「古文書に見る江戸時代仙台の災害」江戸時代後期の災害-古文書の記録を中心に-
講師:佐藤大介氏(東北大災害科学国際研究所准教授)
日時:2020年12月19日(土)13:30~15:00
場所:仙台市歴史民俗資料館
このイベントは、昨年末、仙台市歴史民俗資料館で開催された講演会です。同資料館で展示中の「仙台の災害」の関連行事として行われているシリーズ講演の一つです。講師は佐藤大介東北大准教授です。
江戸時代の三大飢饉の最後、天保の飢饉に対して仙台藩はどう対応したのか、当時の古文書を読み解きながら解説してくれました。
天保飢饉時仙台の状況は、天保4年に冷夏で凶作、6年には大洪水、宮城県沖地震発生などの自然災害に見舞われ、7年には再び大凶作となり、実高93万石のうち、98%が損耗した(つまり2%の収穫量)そうです。
この時代は斉邦が12代となる藩主でした。文政10年(1827)、10歳の時に幕府若年寄堀田正敦を後見人として少年藩主となったのですが、後見人正敦の死没後、天保4年(1833)から藩政を自ら執ることになりました。ですが、天保の大飢饉に遭遇することとなり、飢饉対応や藩政改革なども一因となったものか、天保12年に24歳の若さで生涯を閉じることになります。
斉邦は江戸城中では日本三賢君と称されていたうえ、一連の藩政や飢饉対策でも藩士や領民から好意的に評価されていました。斉邦は粥の食事、綿布の着物を身に付けるなど質素倹約に努め、飢饉に苦しむ領民の救済に尽力しました。藩の出費を抑えるため政宗公200年忌のための亀ヶ岡八幡宮の普請を中止し、御用金の確保、他領米の調達、仙台商人を勘定奉行に登用して救済事業を行わせるなど対策を進めます。さら仙台城下町の富裕層を中心に参加を募り、御救助方万人講という富くじ方式による資金調達を行いました。領主、領民同士の協働によってなんとか凌ごうとしたということです。
この大飢饉では結果的に多くの餓死者が出てしまいます。米など調達のため藩内の金銀が流出し、インフレが起こるなど結果は必ずしも芳しいものではありませんでした。それでも藩主の評価は悪くはなりませんでした。
以上は私流のまとめですが、伊達斉邦に関しては佐藤准教授の著書があり、これが参考になります。「少年藩主と天保の危機 大災害下の仙台藩主・伊達斉邦の軌跡」(国宝大崎八幡宮仙台・江戸学叢書68 2017年)
現下の新型コロナウイルスによるパンデミックも大変な事態です。どのような終息結果を迎えるにしろ、国民に自粛生活を要請しておきながら、夜には高級ステーキ会食に参加するような国のトップの振る舞いでは、令和の大塩平八郎の乱は起こらないでしょうが、国民の氣持ちは離れていくことでしょう。
佐藤准教授は北上川河口部の北上町(現石巻市)を対象として地域史を研究されています。その成果について数年前に「よみがえる北上川河口の歴史」と題してシリーズ講演会を地元で開催されました。縁あって何度かその講演会に参加することができ、興味深く拝聴しました。
佐藤准教授の今後の益々の活躍を期待して講演会の報告とします。
(仙台市 島田昭一)