研究者インタビュー

江戸時代の人の目で動物を見る

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小学生の時に出会った伊藤若冲の絵

 私は宮城生まれの京都育ちです。子どもの時から動物が大好きで、京都では住まいの都合で犬や猫は飼えませんでしたが、家族は小鳥を、私はハムスターを飼っていました。また岩出山町(現・大崎市)の祖父母の家には乳牛がいて、訪ねるたびに会えるのが楽しみでした。

 将来は「獣医さんなど動物に関わる仕事がしたいな」と思っていた小学生時代、書道教室で他の子が持ってきた古新聞に大きく掲載されていた絵に目が釘付けになりました。チョウ、カエルやトカゲなど無数の小さな生き物が池に集いうごめく様子を描いた、写実的でありながらも不思議な構図と雰囲氣の日本画です。譲ってもらって説明文を読み、学校のすぐ近くに200年も前に住んでいた人が描いたことを知りました。江戸時代の画家・伊藤若冲(じゃくちゅう)の「池辺群蟲図」です。私は絵を見たり描いたりすることも好きでしたが、これが絵を通じて「人が動物をどう見るか」に関心を持つきっかけになりました。

 高校は理系のクラスでしたが、合格した東北大学文学部で日本美術史を専攻することになりました。動物そのものだけでなく、人が動物をどう表現したのかという動物との関わりも含めて研究したいと思いました。これは高校時代に、南方熊楠(みなかたくまぐす)という明治から昭和にかけて海外でも活躍した研究者の、多彩な業績を知ったことも影響しています。

 専門性を極めることには、もちろん大きな意味があります。しかし研究分野を横断したり、様々な立場の人が総合的にアプローチしたりすることで分かることも少なくありません。私が所属する「生き物文化誌学会」は生き物と人間文化の関係を追究する学会ですが、空想上の生き物も対象ですし、市民の会員も多く、大学の研究者以外にも広く扉を開いてきました。今回のお話のテーマそのものである「ヒトと動物の関係学会」にも所属していますが、こちらも動物に関わる表現活動をしている人や、一般の方がたくさん参加しています。

 大学と大学院では、日本人が歴史の中で動物をどう描いてきたか、またどう記述してきたかを研究しました。対象は例えば、仏教で死後に悪行の報いで動物に生まれ変わる「畜生道」を描いた絵や、江戸時代に広く親しまれた物語本、絵本、浮世絵に登場する動物たちです。集めたり調べたり、現代や外国と比較したりするうちに、ある動物に強く興味を引かれるようになりました。それはネズミです。

江戸時代もあったネズミのペットブーム

 ネズミは人間にとって、身近でありながらよく分からない動物です。走る音や鳴く声を聞くことはあっても、暗い所にいて素早いため、じっくり見ることはめったにありません。またネズミは種類が多く生態も様々で、専門家でも野生の種を瞬時に判別するのは難しいそうです。

 そしてネズミは人間に、極端に好かれたり嫌われたりする不思議な動物です。私自身、ハムスターをかわいがる子どもだったのに、道で死んでいたドブネズミを見た時は氣持ち悪くなりました。建物の中など私たちの身近には、家ネズミであるハツカネズミ、ドブネズミ、クマネズミが暮らしています。ハツカネズミは小さいのですが、ドブネズミやクマネズミの大きいものは20 cm以上もありますから、怖いと思う人も多いでしょう。

 現代の人とネズミとのこうした関係は、江戸時代後期の都市部によく似ています。江戸時代の人々は白いネズミを珍重していましたが、18世紀になると上方で盛んに繁殖が行われるようになり、子どもたちにも人氣になりました。毛色が斑(ぶち/まだら)のネズミも様々に作られ、こうしたブームは当時の他の文化と同様に江戸へと伝わって、やがて全国へと広まります。

 安永4年(1775)に大坂で刊行された『養鼠(ようそ)玉のかけはし』という本は、ネズミの飼い方のガイドブックです。「奇品」と呼ばれる毛色の変わったネズミを手に入れる方法や餌の与え方などが詳しく書かれ、当時の人々の熱中ぶりが分かります。

 その一方で、ネズミが穀物や野菜を食い荒らす困った存在だったことも今と同じです。寿命は短いものの多産で「ネズミ算式」に増えるため、完全な駆除は困難です。個体数の増減には波があるようですが、時に大発生すると、ふだんはあまり姿を現さないだけに大騒ぎになります。

 安政2年(1855)の春から夏にかけて全国各地でネズミが大発生し、現在の島根県西部では55万匹を打ち殺したのにまた大群が現れた、というかわら版が江戸で出ました。前年の嘉永7年(安政元年)に東南海連動地震津波が発生し、日本列島各地で大きな被害があり、同年10月に江戸を襲った大地震で1万人以上が命を落としたこともあり、ネズミの大発生を大きな災害の中にある小さな災害と捉える表現も見られます。

 また人間にとってネズミは、吉凶両方のイメージを持つ動物でもあります。江戸時代には大黒天信仰と結びついて、拝む対象にもなりました。「白鼠は縁起が良い」として、置物を作ったりすることは今も行われています。

 しかしネズミは「火事を予知して逃げ出した」など、不吉な知らせを運ぶともされてきました。江戸時代では19世紀に入ると、ドブネズミが絵本などの「悪役」として定着します。また「四谷怪談」では主人公のお岩さんが子(ね)年生まれの設定で、裏切った伊右衛門はネズミの大群に襲われて最期を遂げます。こうして日本文化史の中の人間とネズミの関係を調べ、考えていると興味が尽きません。

庄内の武士が残した動物の貴重な記録

 美術史では観賞用に描かれた絵だけでなく、記録用に描かれた絵も重要な研究対象です。現代の図鑑にも写真ではなく、特徴がよく分かるよう細部まで明るく描かれたイラストを用いたものがありますね。江戸時代にも動植物など様々な記録が作られましたが、美しく彩色されたものや当時刊行されたものも多く、観察力や描写力に驚かされます。

 しかし、絵はみごとでも、直接見て描いたものよりも、他の図譜を写したものが多く、また、生息地・採取地などの記載がないものも多くあります。

 その意味で松森胤保(たねやす)という、江戸末期から明治にかけて今の山形県庄内地方に生きた人物の業績は特筆に値します。武士だった松森は68年の生涯で、藩政でも維新後の地方政治でも腕をふるい、教育者としても名を残しました。戊辰戦争でも兵を率いて活躍し、松山を守ったとして松森(松守)の姓を藩主よりもらい受けました。加えて文章にも絵にも優れ、自ら野山を駆け回って鳥やチョウなどを捕らえては、数多くを彩色で記録しています。既存の記録や西洋から入った図鑑類には不満で、独自の分類や進化の説に基づく59冊の『両羽博物図譜』を作りましたが、惜しいことに未完のまま亡くなりました。

 実見した人魚のミイラを実在するものとして記すなど、目にしたものは何でも観察して記録する、鋭い観察眼の持ち主です。特に、採取した日を明記し、寸法を測るなどした記録はこの時期には珍しく、現代の動物学研究にも貢献しています。師を持たず地方在住で、本が刊行されなかったことから地元以外ではほとんど知られていませんでした。観察記録だけでなく、機械の発明や絵入りの日記など残された資料は膨大で、全貌が明らかになるのはまだこれからです。たいへん魅力的な人物であり、私もその文章を現代の文字に起こすなどして研究の一端を担っています。

 2012年からは東北大学の災害科学国際研究所で、主に津波等によって被災した美術資料の保存について研究してきました。津波で多くの貴重な資料が、知られることなく失われたり損なわれたりしたことは本当に残念です。しかし個人の蔵に残る資料や、被災後に救出された資料は、美術品として鑑賞することは難しくとも、そこから、今まで知られていなかった地域の歴史文化を解き明かすことが出来ます。この春からは広島の大学へ移りますが、松森の資料や被災地の歴史については、これからも研究を続けます。

 専門分野を究めるだけでなく、広く多方面から光を当てることで新たな発見があるのも、学問・研究の面白さです。皆さんもご自分の関心対象に様々なアプローチをすることで本質に触れることができるはずですので、ぜひ学び続けてください。

(取材=2021年2月24日/東北大学青葉山キャンパス 東北大学災害科学国際研究所5階歴史資料保存研究分野研究室にて)

研究者プロフィール

(前)東北大学災害科学国際研究所 人間・社会対応研究部門 助教
専門=日本文化史・歴史資料保存
安田 容子 さん

《プロフィール》(やすだ・ようこ)1979年宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。東京大学大学院 新領域創成科学研究科 修士課程・博士課程に学び、東北大学大学院 環境科学研究科 博士課程修了。博士(学術)。2012年より東北大学災害科学国際研究所 研究員、2018年より助教。2021年春より、広島市の安田女子大学文学部講師に。著書に『松森胤保の愛玩動物飼育』『書画会の華やぎ 地域に息づく遍歴の文人たち』、共著書に『江戸時代の政治と地域社会 第2巻 地域社会と文化』など。

 

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