宮城大学 食産業学群 教授
専門=発酵・醸造学
専門=発酵・醸造学
地ビール先進国だったアメリカ合衆国へ
実家は山形県米沢市にある「金内酒店」です。お酒が飲めなかった子どもの頃から醸造や菌は身近な存在で、大学は生物関係に進みたいと思っていました。
東京農業大学で発酵を学ぼうと決めたのは高校生の時です。足を痛めて入院中、病室で退屈しのぎに見ていたテレビに、恩師となる小泉武夫先生が出演されていました。お話に興味を持ち、先生が書いた『発酵 ミクロの巨人たちの神秘』という本を読んでみたところ、面白いと言ったらありません。
入学して授業を受けると、「発酵も腐敗も微生物の作用によるもので本質的な違いはなく、可食性などの人間の都合で区別しているだけだ」といった小泉先生のお話が大変興味深く、研究者を目指すつもりはなかったのに、氣がついたら大学院まで進んでいました(笑)。妻と出会ったのも先生の研究室で、先生には今でもまったく頭が上がりません。
在学中の1994年、酒造法が改正されて、小規模なメーカーによるビール作りが可能になりました。日本酒やワインであれば小さな醸造所はたくさんありますし、高い評価も得られています。しかしビールはそれまで、日本では実質的に大規模なメーカーにしか作れなかったのです。
いわゆる「地ビール」が次々と各地に生まれましたが、大規模メーカーをまねて過剰投資に走って経営に行き詰まったり、醸造の知識が不足したまま商品化したりして販売不振に苦しんだところも少なくありません。ビールの研究も、日本では大規模メーカーの中でだけ行われていて、日本酒ならば扱っていた大学の研究室でも、ビールはほぼ対象外でした。
この状況を見て「よし、地ビールの先進国で学ぼう」と考えた私は、米国で研究員として働くことにしました。お世話になったのはカリフォルニア大学デーヴィス校の、チャールズ・バンフォース先生です。ビール研究の世界的権威で、日本のアサヒやキリン、バドバイザーを醸造するアンハイザーブッシュ社の顧問も務めています。
米国には既に、マイクロブルワリーやクラフトビールと呼ばれる小規模なビールメーカーがたくさんありました。中には「あなたの好みに合わせて、瓶24本分から作ります」という所もあり、「オレンジピール入り」「英国風でありながら苦味を抑えて」などのオーダーに応えてくれます。メーカー巡りは楽しくてなりませんでしたが、もちろんただ飲み歩いていたわけではなく(笑)、ちゃんと研究を進めていました。
生産と消費の現場に近い感覚で研究を
ビールの先進国から技術者を招き、言われた通りやってもおいしいビールを作ることは難しい、と知った日本の地ビールメーカーから、研修生が米国の大学やメーカーに来ていました。しかし私がまず研究テーマに選んだのは、作り方ではなく泡の成分の分析です。注ぐ時にできる泡の細かさがビールの味わいに大きく関わっていることは知られていましたが、製造工程との関連はまだ未解明でした。
研究の結果ビールの泡の細かさは、原料である麦を「焼く」時に加える熱に関係していることが分かりました。ビールの色は麦の焼き色で決まるのですが、簡単に言うと、強く焼くと色が濃くなるだけでなく泡が細かくなるのです。様々な泡を調べてその成分を明らかにし、さらにはその成果を他に応用するための研究を続けました。
米国での充実した研究生活は3年半に及びました。帰国して小泉先生の研究室にごあいさつに上がると、なぜか初めて見る方が同席しています。実は大手食品メーカーの方で、「君は次はここにお世話になりなさい」と言われ、その場で就職先が決定しました。
宮城大学に食産業学部が新設された際、研究者の募集に応募して採用されたため、会社勤務は2年弱でした。しかし発酵に限らず幅広い食品に関する研究に携わった経験は、大学での研究や教育に生きています。それは例えば食品の研究に、「おいしくて売れる商品」「小規模でも持続的経営が可能な商品」といった、生産や消費の現場に近い感覚で取り組める点です。
私が所属する宮城大学の「フードマネジメント学類」は、食についてサイエンスとビジネスの両面からアプローチし、人材の育成と研究を通じて地域に貢献することを目指しています。東北の農水産業や食品加工業は小規模経営が多く、大企業のような研究や人材育成は難しいのが実情です。一方で大学が行う研究は、発酵や醸造の分野であれば、医薬品への応用や遺伝子といった先端的なテーマが選ばれがちです。
しかし私の「発酵化学研究室」では、例えば宮城県山元町の名産であるイチゴから、風味の良いワインを造るための発酵条件、そして香氣の分析などに取り組んできました。また大豆をしぼった豆乳は健康的な飲み物ですが、牛乳から作るチーズやヨーグルトのような発酵食品への展開は未開拓です。私たちは候補となる1200株もの天然酵母の中から、豆乳を凝固させる能力をもつ3種を見つけ出し、現在はその1つを用いたチーズ風の食品「スプレ」の商品開発に取り組んでいます。牛乳アレルギーを持つ方やコレステロール値が心配な方にも、きっと安心して味や香りを楽しんでいただけるようになるはずです。
「発酵は地球を救う」の精神で学び続ける
宮城から岩手にかけての三陸で水揚げが多いイサダをご存じでしょうか。エビに似た小型の節足動物で、一般にはオキアミと呼ばれています。食用にもなりますが、鮮度を保つのが難しいなどの理由で、今は釣りや養殖魚のエサとしての利用が主です。実はこれを発酵させると魚醤(ぎょしょう)という調味料を作ることができ、東南アジアでは特に人氣があります。ところが今ある商品は黒みが強過ぎて、見映えの点で難があるのです。しかしこの課題も、イサダ特有の赤みを生かした発酵技術の開発で克服できる見通しが立ちました。原料となる資源は豊富で安価なだけに、ぜひ商品化を成功させたいと思います。
「菌」は多種多様ですが、私が研究しているのは、人間に恵みをもたらしてくれる発酵に関わる菌たちです。ビールやワイン、パンを作るのに必要な酵母菌。味噌、醤油、日本酒を産み出す麹(こうじ)菌。チーズ、ヨーグルト、漬物には乳酸菌が、納豆には納豆菌が、酢には酢酸菌が欠かせません。
こうした菌・微生物による発酵には、大きく4つの特長があります。まず保存性。冷蔵が難しかった大昔から、人間は乾燥させる、塩漬けにするなどして食品を保存してきました。発酵にも、関わる微生物が腐敗菌を寄せ付けなかったり、殺菌効果を発揮したりするなどして保存の機能があります。しかし冷蔵庫が普及した現代では、このメリットは薄れました。次に栄養性。発酵は原料に含まれる栄養素を分解して消化吸収しやすくしたり、重要なビタミン類などを生み出してくれたりします。そして近年注目が集まる、機能性。腸内環境を整えたり代謝の働きを助けたり、老廃物の排出を促したりと大活躍です。
しかし今、私がもっとも注目しているのは嗜好(しこう)性、つまり「おいしさ」です。いくら長持ちしても栄養があっても健康に良くても、おいしくない食品を食べ続けることは現代の私たちにはできません。そして味の追求は、大学で取り組むテーマとしては、設備や人員の規模に関わらず成果が期待できるという利点もあります(笑)。農水産業や食品加工業の方と共同で研究した成果が、皆さんの食生活を豊かにし、地域の産業振興や発展に貢献できれば、これ以上の喜びはありません。
もしもこの記事で発酵への興味が高まったら、「発酵食品ソムリエ」を目指してみるのはいかがでしょうか。これは小泉先生が理事長を務めるNPO法人「発酵文化推進機構」の認定資格で、発酵食品の魅力や正しい知識、歴史や文化を学ぶ育成講座を修了した方に授与されます。通信教育や東京で行われる講座もありますが、宮城大学の科目等履修生になって、私の授業を受けることでも取得が可能です。ぜひご検討ください。
私も発酵と醸造を学び続け、小泉先生のお言葉である「発酵は地球を救う」の精神を受け継ぎ、発展させていくつもりです。そしていつかは、高校生だった私を感動させた先生のご著書『発酵』の、最新版となるような本を書きたいと思っています。
研究者プロフィール
専門=発酵・醸造学
《プロフィール》(かなうち・まこと)1971年山形県生まれ。東京農業大学農学部卒業。同大学院農学研究科 博士後期課程修了。博士(生物環境調節学)。米国カリフォルニア大学デーヴィス校博士研究員、食品企業勤務を経て、2005年に宮城大学食産業学部(現・食産業学群)の設置にあわせて着任。助手、准教授を経て、2017年より現職。共著書に『発酵食品学』、『食と微生物の事典』、監修書に『すべてがわかる! 「発酵食品」事典』など。