時代の音レクチャーコンサート・シリーズ
第5回公演「イギリスのオルフェウスたち ~ダウランドとパーセルの世界」
講 師:波多野睦美 氏
ゲスト:柴崎久美子氏、田中 孝子 氏、中野 哲也 氏、深沢 美奈 氏、福沢 宏 氏
日 時:2010年9月4日(土)16:00~18:00
場 所:東北学院大学土樋キャンパス礼拝堂
終演後、講師のサインをいただく人々が並んでいる。私もその中のひとりとなって、持参した18年前のCD をさし出した。
「あ、なつかしい」
「はい」
話しかけたいことはもっとあったのだが、交わした言葉はそれだけ。マドンナの前の寅さんみたいなものだ。一日過ぎた今も至福感は続いている。いただいたサインを前に印象深い昨日を振り返ってみたい。
9月4日仙台。14:00(当日最高氣温)―33.4℃。16:00(開演時)―32.3℃。18:00(終演時)―26.8℃。空調設備の無い礼拝堂。聴衆によりほぼ埋め尽くされた会場。打ち振られるうちわ。流れ落ちる汗。
(苛酷な環境になってしまったなあ)というのが偽らざる思いであった。
「このような暑い日になるとは誰が予想したでしょうか」「演奏中でもお配りした、うちわをお使いください」「体の不調を覚えた方は、演奏中でもどうぞご遠慮なく席を離れて後にいる係りの者に声をかけてください」。演奏者と聴衆がお互いを思いやりながらのコンサートは、ゆるやかな一体感を醸成しながら、幕を開けた。
グスタフ・レオンハルトやニコラウス・アーノンクールの活動を通して古楽器演奏を知り、親しんできましたが、今日の楽しみは、チェンバロとビオラ・ダ・ガンバのファミリーによる演奏と講師の声の共演である。ジョン・ダウランドの歌曲がプログラム冒頭に組まれている。四曲目の「流れよわが涙」が演奏されるころには、古楽器と声とが溶け合ってくる。うちわはヒラヒラ動いているが、聴衆は集中している。温度と湿度に左右される古楽器。間奏のたびに調弦に苦闘しながら良質の音楽を繰り出してくる演奏者たち。
シェイクスピア戯曲の上演に寄せられた音楽が始まると、さらに会場の集中は増したように思えた。講師の「柳の歌」は、その声の際立ちを印象付け、それに続き「ああ、ロビン」「オフィーリアの歌」を劇的な声音に宿らせて歌い切る。さらに「ソネット8」の朗読から「グリーンスリーブス」の歌唱をシームレスに表現したのは、後半冒頭に用意された本日のレクチャーへの布石であった。私は演奏の最中に幻覚の中に入り込んだようだ。それは幼いころ、夜祭に出かけた時のゆるやかに膨らんでくる期待、突然目の前にはじけるように現れる夜店の光の川、闇に浮かび上がる神楽殿の明かり、暗闇の中の集中と拡散、緊張と弛緩・・・・・・流れ落ちる汗。現(うつつ)に戻ると明るい会場の中ではうちわが打ち振られ、演奏は続いている・・・。
休憩時間に会場を抜け出し、風の通り道に立ち、ホーゥと一息をついた。
後半が始まる。礼拝堂は講師と演奏者と聴衆との集中力が増してゆく不思議な空間となっている。「よくぞ残ってくださいました」との第一声。会場にドッと笑いが起こった。シシオドシの涼しげな音の話題から、自分の中にある節くれだったものとのつきあいのこと。ある時その節が無くなり、筒となった自分の体の中を音楽が通っていってもらいたいこと。日本語の歌を歌う時は聴衆のイメージを邪魔しないように歌うことを心がけたこと。自分はネガティブな意味でそのようにしていたけれども、先輩の姉妹デュオは相手に任せるというポジティブな考え方をしていたことなど、前回のレクチャーのおさらいがあった。
「しゃべるように歌いたいんです」。前半の布石から話が展開する。グリーンスリーブスを今度は朗読する。デクラメーションの抑揚が、朗読の速度によってどのように聞こえるか。緩かに朗読を進めてゆくとある地点から音楽のように聞こえてくる。どこまでが言葉で、どこからが歌なのか。歌になったときの喜び。言葉から歌へ。歌のスイッチがどこで入るのか。そのような講師の歌への思いを、声を使いながら披露してくれる。さらに、ビブラートについての質問が多いので、ということで、緩やかなビブラート、細やかなビブラート、そしてストレートに延びる声に途中からビブラートをかける、などの方法を披露し、これらを楽器と合わせるビブラート・コントロールの話を実演してくれた。ここまで来ると名人の芸談の域であり、参加した人だけが体感できる特権である。
後半は、18世紀を待たずして36歳で早世した、ヘンリー・パーセルの曲が並んでいる。講師が、現在最も力を注いでいる歌曲の数かずの中でも、「ソリチュード」の歌唱は圧倒的である。最終曲「ダイドーのラメント」が歌い上げられると、会場には万雷の拍手が鳴り響き、さらにその拍手は盛り上がり、講師と演奏者に惜しみない賞賛が贈られた。講師の誠実なお話と、時を得たユーモアと、求心力に満ちた歌唱が、熱暑の中でコンサートを力強く成立させてゆく様子は圧巻であった。
(仙台市青葉区・男性 文字翁)