研究者インタビュー

コミュニティはスイカ型からブドウ型へ

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今ある建物の再活用で満足度を高める

 建物を新しく造ることだけが建築ではありません。むしろ今は既にある建物に手を入れて、活かして使うことに注目が集まっています。建物や景観を破壊しては造ることを繰り返した時代から、資源を大切にし、建物やまち並みの記憶に価値を認め、そこで生きる人々の満足度を高める建築やまちづくりが求められる時代になったのです。

 高齢化や人口減少に悩む地域もあれば、隣に住む人の顔も知らず、高齢者だけでは暮らしにくい高層住宅が立ち並ぶ地域もあります。空き家や閉店するお店が増える一方で、住む家に困っている人や、事業を始めたいのに条件に合う物件が見つからない若者もいるのです。私は主にこうした問題を、建築やまちづくりで解決する手立てについて研究しています。

 現場を何度も訪問し、住民や建物の所有者、利用者と話し合いを重ねる中で、専門家だけではとても思いつかない解決策が生まれることがあります。新しくまちや建物を造る場合でも、そこで暮らしたり働いたりする予定の人々に集まってもらい、希望を聞いたり関係づくりをしながら計画を立てる方が、専門家だけで考えるよりずっと素晴らしいものになるのです。私はこうした知恵を経験から、特に東日本大震災の被災者の方々から学んできました。

 最初はデザインへの関心から大学で建築を学び始めました。当時のテレビドラマでおしゃれな部屋を見て「かっこいいな」と(笑)。ところが授業で様々な建物やまちを見学するうちに考えが変わったのです。美しくデザインされた団地を訪ねても、誰も外を歩いていない様子には不氣味さを感じました。一方で雑然としていながらも活氣があったのは、ワケありの人々が暮らすまちです。ちょっと怖い感じの人も住んでいましたが(笑)、人情があって居心地は最高でした。

 建物や道路などのハードはもちろん大切です。しかしそこで、どんな人たちがどんな暮らしを営むのかというソフトはもっと大切です。建物やまちに人が合わせるのではなく、人の暮らし方や働き方に合わせて建物やまちを造ったり造り替えたりするのが本当でしょう。見た目の美しさや立派さを追求するだけが建築デザインではありません。人々の暮らしや、人々が集まる場であるコミュニティをデザインすることも、建築学の大切な役割なのです。そう考えるようになり、修繕して使い続けるリフォームや、改装・改築で建物や部屋の用途を変えて再活用するリノベーションの勉強に力を入れるようになりました。

情報不足の中で震災直後に帰国

 卒業後は大学院で学び、仕事をする一方で現場を歩き続け、外国人や障害者・高齢者など立場の弱い人々の住まいの確保や、古い建物の再活用などの課題に取り組んできました。前職の勤務先は、こうしたテーマについて自治体に情報を提供したり、NPO(非営利組織)や市民活動団体を支援したりする財団です。関東で生まれ育った私が、ご縁をいただいて東北工業大学に赴任したのは2009年でした。

 近い将来、宮城県沖地震が高い確率で発生するという知識はもちろんありました。心構えも備えもしていたつもりです。しかし東日本大震災が発生した2011年3月11日、私はなんとパリにいました。30名の学生が2週間にわたってヨーロッパ各地を見学して回る、研修旅行の引率教員だったのです。

 ちょうど全日程を終えて帰国する日でした。現地ではまだ朝7時前で、ホテルから空港に向かうバスの中でネットに接続すると、報道される地震の被害がどんどん大きくなります。日本には電話もメールもつながらず、添乗員やもう一人の先生と相談しても手の打ちようがありません。乗り換え便は予定通りウィーンまで飛びましたが、空港のテレビは津波や東京電力福島第一原発の映像を流しています。4時間ほど足止めされ、行き先は未定のまま離陸した帰国便が、結局成田に到着したのが12日の午前10時半頃でした。

 幸い大学に戻る貸切バスは予定通り来ていましたし、私自身は家族の無事を確認することができました。しかし高速道路は使えず、一般道も寸断され、迂回すれば行き止まり。食料や物資を調達しようにも、どこの店も既に品薄。用を足そうと思えば、公衆トイレは全て断水。17時間かかってやっと大学に着いたのが、翌朝の5時半です。停電し、日の出前で暗かった大学の建物の床に、大勢の人が横たわっているのに氣づいた時には驚きました。近くの住民の方々が避難してきていたのです。激しい揺れ、家屋の損壊、電氣ガス水道や通信の停止を直接体験した方々の大変さは、私たちの比ではなかったでしょう。

 研修の参加者はほぼ全員がその日のうちに帰途につき、私も帰宅して車の中で過ごしていた家族に再会することができました。しかし家を失った多くの人々が避難所に身を寄せていて、その中には仮設住宅や災害公営住宅で暮らすことになる人もたくさんいるのです。めちゃめちゃになった自宅と研究室を片付け、大学の再開に向けた業務に追われながら、私は自分の研究と経験を活かして被災者の支援活動を始めました。

空間のデザインから場のデザインへ

 学生たちと特に何度も足を運んだのは、仙台市太白区長町の仮設住宅です。資材と道具を持ち込み、「収納がなくて困る」と聞けば入口の脇に物置を作るなどして入居者の方々を支援しました。仙台以外からの入居者も多く、それまでの地域コミュニティから離れてさぞ不安だったことでしょう。しかし工作に励む私たちに声をかけてくださったことが、入居者同士で会話するきっかけにもなったようです。

 私たちは食事や交流会などに取り組む他の団体と連携して活動し、2012年6月には自治運営やコミュニティ形成を検討する住民組織「あすと長町コミュニティ構築を考える会」の立ち上げをサポートし、2016年12月には、これらの経験を踏まえて「NPO法人つながりデザインセンター」を設立しました。いずれも代表は仮設・災害公営住宅で暮らす方です。私たち外部の人間は専門性や経験を活かして入居者を支援し、時には行政や民間事業者との仲介役も務めました。

 長町に仙台市の災害公営住宅が建設されることが決まると、私たちは80名を超える被災者の方々と半年以上も学習会を重ね、希望を出し合い、世帯の配置や間取りを検討しました。そして大手の建設業者や設計事務所と連携し、費用面でも自信を持って市に案を出したのです。他の案が採択されたことは、今でも残念でなりません。しかしこうした活動を通して被災者同士が結びつきを強め、自分たちの将来を考え、自治の機運が高まったことは、その後に大きなプラスになりました。仮設でつながった80世帯以上がまとまって災害公営住宅に移る「コミュニティ入居」が実現しましたし、集会所に外部の団体を入れて開く「食堂」も継続しています。

 仙台市以外でも、私たちの提案が受け入れられ、災害公営住宅の運営に活かされている例は少なくありません。私たちは今、入居者の孤立や孤独死を防ぐだけでなく、集会所を活用した居場所づくりなどによって、広く地域コミュニティの課題を解決する活動に取り組んでいます。エリアも東北、全国へと広がりました。また、新しい暮らし方を求める人のためのシェアハウスとして空き家を活用する事業なども進行中です。

 旧来の町内会や自治会は多くの役割を果たしてきましたが、都市化や情報化社会にあって時代に合わなくなった面も否定できません。大きな単位での地域の団結や、すべての構成員間の親睦を図るよりも、個人を基にしたいくつもの小さな集まりが機能し、課題に応じて大きくまとまって活動する方が、今の時代には合っているのです。私はこれを「コミュニティはスイカ型からブドウ型へ」と説明することにしています。建築学のテーマで言えばスペースからプレイスへ、空間のデザインから人・モノ・コトをつなぐ場のデザインへ、ということになるでしょう。東日本大震災から間もなく10年です。ぜひご自身の問題として、被災者支援やコミュニティについて考える機会を持っていただきたいと思います。もちろん私も研究やNPOの活動を通して、取り組みを続けていくつもりです。

(取材=2020年11月11日/東北工業大学 八木山キャンパス 5号館5階新井教員室にて)

研究者プロフィール

東北工業大学 建築学部(建築学科)准教授
専門=建築計画・住まいまちづくり
新井 信幸 先生

《プロフィール》(あらい・のぶゆき)1972年神奈川県生まれ。千葉大学博士課程修了。学術博士。民間財団研究員を経て、2009年4月より現職。グッドデザイン賞、都市住宅学会業績賞、日本都市計画家協会賞を受賞。認定NPO法人「つながりデザインセンター」副代表理事を務め、同センターは復興庁の平成30年度「新しい東北」復興・創生顕彰を受賞した。

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