研究者インタビュー

外国人急増の日本はドイツに学ぼう

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東北で増え続ける外国人労働者

 日本には今、宮城県の人口より多い260万人以上の外国人が暮らしています。これは日本の人口の50人に1人、約2%にあたり、統計を取り始めた1959年以降、最多となっています。

 この4月からは、改正された「出入国管理法」が施行されます。少子化・高齢化・人口減少の日本では人手不足が深刻です。これまでは外国人労働者を、原則3年以内の「技能実習生」などの形で受け入れてきました。今後は原則5年までいられる「特定技能1号」と、事実上は永住も可能で、家族も呼び寄せられる「2号」という在留資格で働く人が増えていくでしょう。

 かつての外国人労働者は、短期間だけ働く「出稼ぎ」型の人がほとんどでした。しかし日本で働き続けたい、住み続けたいという人が増えてきて、雇う日本人や企業の側も「技能を身につけた人に帰られては困る」と思うようになったのです。

 外国人が、家族みんなで来日できるようにしてはどうでしょう? 欧米諸国のように、永住や国籍取得が前提となる「移民」制度を作ってはどうでしょう? こうした政策に対しては、根強い反対や不安の声があります。昨年12月の国会で出入国管理法が改正された際も、激しい議論が交わされました。現在は家族の帯同を厳しく制限し、「移民としては受け入れない」という制度になっています。しかし人手不足が続けば、さらなる変更が避けられないでしょう。

 近年、日本で外国人の増加が特に目立つのは東北地方です。他の地域より少子化・高齢化・人口減少の進行が速く、8年前の東日本大震災がそれに拍車をかけました。

 宮城県の外国人は、まだ人口の1%弱です。大学や日本語学校で学ぶ留学生が多い仙台市だと、「コンビニエンスストアや居酒屋で外国人のアルバイトをよく見かける」という程度の感覚かもしれません。しかし実は建設現場では、既に多くの外国人が働いています。また外国人が目立たないのは、アジア出身の人々が日本人と区別がつきにくいからでもあります。

 津波被害を受けた沿岸部では、事態はずっと進んでいます。水産加工業などは人手不足がきわめて深刻で、もはや技能実習生なしには地域経済が成り立ちません。雇っている人や企業に聞くと、日本人の特質だと思っていた真面目さ、器用さ、粘り強さ、素直に学ぶ姿勢などは、外国人も全く変わらないそうです。日本人が避ける仕事を引き受けてくれる外国人が、仕事を覚えた頃の3年で帰ってしまうことを強く嘆いていました。

 接客、建設、農業、食品加工、介護などは、人手不足が切迫しています。女性・高齢者の活躍や、新しい技術の導入だけでは全く追いつきません。もう私たちは外国人を、職場や地域に仲間としてどう受け入れるかを、考えざるを得ないのです。 

日本に先行したドイツの試行錯誤

interview40_no01-02 私の専門である文化人類学は、人間の集団が営む生活様式や言語、慣習、信仰などの文化を調べ、記録・比較する学問です。本来対象としてきた集団は国レベルより小さい共同体社会で、現地に入って調査する「フィールドワーク」を重視します。

 私は最初、日本の古代史を学ぼうと思って大学に入りました。ところが授業でフィールドワークの面白さを経験したことから、文化人類学で卒論を書くことにしたのです。大学院に進み、イスラム世界がキリスト教のヨーロッパと接するトルコ共和国を研究対象に選びました。当時NHKのテレビで放送していた「シルクロード」というドキュメンタリーを見て、トルコのルーツであるオスマン帝国の歴史に魅力を感じていたからです。

 ドイツでベルリンの壁が崩壊したのは、1989年から翌年にかけてトルコに行きトルコ語を学んでいたまさにその時です。私も現地を訪ね、ブームに乗って壁の一部を記念に持ち帰ろうとしました。壁が固くてカケラが取れずに困っていると、何とノミとハンマーを貸し出す商売をしている人がいたのです(笑)。話してみるとトルコ人で、小遣い稼ぎだとのこと。当時の西ドイツはトルコから多くの労働者を受け入れ、定住化が進んでいたのです。

 本当はトルコで、少数派集団を調査したいと思っていたのですが、希望していた東部地域には、政情の問題で入れませんでした。そこでベルリンの経験から、ドイツの少数派集団であるトルコ人を研究するのも面白いのではと考えました。

 1990年に統一されたドイツ連邦共和国に、その2年後から毎年のように入りました。1994年からの2年半は現地の大学の研究員として、デュースブルクという、ルール工業地帯を代表する工業都市に滞在しました。

 第2次大戦後、西ドイツは急速に経済が成長し、人手不足から外国人労働者を受け入れました。しかし欧州諸国からだけでは全く足りず、トルコ人に来てもらうことで苦境を脱出します。当初の制度は日本の技能実習生と同じで、最長3年での受け入れでした。ところが、やはり定住希望者が増え、雇う側も帰られては困る状態になったことから、更新を繰り返すなどして定住化が進んだのです。

 トルコ人はほとんどがイスラム教徒で、本来は毎日5回の礼拝や定めに従った断食などの習慣があります。ドイツに住みながら、母国と同じように生活することは困難でした。ドイツ人の側も、トルコ人への違和感や不安、偏見がゼロではありません。両者の間には多くの問題が発生しました。

 今、ドイツの人口約8,300万人のうち「移民の背景を持つ人々」は1,600万人で、そのうち400万人がイスラム教徒です。外国人の割合が1割、外国にルーツがある人を含めると2割にも上るのです。

 ドイツにも外国人労働者や難民を積極的に受け入れようとする立場から、ドイツ人やドイツという国の独自性を保とうとして移民の受け入れに慎重な立場まで、今も様々な考え方があります。しかしドイツは、50年にわたって施策や法改正の試行錯誤を繰り返してきたのです。私は外国人が急増しつつある日本は、ドイツの歴史に学ぶべきだと思います。

「国際交流」から「多文化共生」へ

interview40_no01-03 私がドイツに学ぶべきことの第一に挙げたいのは学校教育です。日本の義務教育は日本国籍を持つ子どもだけが対象です。しかしドイツでは、外国籍でも全員が義務教育の対象になります。ドイツ語やドイツの文化を教え、その後も職業訓練を行うことで、社会からの逸脱を防ごうとしているのです。一方日本では、小中学校の教育を受けることなく家で過ごしている外国籍の子どもが少なくありません。今手を打たないと、言葉もわからず不安や不満をかかえたままの人が増え、将来の社会不安や社会保障コストの上昇につながりかねないのです。

 私は愛知県豊田市の出身です。重工業が盛んで、外国人労働者の存在は当たり前のように感じていました。日本からの「移民」の子孫である日系ブラジル人が増えた時には、「夜遅くまで騒ぐ」「ゴミ出しルールを守らない」などのトラブルもありましたが、地域の住民組織や市民活動団体が、丁寧なコミュニケーションで解決していったのです。その経験と知恵が後に自治体の、さらには国の施策に活かされることになりました。

 「国際交流」という言葉が表しているのは、国と国との間の関係です。しかし地域や職場に外国人が当たり前のようにいる状態を表す言葉としては、「多文化共生」の方がふさわしいと思います。「外国人は文化が違う」と考えるのではなく、「外国人を含むこの状態こそが、職場の、地域の、今の日本の文化だ」と考えるべきではないでしょうか。

 私はしばしば、学生たちを連れて宮城県の沿岸部に調査に行きます。ある水産加工場では、インドネシアから来たたくさんの技能実習生の女性たちが働いています。彼女たちは若く、学生たちとすぐに打ち解けます。男子学生の一人はやたらと人氣があって、「日本人の女子にはこんなにモテません」と言いつつ、一緒に写真に写ってほしいと列を作る彼女たちと、楽しそうに話していました。

 皆さんも国籍や言葉のことは一度置いて、同じ人間同士として外国人と接してみませんか?「外国人労働者問題」や「日本の将来」について考える時も、そうした個人との交流の経験こそが、一番役立つのではないかと思います

(取材=2019年2月28日/東北学院大学土樋キャンパス 1号館8階 石川研究室にて)

研究者プロフィール

東北学院大学 経済学部 准教授
専門=文化人類学・多文化共生論
石川 真作 先生

《プロフィール》(いしかわ・しんさく)1965年愛知県生まれ。立教大学文学部卒業。立教大学大学院文学研究科博士後期課程退学。博士(文学)。ドイツ連邦共和国デュースブルク大学研究員、京都文教大学助手、国立民族学博物館研究員等を経て、2015年より現職。
著書に『ドイツ在住トルコ系移民の文化と地域社会』、共著書に『ヨーロッパにおける移民第二世代の学校適応』『ヨーロッパ人類学の視座』『周縁から照射するEU社会』など。

      

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