編集部だより

緑さん的「光景」

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 今月1日、「平成」に替わる新元号が「令和」と決定しました。『 万葉集』の「巻五 雑歌」の中の、「梅花の歌三十二首并に序」として、815番以降の歌に先立つ「序」の最初の方にある、「時に初春の(よ)き月、氣淑(よ)く風(なご)み」が出典とされました。

 さて、この度のご退位・ご即位・改元に絡む一連の報道で、ある人物の名前を懐かしく見聞きしておりました。宮崎緑さんという方です。2016年、今上天皇の生前退位に関し、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーに選ばれたことから、しばらくぶりでその名を耳にするようになりました。また新元号について、今月1日に有識者の意見を聞く「元号に関する懇談会」の一人にも選ばれていたことは記憶に新しいこところです。現在は千葉商科大学の教授も務めておられます。緑さん(と呼ばせていただきますが)には、テレビ・ラジオでお名前を耳にするごとに、忘れられないある「光景」が想い出されるのです。

 緑さんは1982(昭和57)年、NHK「ニュースセンター9時」初の女性キャスターとなり、当時は一種のアイドル的存在でした。
 今から30年程前になります。「その日」のメインは、何度目かになる中国残留孤児帰国による肉親捜しでした。カメラを通して自分の存在を直接肉親に呼びかける、というものです。孤児の方たちが同じスタジオ内にいたのか、あるいは、別のところからの中継だったのか記憶が定かではありませんが、緑さんはキャスターとして進行役を務めていました。

 ある男性の番になり、肉親への呼びかけが始まりました。しばらくして感情が込み上げてきたのでしょう、「マーマ、…、マーマ……」と泣きじゃくっていました。「マーマ」とは中国語で「お母さん」のことです。子が母を呼ぶのは等しく動物の本能です。私は泣けてきました。この方の呼びかけが終わり、次の方の原稿を読み始めた途端、なんと緑さんも泣いてしまったのです。テレビで、ニュース番組で、それも公共放送で。なかなか原稿が読めません。それに対してのお詫びは「ごめんなさい」であったと記憶しています。「失礼しました」ではなく。この「光景」が全国に流れたのでした。彼女は使命感と責任感を奮い立たせ、続きを読んでいきましたが、1分も経たないうちにまたまた泣いてしまい、ここでも「ごめんなさい」と謝りました。

 私はこの「光景」に、「確かにキャスターとして原稿はちゃんと読まなきゃならないけど、いいんだよ、いいんだよ、人の悲しみを見て泣けてくることは誰にだってあるよ、『ごめんなさい』っていうのも、素直な謝り方だからオレはいいと思うよ」と彼女に語りかけていました。それ以来、私は俄然彼女のファンになり、すぐ著書も買って読んだりしたくらいでした。

 この「光景」が後日、協会内において緑さんの処遇にどう働いたかは分かりません。むろん、職業人として社会人として、いろいろな批判は当然あったでしょう。しかし、他人の境遇に心を寄せること、悲しい時には一緒になって悲しむこと、これは人間として自然な感情であり、時として崇高でさえあります。私たちは先の震災でこのことを深く知ったはずです。人々の心を温かくかするのは、こういう心の済んだ優しい女性がいる、という事実です。緑さん自身にとっては、ひょっとしたら思い出したくない出来事かも知れませんが、この「光景」を覚えている人も少ないのではないか、自分の胸にだけしまっておくのは何とももったいない氣がしましたので、今回皆さんにお知らせしようと思ったのです。

「まなびのめ」編集部 佐藤 曜

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