研究者インタビュー

日本人と留学生が「共修」で成果

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東北大学 高度教養教育・学生支援機構 教授
専門=異文化間教育学・国際教育
末松 和子 先生

東北大学が進める「異文化間交流」

 グローバルラーニングセンターの副センター長として、留学生の受け入れと支援、日本人学生の留学派遣などを担当しています。これらの業務、授業、研究に加えて海外出張も多いため、スポーツジムでの体力維持が欠かせません(笑)。東北大学の学部・大学院の学生・院生約18,000名のうち、1割近くは海外からの留学生です。研究生や短期の研修生などを含めると、年間3,000名以上の外国人が学んでいます。最多の中国をはじめアジアからが8割以上を占めますが、出身地は世界中に及んでいます。受け入れも派遣も増加しているものの、東北大学のポジションと規模を考えれば、十分だとは思っていません。

 グローバル化が進む一方で、日本では人口減少が始まりました。私たちが今の豊かさを維持し、発展させようと思えば、これまで以上に他国との関係を深めなければなりません。ただ私は、国際交流より「異文化間交流」という言葉を積極的に使っています。国籍や出身国にかかわらず、言語・宗教・生活習慣など人々が生きている文化は様々です。既に私たちの町には、そうした多様な人々が暮らしているのです。

 同じ言葉を用い発想も近い人たちが集まれば、決まった仕事を効率的にこなすには良いかもしれません。しかし変化が速い現代では、多彩な人材が力を合わせ、新たな技術や価値を生み出し続ける必要があります。生活や産業などあらゆる面で、異文化間交流はもはや前提になっているのです。

 そして私は、教育こそが異文化間交流のカギだと考えています。東北大学は日本の中でも、異文化間教育や国際教育の先駆的存在です。留学生に日本語や日本の文化を教えたり、日本人学生向けに外国語やグローバル教育科目を開講したりするだけでなく、両者の「共修」に実績があります。

 私は現在「異文化間コミュニケーションを通じて世界を知ろう」という授業と、英語で行う課題解決型プロジェクトの授業を持っています。前者の授業では、日本人と留学生がそれぞれ半数ずつになることが多く、全部で30~40名ほどです。5,6名ずつがグループになり、最初は私が提供したテーマに沿って、次に自分たちが氣になる社会問題を巡って討論します。授業は基本的に日本語なので日本人学生が議論を主導することが多いのですが、タイミングを見て「今から30分間は英語を使いなさい」と指示すると、今度は留学生たちの発言に日本人がたじたじに…(笑)。

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世界各地のポストカードが壁一面に

 こうして言語や文化の異なる学生同士が、授業で真剣に交流することの意義は計り知れません。相互理解を深めながら、他者に配慮し、自分を見つめ直し、新しい価値観を獲得する経験ができるのです。わずか15回の授業ですが、最後には日本の高校生たちを相手に自分たちの学習成果を伝え、議論への参加を促し実行するという、高いハードルを乗り越えてくれます。

米国留学で厳しさも経験

 もう一つのクラスは、「キャンパス国際化への貢献」という課題解決型の授業です。主に英語で行われ、日本人学生は「少数派」。留学生と協働し、大学のさらなる国際化を目標にプロジェクトを立ち上げ、実行しなければなりません。

 学生たちはしばしば、無謀とも思えるアイデアで動き出してしまいます。日本人学生は外国人の無計画さに腹を立てたり、行動力に触発されたりします。外国人学生は日本人の綿密な計画に感心したり、なかなか自分の意見を述べない消極性にあきれたりします。しかし、共通の目標に向かって次第に歩み寄り、最後には、何とか形にしてしまうのです。

 東北大学の留学生への以前の調査では、日本人の友人の数は「0から2人」という回答が最多でした。そこで「クラブ・サークルにもっと留学生を」というテーマでパンフレットを作ったり、大学や日本人学生に働きかけたりするというプロジェクトで結果を出したチームもあります。

 私は米国の大学と大学院を出ていますが、最初から海外で学ぼう、働こうと思っていたわけではありません。日本の大学で教員を目指しながらも「これは本当に私がしたいことではない」と思うようになり、2年生の時に海外行きを決断したのです。

 おじが米国の大学で学位を取っていたこともあって、米国に行くことに迷いはありませんでした。しかしインターネットなど無い時代です。留学や編入の知識も無いまま、自分で集めた情報だけを頼りにいくつかの大学に英文の手紙を書きました。その中から「日本人はいないが来なさい」と返信してくれたミネソタ州の大学で学ぶことにしたのです。

 英語の勉強は苦手ではなかったものの、会話力はゼロです。簡単なあいさつしか出来ないのに渡米し、3日目にパスポートを失くして途方に暮れました。警察に行っても話がまったく聞き取れません。再発行のパスポートを手に入れるまで大変な思いをし、会話の学習意欲が大いに向上しました(笑)。

 大学は、ほとんど白人ばかりが住む小さな町にありました。外国人は私を含めて数名。最初のうちはとにかく英語を聞こう、話そうと、懸命に努力しました。しかしやがては疲れ果てて人と会うのも嫌になり、部屋にこもってしまいます。インターネットは無いし国際電話も高かったので、日本との通信は主に手紙です。日本語が恋しくてたまらず、人の絵を描いて壁に貼って話そうかと思ったほど追い詰められました。

 環境を変えようと、1週間ほどニューヨークに滞在した機会に、日本領事館で情報を集めました。米国では入学後も、志望や能力に合わせて大学を移ることが珍しくありません。ニュージャージー州の大学で、経済学を専攻することにしました。

 卒業後は日本商社のニューヨーク支店に、女性初の営業職で採用されます。仕事は楽しく、高い評価もいただきました。しかし出張で当時はまだ貧しかった中国や東南アジアを訪れるたびに、かつて目指した教育の仕事に対する思いが募っていったのです。豊かな日本や米国に生まれ、高い教育が受けられることは当たり前ではありません。商社で働き続けるよりも、教育で社会の役に立ちたいと思うようになったのです。

留学生はみんな日本が大好き

interview40_no01-03 そんな時、同じく米国で働く日本人の夫と知り合いました。結婚を機に4年で会社を辞め、インディアナ大学の大学院に入ります。2人の子を産み、育てながら言語教育を修めました。

 主な研究テーマは「留学生の文化適応と適切な支援がもたらす効果」です。自分の体験も活かして留学生心理の理解や支援の方法を調査し、考えました。留学生だけでなく、支援する側の成長やメリットにも注目したことで、特に高い評価がいただけたようです。論文を書くだけでなく、留学生の支援システムを提案し、構築に関わりました。留学生としては初めてとなる総代としてのスピーチを務めることもでき、大きな充実感が得られたのです。

 「留学生支援こそ自分の天職」と確信する中、まさにその担当者を東北大学が公募していることを知り、応募して選ばれました。夫は米国での仕事があるため、幼い子ども2人を連れて帰国しましたが、日本では実家暮らしの経験しかありません。住い探しや各種の手続きなど、まるで自分が留学生になったような大変さでした。

 夫が帰国するまでの5年間を乗り切れたのは、周囲の方々のご協力のおかげです。関西生まれの私から見ると、東北の方々は最初は取っ付きにくいのに、打ち解けると驚くほど親切で頼りになります。これは留学生にとっても同じでしょう。

 外国人店員がコンビニエンスストアの24時間営業を支え、外国人の子が地域の学校で一緒に学んでいます。日本にいる外国人たちは日本を選んで来てくれたわけですし、特に留学生はみんな日本が大好きです。先進国はどこも高齢化・少子化・人口減少という課題を抱えています。外国人の受け入れは避けられないだけでなく、先進国同士は受け入れを競い合うライバルでもあり得るのです。

 私は担当の留学生と、受け入れ時に必ず個別に面談します。最初にお互いを知り、文化の違いを認め合うことが大切だからです。皆さんにも留学生や外国人を温かく受け入れていただければと思いますし、困っていたらちょっと手を貸していただきたいと願っています。交流すれば、きっと新鮮で豊かな経験ができるはずです。私もさらに実践と研究を深め、その成果を発表・公開することで、国際交流に貢献していくつもりです。

(取材=2019年2月12日/東北大学川内キャンパス 教育・学生総合支援センター西棟3階 末松研究室にて)

研究者プロフィール

東北大学 高度教養教育・学生支援機構 教授
専門=異文化間教育学・国際教育
末松 和子 先生

《プロフィール》(すえまつ・かずこ)大阪府生まれ。米国ラトガーズ大学経済学部卒業。総合商社に勤務後、米国インディアナ大学言語教育学科で修士・博士号を取得。教育学博士。2003年、東北大学大学院 経済学研究科 国際交流支援室に講師(留学生担当)として着任。准教授を経て、2013年より現職。東北大学総長特別補佐(国際交流担当)。東北大学グローバルラーニングセンター副センター長。著書(共著)に『多文化間共修:多様な文化背景をもつ大学生の学び合いを支援する』など。近く『留学生とともに学ぶ国際共修:効果的な授業実践へのアプローチ』を東信堂より刊行予定。

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