参加体験記

多賀城碑のなぞを探る!

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多賀城碑のなぞを探る!
「考古学からみた多賀城碑」

講師:白鳥 良一 氏(元宮城県多賀城跡調査研究所 所長)
日時:2014年11月23日(日) 14:40~15:50
場所:東北歴史博物館 3階講堂

 この日も「壺の碑(いしぶみ)」は晩秋の青空のもと、静かに立ち続けていました。芭蕉『おくのほそ道』中の「壺の碑」の名文を永年心に温めつつ、数年に一度はこの碑の前に立ってきました。

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紅葉を背に今日も静かに佇む

 
 3週間前、多賀城廃寺跡を散策中に、その入り口でこの講演会のポスターを見かけ聴講しました。
 この日は冒頭、「多賀城碑」と「壺の碑」について公募された一般からの作文発表が5名の方からありました。碑にまつわるいろいろな説は何となく知っていたのですが、今回の講演でその具体的な細部に亘って学ぶことが出来ました。
 碑についての歴史的経緯を大雑把にまとめると、
(1)早ければ10世紀以前に倒れていたと考えられること(2)1658年までに土中から掘り出されたこと(3)1694年、松尾芭蕉がこの碑と対面(4)水戸光圀の進言により、時の藩主伊達綱村が1695年頃覆屋を建設(5)偽作説の提起(1760年長久保赤水など)(6)その後明治~昭和前半にかけて審議論争が活発化(7)昭和44年、多賀城跡調査研究所の綿密な多賀城跡調査と検証より、碑は奈良時代のもので間違いないと結論
といった感じになります。それでも一部にはまだ碑が古代だと言い切れないとする意見も残っているようです。
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さまざまな議論を呼んできた多賀城碑

 時は移り、覆屋の腐朽による全面解体修理のため平成9年度、碑周辺の詳しい発掘調査が行なわれました。「碑を倒さないことが絶対条件」だったそうです。その結果、平成10年6月30日に国の重要文化財(古文書)に指定され、真偽論争に一応の決着がついたのですが、碑中最も大きな文字「西」の意味や里程の表記など、未解決な問題もまだ残っている、ということです。

 宮城という郷土の一角に、古人の心を知る貴重な「古文書」が存在し、いつなりともその前に立てるのは何と素晴らしいことでしょう。もっと多くの人たちに知られてしかるべき遺産だと私は思います。そういう感懐も込めて、最後はやはり『おくのほそ道』から芭蕉の名高い文章で終わりたいと思います。
 

 時移り世変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰(ここ)に至りて
 疑なき千歳の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。
 行脚の一徳、存命の悦び、羇旅(きりょ)の労(いたわり)を
 わすれて泪も落るばかり也。

 

(宮城郡利府町 壬生野シーボルト)

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