編集部だより

「純なるかな 純なるかな」

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 先日ラジオを聴いていて、ついうっかりしていたことがあった。今年2020年は「日本資本主義の父」渋沢栄一翁の生誕180年に当たる、ということだった。何故「うっかり」かというと、「まなびのめ」運営会社である笹氣出版印刷株式会社が手掛けた組版・印刷物で、その代名詞の一つとして自他ともに挙げられるのが、『渋沢栄一伝記資料』(本編全58巻、別巻全10巻)だからである。4年後に発行される新1万円札の肖像となり、また、来年の大河ドラマが翁を描く「青天を衝(つ)け」に決まり話題となっているが、「生誕180年」については慮外の事だった。

 その翁の四男、正雄氏の次女として生まれたのが純子(すみこ)さんという方で、今もご健在、御年97歳。20歳で、明治の元勲岩倉具視(ともみ)の子孫である鮫島員重(かずしげ)氏と結婚されたので、現在は鮫島姓となっている。お仲人は首相を務めたかの鈴木貫太郎氏とのこと。冒頭のラジオとはこの方へのインタビュー番組だった。耳による音声信号の受け取りという、行為としてはごくシンプルなものだが、時としてそれが思わぬ処世の糧ともなり得ることに有り難さを感じたので、ここに記しておくこととしたい。

 純子という名は翁が付けたもので、命名書には「純なるかな 純なるかな」という意味の漢文が書かれてあり、あまりに難しくてよく読めないそうだ。9歳の時に翁の臨終の場に立ち会ったが、親しく生前の翁を知るのは、もう今では純子さんぐらいであろう、という。毎週孫たちが翁のもとへ挨拶に行くと、翁は「よう来られたな」と頭をなでながら、飴を一つ口に入れてくれたそうだ。また、ある時父と二等列車に乗った時のこと。背中合った座席の紳士から声を掛けられ、受け答えしていたところ、席に戻った父親が「新渡戸先生ではございませんか」と言ったので、当時一高の校長をしていた新渡戸稲造氏であることを後になって知ったそうである。

 翁のことについては、今回知り得たことで一番感動した話はこうである。翁が肺炎で寝ているところに、赤ん坊を背負った女性が訪ねてきた。書生が用向きを質すと、「私らみたいに貧乏で生活に困っている人たちが20人いるので、国にお金を出してくれるよう大蔵省に頼んでほしい」ということだった。一応取り次いだところ、「それでは困るだろう」ということで、翁は早速陳情に行こうとしたので、当然のように周囲は留めた。それでも聞こうとしないので、大蔵省にこれこれと相談すると、「それではこちらから伺います」との返事だったのでそう伝えると、「物事というのは依頼する方から行くのが当たり前なのだから」ということで、とうとう病を押して出かけたそうである。数々の事業を手掛けた大実業家というイメージのみが先行しがちな翁であるが、この話を通して初めて翁の体温が直に伝わってくる思いであった。

 純子さんによると、祖父から受け継いだものはいろいろとあるが、最も中心となるのは「ありがとうという、すべてに感謝して生きる心」だそうだ。昔は家のあらゆる所に「ありがとう」という言葉を書いて貼っていたそうだが、さすがに家の者に注意され、現在ではトイレの中にだけ貼ってあるという。排泄ということにも感謝するとのこと。

 東京のラジオセンターの近所に住んでおられ、定期的にヨガに通っているそうだが、この日も午前中ヨガに行って、午後から歩いてセンターに行こうとしたら、コロナウイルスのこともあるので、家族からタクシーで行くよう勧められたのでそうしたが、帰りは「歩いて帰ろうと思います」。ラジオを通してその綺麗な立ち居と、たおやかで穏やかな心に触れ得た数十分であった。

「まなびのめ」編集部 佐藤 曜

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