研究者インタビュー

緊急時の避難に心理学は有効か?

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東北大学災害科学国際研究所 教授
専門=認知心理学・教育心理学
邑本 俊亮 先生

人の頭の中を研究する認知心理学

 2011年3月11日は、東京出張の初日でした。コンビニエンスストアでの買い物中に大きく長い揺れが来て、最初に思ったことは「まさか宮城県沖ではないだろうな」です。東京でこれだけ揺れたのでは、もし震源が宮城県沖だとしたら被害は計り知れません。しかしホテルに着くとニュース速報の音声が流れていて、懸念が的中したことを知りました。

 私の自宅は仙台市中心部のマンションの13階です。食器が散乱し、テレビが倒れて画面が傷つくなどの被害はありましたが、家族の無事は当日のうちに確認できました。避難所になった小学校で家族が一夜を過ごした一方、東京での予定が中止になった私は、新幹線が止まって帰れません。やむを得ず当初の予約通り3泊し、その翌日、羽田から山形まで飛ぶことになった飛行機の臨時便に乗ることができました。家族から「東京で食料品を買ってきてほしい」と頼まれていたので、手荷物は牛乳や野菜です。山形からバスで仙台に着いて、あらためて被害の深刻さを知りました。

 私の研究は、人が言葉、特に文章をどのように理解し、覚え、また忘れてしまうかなどを明らかにしようとするものです。心理学の中で、こうした人間の頭の中で起きていることを探究する分野を「認知心理学」と言います。

 私は東北大学大学院の情報科学研究科で、主に実験による研究に取り組んできました。震災の7年ほど前、同僚である津波工学の今村文彦先生からお声がけをいただいて、大学の防災に関する研究会でお話をさせていただくことになったのです。テーマは、認知心理学を防災にどう活かせるか、というものでした。災害や避難行動についてあらためて調べてみましたが、認知心理学は、通常の状態で一般的な人が、どう情報を受け取り、処理し、反応するかを研究するものです。異常な事態に直面した人が、正しい判断に基づいて適切な行動をとるには、というのは難問でした。

 被災者のケアについて研究する臨床心理学や、社会調査によって被災者の心を研究する社会心理学もありますから、心理学と災害は無関係ではありません。しかし認知心理学者で、避難行動や防災の問題に取り組む人はほとんどいなかったのです。これを機に私も研究会に参加させていただくようになり、東日本大震災から1年後に発足した、災害科学国際研究所にも所属することになりました。今村先生は、現在2代目の所長を務めていて、私は7つの研究部門のうち、「人間・社会対応研究部門」の「災害認知科学研究分野」を担当しています。

聞いた被災体験を8カ月後も覚えているか

 災害科学国際研究所の大きな特徴は、文系理系を問わず多彩な研究者が集まり、分野を横断した共同研究に積極的に取り組んでいることです。私も他分野の先生方と、東日本大震災の被災者の方々がどのような困難を体験し、どうやってそれを乗り越えてきたのかを調査したり、人々が災害シミュレーション映像を見てどのような印象を抱くのかを調べたりしてきました。

 また、認知心理学の実験手法を用いて、被災体験の伝わり方の比較検討も行いました。被災者の方に語り部を務めていただき、直接聞いた人、映像で見た人、音声だけを聴いた人、文字で読んだ人などに分けて、感情や記憶の変化を調べました。いずれも直後の調査では、災害の恐ろしさを知ったことで感情に大きな変化が見られ、話の内容は印象深く記憶に刻まれます。しかし8カ月後に再調査すると、多くの人は記憶が薄れて話の内容をあまり覚えていませんでした。ただ、その中でも直接聞いた人だけは記憶の低下が少なかったのです。被災者や語りの場の持つ雰囲氣が、災害の記憶の風化を防いでくれる力をもっているのかもしれません。

 「情報を適切な避難行動に結びつける」という目的からすると、やっかいなのが私たちの「認知バイアス」です。人間には、情報の受け止め方や判断基準や行動パターンに「偏り」があります。これが緊急時にリスクを過小評価させ、避難を遅れさせてしまうのです。「これくらいは通常の範囲だ」「少なくとも自分には危険は及ばない」「みんなと一緒にいれば、行動すれば助かる」といった思い込みを、心理学ではそれぞれ正常性バイアス・楽観主義バイアス・集団同調性バイアスと呼んでいます。

 こうした認知バイアスは、実は日々の生活においては心の安定を保つのに役立っているため、一概に否定することができません。しかし認知バイアスの存在を知っていれば、自分の判断は甘く傾きがちだと自覚することができます。災害時には、いわば自分の心の「危険スイッチ」をオンにすることで、「もう危険だ」「自分が被災する」「今回は逃げる」「率先して行動する」と考え、避難を決断することができるのです。

 もちろん全ての人ができるわけではありませんから、家族や職場や地域の中に、そうした人を育成しておく必要があります。強く避難を指示できるリーダーはイメージしやすいと思いますが、他の人も逃げると信じて、まず自分から避難する姿を見せる人も貴重です。またスポーツや楽器演奏のように、人間は「体で覚える」ことができますし、いざという時は頭よりも体で覚えたことの方がスムーズに行動に移せます。練習が大切ですから、防災訓練を繰り返すことこそが最も効果的です。

 避難するよう促す「説得」についても、心理学の知見を活かすことができます。受け手に恐ろしい情報を伝えて説得することを、心理学では「恐怖アピール」とか「恐怖喚起コミュニケーション」と呼びます。有効ではありますが、恐怖が強すぎると逆効果になってしまうこともありますし、どうすれば恐怖を回避できるかといったこともあわせて伝える必要があります。

心理学の誤った知識を正したい

 東北大学では新入生を対象に基礎ゼミを行っています。私たちの教員チームは震災と復興を考えるゼミを開催しており、学生たちに現地を訪ねて被災者と交流してもらっています。今年度も、甚大な津波被害を受けた名取市の閖上(ゆりあげ)に、21名の学生を連れて行きました。

 学生たちは一様に衝撃を受けた様子で、災害をリアルに感じただけでなく、「自分がこれを伝えなければ」と考えたようです。自分たちで出身校に出向く「出前授業」を企画し、東京の中学校で実現にこぎつけました。3月には、兵庫県の高校での開催も予定しています。中高校生たちは年齢が近い大学生に親近感を感じ、真剣に耳を傾けてくれるでしょうし、準備に励んだ学生たちも大きな学びになったはずです。災害科学国際研究所としても、防災教育の研究と普及に、今後も力を入れていきたいと考えています。

 一般に心理学は文系とされ、私も大学は文学部、大学院は文学研究科で学びました。しかし心理学はあくまで実験やデータに基づく学問で、理系的要素が小さくありません。私自身、父が中学校の理科の教師だった影響もあって実験が大好きで、高校では理系クラスでした。大学に進学する際、目には見えない人間の心を、実験を通して研究するという点にひかれて心理学の道に進んだのです。

 ところが心理学は、一般の方に「人の心の中が読める」といった、誤ったイメージを持たれがちです。テレビ、本、インターネットの情報の中には、興味を引くことを優先して根拠が薄弱なものも少なくありません。こうした「神話」から自由になるためにも、ぜひ多くの方に本当の心理学を学んでいただきたいと、私たち心理学者は願っています。

 日本心理学会では市民向けの講座やシンポジウムに力を入れていて、その内容は書籍にもなっています。私も『心理学の神話をめぐって―信じる心と見抜く心』という本を作らせていただき、その中で防災についても詳しく書きました。ご一読いただければ幸いです。

 防災以外にも教育や、使い手のことを考えてデザインする物作りなど心理学の応用範囲は広く、人間がいるところには必ず心理学がある、と言うことさえできます。非常時にご自身と大切な人の命を守るために、そしてより良く生きるためにも、ぜひ心理学を学んでいただきたいと思います。

(取材=2019年11月1日/東北大学青葉山キャンパス 災害科学国際研究所5階人間・社会対応研究部門 災害認知科学研究分野研究室)

研究者プロフィール

東北大学災害科学国際研究所 教授
専門=認知心理学・教育心理学
邑本 俊亮 先生

《プロフィール》(むらもと・としあき)1961年富山県生まれ。北海道大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科 博士後期課程 単位取得退学。博士(行動科学)。北海道大学文学部助手、北海道教育大学教育学部札幌校講師、助教授、東北大学大学院 情報科学研究科助教授を経て、2011年より同教授。2012年より同災害科学国際研究所教授。編著に『心理学の神話をめぐって-信じる心と見抜く心』、著書に『文章理解についての認知心理学的研究-記憶と要約に関する実験と理解過程のモデル化-』『大学の授業を運営するために―認知心理学者からの提案―』、共著に『認知心理学 知性のメカニズムの探究』などがある。

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