研究者インタビュー

「コトのアート」で被災者支援を

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「モノのアート」と「コトのアート」

 私は美術の専門家として、学校教育と教員養成に携わってきました。現在の小学校の図工や中学校の美術では、作品の創作・観賞といった従来の内容に加えて、より幅広い創造や体験を楽しむ授業が行われています。創作の技術や表現を学ぶことはもちろん大切です。それに加え、自分の発想や集団の話し合いを基に、様々な行為そのものを楽しむ活動が、たとえば小学校の学習指導要領には「造形遊び」として定められているのです。

 伝統的なものから最新のものまで文化に対して興味・関心を持ち、他者と協力・協調して何かを成し遂げる経験をし、コミュニケーション能力を身につける。これらは子どもたちの「生きる力」を育む今の学校教育の目標で、図工・美術以外の教科にも共通しています。

 こうした美術教育の変化をアートの側から見ると、アートに対する考え方の広がりに対応しています。美術館に展示されている絵や彫刻もアートですが、現代では街頭や自然の中で展開されるアートも盛んです。従来の平面・立体作品を「モノのアート」、空間や時間を構成する過程や、体験を楽しむものを「コトのアート」と呼ぶことにしました。現代美術の作家でもある私は、この「コトのアート」に20年以上取り組んできました。

 学生時代は版画を制作していたのですが、版画は原画・彫り・刷りなどの分業で創られることが珍しくありません。発想や技術だけでなく、互いの専門技能を認め合い、協力し合うコミュニケーション能力も必要です。また米国では、版画の技法を用いてアートとメディアやデザインとの境界に挑んだ、アンディ・ウォーホルらの美術家が活躍していました。そうした刺激も受けて、「コトのアート」に興味を持つようになったのです。

 作品を紙ではなくTシャツに刷り、着ている写真を持ち帰る。ギャラリーの床に渦巻き状に畳を敷いて、その上で来場者と語り合う。自分の車に作品を詰め込んで街頭に繰り出し、路上に広げたり持ち歩いたりして展示する。大学卒業後も東京の中学校で美術を教えながら、そうした表現活動を行っていました。

 1994年、中学校丸ごといたるところに美術作品を展示したりパフォーマンスを行ったりする「学校美術館構想」という案を発表したところ、美術作家や関係者だけでなく保護者からも大きな反響があり、実現することになりました。様子が全国に報じられ、中学校の美術教科書にも掲載されたことで、「コトのアート」が学校教育の現場に広がったのです。期間限定の試みだからしっかり記録を残そうとビデオカメラを回し、動画を含むデータをパソコン用の記録媒体CD-ROMにしたことも当時としてはかなり新しかったと思います。もしかしたらアート史上、世界初だったかもしれません(笑)。

 東北地方には全く縁がありませんでしたが、宮城教育大学で非常勤から常勤になり、街なかでアートプロジェクトを展開するなどしてこの地に根を張りました。そして2011年3月に東日本大震災が発生すると、「コトのアート」と、アートで生まれた結びつきの力で被災者の支援に取り組み始めたのです。

被災者とともにアートを楽しむ

 3月11日は大学にいました。激しい揺れの後、晴れているのに雪が吹き付けてきたことを鮮明に覚えています。仙台市内の自宅に戻ると電氣・水道・ガスは止まっていて、夜はロウソクでしのぎました。家族にも受け持ちの学生にも大きな被害はありませんでしたが、沿岸部の学校に勤めていた本学卒業生も多く、津波の被害は甚大でした。

 2009年に仙台で立ち上げたアートプロジェクトのNPO(非営利活動団体)では、インターネットを活用していました。全国のアート関係者から、次々と情報が入ってきます。それを整理して発信していたところ、私の情報を基に支援物資を積んだトラックが仙台に集まり始めました。こうして災害支援や福祉関係のNPOなどとも連携して、活動することになったのです。

 市民のネットワークを活かした私たちは、行政の手が比較的届きにくい場所にも物資を運び、被災者の方々に喜んでいただきました。災害では自助・共助・公助が大切ですが、こうした「民助」とも言うべき民間の支援も重要です。生命や健康が脅かされている時、アートはほとんど役に立ちません。しかしアートが結ぶ人のつながりは、大きな力になるのです。

 避難所が落ち着き始めると、今度は「コトのアート」の出番です。当初私たちは、アートで被災者を支援することには慎重でした。たとえば子どもたちに画材を配って絵を描いてもらう活動も、過酷で衝撃的な体験を思い出させ、苦しめることにつながりかねません。最初は楽しい作品やパフォーマンスを見せるなどして子どもたちに笑顔になってもらい、徐々に表現を通じて体験を客観視することや消化できるよう氣を配りました。

 こちらが「アートです」と言っても、支援したい方々に理解され受け入れてもらえるとは限りません。たとえば仙台で2003年に行ったアートプロジェクトは、「空き店舗をきれいにしますよ」という申し出から始めました。私は壱弐参(いろは)横丁や文化横丁のような、小さな飲食・物販店が並ぶ路地が大好きなのですが、当時は空き店舗が目立っていました。そこで「活性化します」ではなく「アート作品を飾るギャラリーにさせてください」とお願いしたのです。作品を飾るだけでなく、マップや横丁限定通貨を作ってPRしたところ大いに賑わい、会期終了後には次々と新たな借り手が入りました。

 被災者支援でも、まずは福祉団体と街頭でコーラスの企画などを行ったり、仮設住宅で食べ物を楽しむ会を催したり、チャリティー企画を開催し造形ワークショップや生活相談会のブースを設けたりしました。そうして被災者の方々との関係ができてから、アートを楽しむ活動を提供し始めたのです。

 避難所や仮設住宅の環境はたいへん厳しいものでしたが、復興公営住宅に入居した後も、被災者の苦しみは続きます。避難所や仮設住宅で生まれた結びつきが失われ、孤独に耐えている方がたくさんいるのです。そうした方々と一緒にお汁粉を作って食べ、音楽や表現を楽しむ活動を、現在も継続中です。

アートを通して伝え続ける

「次の災害」に備えて、震災を広く伝える活動にも力を入れています。一つは津波で破壊された物を収集・展示する「3.11メモリアルプロジェクト」で、震災の1カ月後から、道路標識の残骸やねじ曲がったドラム缶等、津波の恐ろしさを示す物を集めて歩きました。思い出したくない、忘れたい、という被災者もいることは理解しています。しかし広島の原爆ドームのように、物があるからこそ伝わることもあると思うのです。

 震災遺物の展示は国内だけでなく、韓国、台湾、ニューヨークでも行っています。この12月にはインドネシアで開催しました。2004年のスマトラ島沖地震では、津波などで30万人が命を失っています。アチェの津波博物館で東日本大震災の遺物も展示し、現地の方々と共に防災・減災の誓いを新たにしました。

 もう一つは、津波が間近まで来た学校などにエドヒガンザクラを植える「桜3.11学校プロジェクト」です。津波の脅威と到達地が長く伝わるよう期待して、長寿で知られるこの種を選びました。あわせて、子どもたちに地域への愛着を抱き、地域の未来を担ってもらいたいという願いを込めて、風船にメッセージを書いて空に放ったり、桜色の花火を打ち上げたり、桜色のリレーバトンを寄贈するなどの活動を行っています。

 私は熊本県八代市の出身です。2016年4月の熊本地震では車に支援物資を積んで、仙台からおよそ24時間かけて現地に入り、支援が届きにくい高齢者施設などに食料を届けました。宮城の様々な方から物資を提供していただき、被災地同士を結ぶ役割も果たせたと思います。熊本でもアートワークショップや、震災遺物を残す活動を提案し、現地の友人たちと継続中です。災害は時間の経過とともに風化すること、伝承が難しくなることが避けられません。しかし必ずまた起こります。私はアートを通して伝え続け、防災・減災につなげていくつもりです。

 アートは敷居が高い、と感じる方もおられるでしょう。しかし集まって食べたり楽しんだりするアートもあります。そうした体験もまた学びですから、どうか固定観念にとらわれず、楽しく学び続けていただきたいと思います。

(取材=2017年11月24日/宮城教育大学 村上タカシ研究室にて)

研究者プロフィール

宮城教育大学 教育学部 准教授
専門=現代美術(プロジェクトワーク)、美術教育、教育情報学
村上タカシ 先生

(むらかみ・たかし)熊本県八代市生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。中学校教員、千葉大学・武蔵野美術大学・宮城教育大学の非常勤講師等を経て、2002年より現職。美術家・アートプランナーとしても活動し、アート系NPO代表。宮城県文化芸術振興審議会委員。東北大学大学院教育情報学教育部博士前期課程修了。修士(教育情報学)。

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