割合を算出し、震災の実態解明と今後の被害想定の基礎資料づくりを行っておりました。ようやく落ち着いて丸1日を自宅で過ごせるようになったのは、8月半ばのことでした。

 もちろん大変でしたが、地域防災を研究する者として、多くの方が亡くなったことには強い責任を感じずにいられません。研究が進んでいれば守れた命もあったはずだという悔いは、今もあります。今後も「命を守るための研究」に力を尽くしたいと思っています。

「被害がなかった」記録にも大きな価値

 東日本大震災からもうすぐ5年になりますが、「みちのく震録伝」への理解の広がりや、事業を継続するための環境は、決して十分とは言えません。特に市民の皆さんには、「被害がなかった」ことが分かる写真や証言にも、大きな価値があることをご理解いただきたいと思っています。

 大きな災害では、被害状況が分かりやすい記録に重きが置かれがちです。しかし建物でいえば、地盤が強固だったり、耐震設計や補強改修が適切だったりしたために、あれほど大きな地震でも無事だったということを示す情報も欲しいのです。人でいえば地震の大きさや、津波の危険性を伝える情報に基づき、いち早く高い場所に避難したため助かったという記録を、ぜひ後世や他の地域に伝えたいのです。特に地震発生から72時間以内の記録は貴重で、私たちとしてはその全ての情報を収集・保存したいと願っています。

 私が所属する災害科学国際研究所では、2016年も1月11日に「東日本大震災アーカイブ国際シンポジウム」を、3月6日に「語りべシンポジウム『かたりつぎ』」を開催します。「国際シンポジウム」では震災記録の利活用について現状と課題を検討し、未来へ、世界へどのように伝えていくかを考えます。今年は、2004年のスマトラ沖地震津波を伝えるために建設された「アチェ津波博物館」の館長トミー・ムリア・ハサン氏をお招きして講演していただく他、私を含む6名が報告を行います。災害科学国際研究所が会場です。

 もう一つの「語りべシンポジウム『かたりつぎ』」は、震災を未来へ語り継ごうという催しです。俳優の竹下景子さんの朗読、合唱など多彩な内容で、私も報告を行います。こちらは東北大学だけでなくいろいろな地域で開きたいと考えていて、昨年は多賀城市の文化センターが会場でした。今年は宮城学院女子大学で、来年からは東北の他県での開催を目指しています。

 私たちの災害アーカイブ研究室では、現在も震災記録の収集を続けています。どんな写真や体験も、次の世代や他の地域や国にとっての貴重な教訓になり得ますのでご協力ください。また震災記録とその活用について話を聞いてみたいという地域の団体などがあれば、どうぞ研究室までご連絡ください。東日本大震災の尊い犠牲を無駄にしないよう、まずは私たち自身が体験や記録に学ばなければならないということを、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思います。

(取材=2015年11月6日/東北大学青葉山キャンパス災害科学国際研究所棟3階 災害アーカイブ研究室にて)

研究者プロフィール

東北大学 災害科学国際研究所 准教授
専門=地震工学・災害情報学
柴山 明寛 先生

(しばやま・あきひろ)1976年静岡県生まれ。東海大学工学部卒業。工学院大学工学研究科修了。博士(工学)。東北大学大学院工学研究科、独立行政法人情報通信研究機構勤務を経て、2008年より東北大学大学院工学研究科助教。2012年より災害科学国際研究所にて現職。

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