研究者インタビュー

がんの早期発見をにおいで

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東北医科薬科大学 薬学部 教授
専門=臨床分析化学
藤村 務 先生

がん検診をもっと簡単にしたい

 私たちの研究室では、がんの診断法や治療薬の開発に取り組んでいます。医療が発達した現在、がんは必ずしも「死に至る不治の病氣」ではなくなりました。診断法や治療法が進歩したことで、がんになっても命が助かったり、生活の質を向上させたりすることが可能になっています。

 しかしがんで亡くなる方は年間37万人に上り、日本人の死亡原因の約30%を占めて第1位です。がんは高齢になるほど発症の可能性が高く、50代以上では急に割合が増加します。原因は十分に解明されていないため、決め手となる予防法はありません。しかしタバコの煙が肺がんにつながることや、食生活が欧米化し、肉を多く食べるようになった日本人に大腸がんが増えたことははっきりしています。皆さんも、どうか生活習慣や食生活に注意してください。

 
 がんは病氣ですが、私たちの体に発生する「新生物」でもあります。細胞分裂を繰り返して急激に増えますし、周囲の部位に広がったり他の部位に移ったりすると、治療はきわめて困難です。発生した部位のがんを「原発(げんぱつ)」、移った部位では「転移」と呼びますが、原発のうちに発見・治療ができれば、今は8割もの方の命を救うことができます。「早期発見・早期治療」が非常に重要です。

 早期発見には、がん検診が有効です。特に胃がん・肺がん・乳がん・大腸がん・子宮がんの5つは、国が強く受診を勧めています。がん検診は職場や自治体の健康診断に含まれていることもありますし、人間ドックなどで受けることもできます。しかし受診率は、決して高くありません。部位によって検査が異なり、費用が自己負担である場合も多いためでしょうか。時間が取れないとか、検査に行くのが面倒だという理由で受けない人もいるようです。

 実は私は2年前に、姉を乳がんで失いました。福祉の仕事で忙しく働きながらも、毎年がん検診は受けていましたが、ある年あまりの多忙さに1度だけ受診しなかったのです。するとその翌年の検診でがんが見つかり、わずか2年の闘病で他界しました。がん検診では「来年もあるから」は通用しません。たとえ指定の日を逃しても、多少費用がかかっても、ぜひ受診していただきたいと思います。

 それにしてもがんの診断は、もっと簡単にできないものでしょうか。短時間の検査ですぐに結果が出て、安価な検査法があれば受診率も上がり、もっと多くの方の命が救われるはずです。私が取り組んできた「呼氣を分析して食道がんを診断する」という研究は、まさにそれを目指しています。

4つの物質を特定し特許を取得

i 私は大学で薬学を学び、薬剤師の経験もありますが、人の縁もあって、がんの研究に長く携わってきました。専門は「臨床分析化学」です。医療の世界では、実際に患者さんと接することを「臨床」と言います。臨床医らとチームを組み、患者さんの体の組織や、体から出る代謝物を分析して、病氣の診断や治療に役立てる研究をしてきました。

 体の内部のようすや病氣を知るには、レントゲン写真を撮ったり血液や便を調べたりします。職場や自治体の健康診断はこうした方法で行われ、短時間で多くの人を検査できて、コストも比較的小さい点がメリットです。もしも病氣の疑いがあれば、自覚症状が無かったり軽かったりしても、より精密な検査を受けるよう勧めます。

 しかしがんは発生する部位・種類が多いこともあって、早期の発見は容易ではありません。たとえば男性生殖器の前立腺は、がんと肥大症が代表的な病氣です。どちらも尿が出にくくなるという自覚症状がありますが、肥大症は服薬などで治療できるのに対し、がんは転移すると治療は困難です。これを見分ける血液検査に、「PSA検査」があります。しかし数値がある範囲内を示す<グレーゾーン4~10 ng/mL>では診断が確定できず、最終的には何本も針を刺して、体内から取った組織を調べることになります。こうした患者さんの負担が大きい検査でも、がんと診断されるのは3割に過ぎず、7割は肥大症なのです。

 がんを早期に発見するためには、検査をもっと簡単にしなければなりません。そして実は「におい」にこそ、その可能性があるのです。昔から医療関係者は、病氣とにおいの関係に氣づいていました。医師の中には、がん患者さん特有のにおいについて、その強さと病状の関係を指摘する声もあります。ただ、においの原因や理由の解明、そして診断や治療への応用については、ほとんど手つかずだったのです。

 研究が進んだ近年は、人間よりも嗅覚が発達している犬を訓練すると、9割以上の確率でがんの人をかぎ分けられることが分かっています。また線虫という生物が、がんのにおいに引き寄せられることも証明されていて、これは数年内にも検査に用いられそうです。しかし生物を用いた検査では、数値による客観的な診断はできません。根拠の説明やメカニズムの解明も、現状では困難です。

 酒酔い運転や酒氣帯び運転がアルコール検知器で摘発できるように、もしも呼氣を調べてその場でがんと分かる装置があれば、早期発見は大きく前進するでしょう。そう考えた私たちは食道がんと呼氣の関係について研究を進め、昨年には特許を取得することができました。

 食道がんは割合として欧米人よりも日本人に多く、周囲に広がりやすく転移しやすいがんです。一方で薬や治療法が向上しているため、原発の段階であれば、再発や転移なしに10年以上生きることもできます。初期には自覚症状がほとんどなく、診断には内視鏡検査などが有効ですが、検診の指針となっている方法はありません。早期の発見が難しいがんの一つなのです。

 私たちは食道がんの患者さんの呼氣を、氣体に含まれる成分と量を調べる「ガスクロマトグラフィー質量分析法」という方法で分析し、特徴的な4つの物質を突き止めることができました。健康な人に比べて、食道がんの患者さんの呼氣にはアセトニトリル、アセトン、酢酸、2-ブタノンが、明らかに多く含まれていました(図1)。いずれも特有のにおいを持つ物質です。

 実用化にはまだ時間がかかります。しかし簡易な検査法が確立し、他のがんの診断にも広げることができれば、やがては健康診断にも取り入れられ、より多くの人の命を救うことができるようになるはずです。

早期発見は本人も家族も社会も救う

i 病氣とにおいの関係の究明は、がん以外でも進んでいます。先ほど挙げた物質のうち、アセトンは昔から、糖尿病の患者さんのにおいの原因として知られていました。過度なダイエットで栄養失調の状態になった場合も、このアセトンが呼氣の中に多く含まれてにおいます。

 また「早期発見・早期治療」を目指す研究は、高齢化社会において問題になっている病氣についても進められています。認知症やアルツハイマー病の原因となる物質は、症状が現れる20年も前から、脳にたまり始めることが分かってきました。

 日本は世界的に見ると、健康保険制度がたいへん良く整っている国です。米国に留学した際には、そのことを痛感しました。治療が難しい病氣や症例が少ない病氣になっても、多くの場合は比較的小さい自己負担で、高度な医療が受けられます。

 しかし新たな薬や医療技術が開発され続け、さらなる高齢化が進んだ結果、医療費は増大し、健康保険制度が危機に直面していることも忘れてはなりません。自治体が健康診断を行ったり、一部のがん検診を無料にしたりしているのは、重い病氣の人が増えると医療費で財政が苦しくなるからに他なりません。がんの「早期発見・早期治療」は本人だけでなく、患者を支えることになる家族、さらには自治体や日本全体にとって重要だと言えるのです。

 私たち研究者は、より優れた診断法や治療法の開発に努めています。皆さんも生活習慣や食生活を見直し、積極的にがん検診を受けるなどして、ご自身・ご家族・社会の「健康」を守っていただきたいと願っています。

(取材=2018年5月25日/東北医科薬科大学小松島キャンパス 教育研究棟9階 臨床分析化学教室教授室にて)

研究者プロフィール

東北医科薬科大学 薬学部 教授
専門=臨床分析化学
藤村 務 先生

《プロフィール》(ふじむら・つとむ)1964年岩手県生まれ。東北薬科大学薬学部卒業。東北薬科大学大学院修士課程・同博士課程修了。博士(薬学)。順天堂大学医学部・大学院医学研究科で助手・講師・准教授を務め、2015年度より東北薬科大学教授(2016年度より「東北医科薬科大学」)。

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