研究者インタビュー

児童文学で世界を創り上げる力を

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宮城教育大学 教育学部 教授/同大学附属図書館長
専門=児童文学
中地 文 先生

宮沢賢治はなぜ童話を選んだのか

 子どもの時から物語が大好きで、様々な児童文学を読んで育ちました。中学・高校になると大人向けの小説も読むようになったのですが、私は児童文学に強い魅力を感じ続けていたのです。周りが芥川龍之介や太宰治を話題にしているのに、私は英国の作家トールキンが書いたファンタジー『ホビットの冒険』や『指輪物語』などが愛読書。親から「そろそろ卒業したら」と言われても耳を貸さず、大学では児童文学を研究しようと決めました。児童文学はなぜ自分をこれほど魅きつけるのか、児童文学は子どもだけのものではないのではないか、その答えを知りたかったのです。

 とはいえ、児童文学の研究資料は十分ではなく、書簡なども含む全集が刊行されている作家は限られていました。その中から私が選んだのは宮沢賢治です。明治から昭和初期にかけて生き、数多くの優れた童話や詩を残して30歳代で亡くなりました。今でも子どもから大人までとても人氣があります。

 「銀河鉄道の夜」では、主人公の少年が夢の中で天上世界を旅して世界の「ほんとう」を探ります。賢治は子どもたちを喜ばせようとしただけでなく、自分が学んだ科学や芸術や宗教に基づく独特の世界を描き出したのです。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と考え、また、あらゆる生物に幸福をもたらす「宇宙意志」の存在する世界を求め、それを童話の形で表現しました。賢治にとっては空想的な童話こそが、自分の世界観を表現するのに最も適した形式だったのです。私は賢治を、ありうべき世界を模索し続けた人として尊敬しています。

 賢治は用いる言葉も個性的で、たとえば「どんぐりと山猫」にある「まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。」といった表現が読者を魅了してきました。『おしいれのぼうけん』などで知られる児童文学作家の古田足日は、これを読んで山の見え方が変わったとまで言います。優れた児童文学は楽しかったり感情に訴えたりするだけでなく、認識する力やものごとの見方、考え方まで豊かにするのです。

 子どもが物語を楽しみながら言葉を覚えたり、読解力をつけて学力が向上したりすることも、児童文学を読む効果として期待できるでしょう。しかし夢中になって「読み浸る」体験で得られるものは、もっと大きく長期的なものです。テレビやネット動画は眺めるだけで様々な情報を与えてくれますが、物語を楽しむには、文章から主体的にイメージを創り上げる必要があります。自分が通う学校とは全く違う学校、会ったこともない人物、そして現実を超えた不思議な世界などを言葉から想像することで、子どもは世界を自ら創り上げる力を獲得するのです。児童文学を読むことの意義は、このようなところにあるとも言えるでしょう。

近代以前には「子ども」はいなかった

附属図書館「児童図書」コーナー

 日本では江戸時代まで、子どものための文学はありませんでした。いわゆる昔話や絵入りの本も、児童書として作られたものではなく「子どもも読む」ものでした。明治になると、日本は西洋にならって急速に近代化します。「子どもの年齢や発達段階に合わせた教育」という現代の常識は、この時に普及しました。大人とは違う、学ぶ存在としての子どもが「発見」されたのです。この近代的子ども観の確立に伴って、児童文学は誕生しました。

 児童文学は、最初は「少年文学」「お伽噺」と呼ばれていましたが、大正期には「童話」の語が使われるようになりました。宮沢賢治が創作を始めたのはこの時代です。童話という言葉には、純粋な子どもの心である「童心」に大人も学ぶべきだという、当時のロマン主義的な意味が込められています。賢治に限らず多くの文学者が、童心に理想を見出し、童心を失わない大人をも読者に想定して、童話という表現形式を選んだのです。

 その後、昭和期に入ると、プロレタリア文学の影響もあって、空想的なものが多かった子ども向けの物語にも社会性が導入され、子どもの行動と心理をリアルに描く作品が現れますが、その頃に「児童文学」という言葉が定着しました。戦後、現代児童文学の出発期には、成長して未来を担う存在という子ども観から理想主義的な作品が多く書かれますが、高度経済成長期が終わると未来像を示すことは難しくなり、大人と子どもが悩みを共にするような複雑な作品が生まれるようになります。

 大人と子どもの区別が消える傾向は、その後さらに進みました。大人もディズニーランドを楽しみ、子どももネットで情報収集に励む現代では、文学と児童文学の境界も曖昧です。大人がファンタジー小説に熱中する一方、児童文学にもいわゆる「暗い」テーマの作品が増え、厳しい現実が描かれるようになりました。「このままでは児童文学というジャンルは消滅してしまうのではないか」と言う研究者もいるほどです(笑)。

 児童文学は小中学校の国語教科書にも載っています。新美南吉の「ごんぎつね」のように三世代にわたって学ぶ教材もありますが、やはり時代によって作品は入れ替わってきました。戦後しばらくは世界的な名作の抜粋が多く、1970年代になると現代作家のものが採用され始めます。児童文学の世界の変化が、10年遅れくらいで教科書に現れる感じです。賢治童話は、戦後すぐから1950年代には「どんぐりと山猫」「よだかの星」などが掲載されましたが、現在は「やまなし」「注文の多い料理店」などがよく取り上げられています。

近景と遠景が結びつく児童文学

 2019年度に行われた「学校読書調査」によると、小学生の6.8%、中学生の12.5%,高校生の55.3%が、1カ月に1冊も本を読んでいませんでした。この「不読率」を下げ、子どもの読書活動を進めようと、国や自治体や学校は様々な取り組みを行っています。私は2013年度に宮城県の「第三次みやぎ子ども読書活動推進計画」の策定に関与しました。その時、「読書から学べることは、ある程度の年齢になれば部活動などの体験からでも学べるのではないか」という意見を聞き、それに反論したいと考えるようになりました。事実、テレビもゲームもインターネットもあり、塾や部活動で忙しい現代の子どもたちは、読書に時間を割くことが難しくなっています。

 しかし本には、「書き言葉」で書かれているという特徴があります。会話、そしてテレビや動画で多く使われる「話し言葉」には伝わりやすく理解しやすいという利点がありますが、自分にとって未知の内容や複雑な内容を理解し、深く緻密に考えようとすれば「書き言葉」は欠かせません。子どもが「書き言葉」に慣れ、理解力や論理的思考力を伸ばすためにも、やはり読書は必要なのです。また文章を書く上でも、読書経験は大切です。創作の仕事に限らず、現代社会では様々な場面で自分の考えを文章にすることが求められます。読書が培う理解力・思考力・表現力は、ますます重要になっているのです。

 私は作家や作品の研究を主にしてきましたが、教員養成や読書活動支援に携わる中で、児童文学が教育において果たす役割と可能性を改めて考えるようになりました。文学にも絵画と同様、「近景・中景・遠景」があります。手で触れられる身近な世界としての近景、社会を中心とする中景、そして世界・宇宙・生死の問題など高遠で哲学的な主題が展開する遠景。大人向けの小説は中景を取り上げることが多いのですが、児童文学には近景と遠景が結びつきやすいという特質があります。これは大人向けの小説では得がたい読書体験であり喜びではないでしょうか。今はこうした特質を、いじめや共生といった今日的な課題の解決に結びつけられないだろうかと考えています。

 「まなびのめ」の読者の皆さんにも、ぜひ児童文学に目を向けていただきたいと思います。かつて好きだった作品の再読も楽しいですし、大人向けの児童文学案内も優れたものが出ています。もちろん研究書を読んだり、子どもの読書活動支援に関わったりするのも良いでしょう。宮沢賢治の作品では、神秘的な世界観を味わえる「風の又三郎」などの「村童スケッチ」と呼ばれる作品群を、特におすすめしたいと思います。

(取材=2020年8月26日/宮城教育大学 5号館2階子ども文化共同研究室にて)

研究者プロフィール

宮城教育大学 教育学部 教授/同大学附属図書館長
専門=児童文学
中地 文 先生

《プロフィール》(なかち・あや)東京女子大学大学院 文学研究科修了。同大学助手、藤女子短期大学講師、宮城教育大学准教授などを経て、2009年より同大学教授。2017年より現職。日本児童文学学会評議員。宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事。監修書に小学校中学年以上が対象の『賢治童話ビジュアル事典』。共著書に『宮澤賢治の深層宗教からの照射』『アプローチ児童文学』など。

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