研究者インタビュー

なぜ研究者の方から企業を訪ねるのか?

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摩擦工学を生かした靴底から「仙台づけ丼」まで

 私は研究者であると同時に、仙台市と福島県の非常勤職員として、地域産業の振興にも取り組んでいます。専門は摩擦・摩耗・潤滑を総合的に研究する「トライボロジー」。日本ではなじみがないので「摩擦工学」とご紹介いただいています。

 専門を生かした「濡れても滑りにくい靴底」から、仙台名物「仙台づけ丼」や鉛筆・レポート用紙などのセット「秀才文具パック」まで、幅広い商品の開発に携わってきました。私が関わったと公表可能なものだけで製品化は124件、売上は年間600億円にもなりますが、私は特許料等は受け取っていません。私が産学連携に力を注いでいるのは、出会った数多くの素晴らしい方々のためだからです。

 機械工学の基礎研究を志していた私は、大学院時代は摩耗メカニズムの解明に明け暮れ、1983年には、どのような条件でどのような摩擦が生じるかをグラフに表すことに成功し、国際的に高い評価をいただきました。1990年に東北大学で助教授になりましたが、山形大学では助教授も自分の研究室が持てることから、米沢市にある工学部に転じます。基礎研究重視の東北大に比べ、山形大は応用研究や実用化に力を入れており、自治体も地元企業と研究室を結ぶことに熱心でした。当時は産学連携といえば、国が大企業と都市部の大学をつなぐのが普通です。しかし私は山形で、地方の中小企業の技術の高さを知り、有能で魅力的な経営者と出会ったのです。

 1996年、ある産学交流会で炭素材料の一つであるウッドセラミックスについて話すと、天童市の油脂会社の方々がやってきました。そこは精米で出る米ぬかから良質な油を精製していましたが、油を絞った後の脱脂ぬかは家畜の餌などにしかならないため、有効な活用法を模索していたのです。

 木も米も同じ植物、セラミックスになりませんかと聞いて、私は学生たちと実験を重ねました。すると3カ月も経たないうちに、優れた性質の米ぬかセラミックスができてしまったのです。関係者の意欲を引き出すため、プロジェクトや製品には良いネーミングが必要だと考えている私は、これを「RBセラミックス」と名付けました。高性能で未来志向であることを表現しようと、米ぬかの英語(rice bran)の頭文字を用いたのです。

 RBセラミックスは材料として優れるだけでなく、製品化の可能性の広さ、工業製品としての生産のしやすさなど多くの特長を持っていました。しかも大量に廃棄されている米ぬかが主原料ですから、コスト面も環境面も高評価。構想からわずか10カ月で特許の出願に至りました。一方、油脂会社の社長の決断もすさまじく速く、製品化のあてがないまま生産工場を建ててしまいます。しかしこれが効いて、山形県内の製造業者が商品開発に成功したのを皮切りに、みごと全国展開を果たしました。

地域産学官連携は「仙台堀切川モデル」で

 RBセラミックスの開発と同時期、私はやはりご縁を得て、1998年の長野五輪に向けて日本のボブスレーチームのためのソリの刃も開発していました。自分の研究が産業界やスポーツ界に貢献できる喜びは大きく、異分野の方々と開発する充実感、製品化の達成感、そして利用者に評価していただける満足感はかけがえのないものでした。

 私が山形にいた1990年代、バブルの崩壊から日本経済は長い低迷期に入ります。既存の基幹産業は国際競争力を失い、大企業は製造拠点を海外に移して生き残ろうとし、国は情報通信産業など「次の基幹産業」の育成に力を注ぎました。一方で下請けの中小企業は衰退し、東北など地方はやせ細ったのです。

 山形で11年間に12件の製品化・事業化に携わった私は、地域活性化のためには自治体も積極的に関わる「地域産学官連携」にこそ、日本の可能性があると考えるようになりました。ハイテクによる基幹産業の形成も、ベンチャーが大企業に成長することも否定しません。しかし基盤技術として定着したローテクを組み合わせ、現代のニーズに応えるベンチャーが地域にたくさん生まれれば、たとえ小規模でも個々の商品寿命が10年程度でも、地域は元氣でい続けられるはずです。私は地方の中小企業には、それが可能な技術や人材があることを知りました。2001年に東北大へ移った時、山形の皆さんが反対署名運動までして引き止めてくださったことは私の誇りです。

 仙台市から産学連携の専門家としてご依頼をいただいた際、私は「専門だけでなく、地域の産業振興に幅広く貢献するために」とお願いしました。ご快諾いただき、2004年から「地域連携フェロー」という、非常勤職員の立場で活動を続けています。まず私が始めたのは、依頼がなくても自分の方から地元企業を訪ねて回る「御用聞き」でした。市と仙台市産業振興事業団の職員とともに、こちらから企業を訪問するのです。

 現場で困っていること・できることを教えてもらうと、時間をかけずに製品化・事業化が可能な、良い案件が次々と見つかりました。下請けだけでなく高い技術を生かした自社製品を作った企業、開発を途中で断念したものの私の助言で商品化に成功した企業など、最初の2年間で8件の事業化に成功します。

 商品化や事業化には意欲や技術だけでなく、マーケットが求める水準や価格の把握、速さなども大切です。しかし中小企業は理想を追求するあまり、途中で挫折してしまうことが少なくありません。私の助言をきっかけにその壁を破り、社員のやる氣が向上して自ら積極的に動き出す企業が相次ぎました。

 当時日本立地センターに勤務しておられた林聖子氏(現・亜細亜大学教授)は、こうした私の活動を「仙台堀切川モデル」と名付けて全国に紹介してくださっています。おかげで43もの都道府県で、350回に及ぶ講演に呼ばれるまでになりました。

 

地方に「魅力ある雇用」を作りたい

 東日本大震災以降は、企業から連絡があればできるだけ早く、可能ならばその日のうちに面談する「駆け込み寺」を開設し、仕事量は2倍になりました。国の復興推進会議で話をしたところ、参加していた福島県の内堀雅雄副知事(現・知事)から翌日電話があり、次の日には訪問を受けました。

 震災に加えて原発事故とその風評被害に苦しむ県民のために、と言われて支援を始め、2013年4月からは県の非常勤職員に就任しました。その後は毎月まる2日ずつ福島県に通っています。「御用聞き」方式で県内各地を回りましたが、事態は急を要します。県職員らだけでなく、マーケティングの専門家や特許・商標登録に詳しいスタッフ、印刷会社のデザイナーなど総勢8名以上、多いときは十数名で企業を訪ね、できるだけその場で具体的な支援策を決めました。

 迎える企業の側は人数や私たちの本氣度に驚いて、すぐに本音の議論に入ります。まずは急いで実現可能な成功事例を作ること、商品名を早めに決めて商標登録を目指すことなどを助言し、成功率の向上と企業側の意欲の引き出しを図りました。

 自社製品の開発・販売は大変ですが、私は積極的に取り組むよう勧めました。展示会に出展して目を引けば、その商品だけでなく技術力のアピールにもなって仕事につながるからです。3年間で20件以上を商品化・事業化し、この2月には助成してもらった国に、成果を報告することができました。

 私達の手法に学んだ取り組みが全国に広がり、私自身は宮城県大崎市の産業振興にも関わるなど、忙しさは増すばかりです。しかし私は地方に、都会ほどの高収入でなくとも誇りを持って楽しく働ける「魅力ある雇用」を作りたいのです。それこそが地方創生へとつながり、日本の未来を開くと信じています。

 これまでに私が相談に応じた件数は2,300以上です。大企業とは組まないわけではなく、一昨年リニューアルされた大王製紙のエリエールティシューの開発にも協力しました。摩擦係数の低減が肌触りの向上につながることを実証し、売れ行きは大いに好調です。CMには私が出たかったのですが(笑)、タレントの松本潤さんが「松本准教授」として出演しました。

 開発を通して多くの方々の笑顔にふれる時、「苦しくとも次の開発も頑張ろう」と思い、「喜びの正のスパイラル」を継続させて地域に沢山の新製品の花を咲かせる「現代の花咲か爺さん」を目指して、これからも産学官連携に力を尽くします。

(取材=2017年2月28日/東北大学青葉山キャンパス工学研究科・工学部 機械系1号館2階 会議室にて)

研究者プロフィール

東北大学大学院 工学研究科 教授
専門=摩擦工学
堀切川 一男 先生

(ほっきりがわ・かずお)1956年青森県生まれ。東北大学工学部卒業。東北大学大学院工学研究科 博士後期課程修了。工学博士。東北大学工学部助手、講師、助教授、山形大学工学部助教授を経て、2001年より現職。著書に『MOT産学連携と技術経営』(共著)『「筋のよい答え」の見つけ方』『プロジェクト摩擦 tribologist -「米ぬか」でつくった驚異の新素材』など。

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