研究者インタビュー

なぜ研究者がラーメンを開発するのか?

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提案だけでなく地域と共に試みる

 大学の使命は教育と研究と地域貢献ですが、私の場合この3つが1つになっています。私は、高校の教員を10年間務めた後、大学教員に転職し、八戸大学(現・八戸学院大学)に赴任しました。大学に着任した後、当時学長だった蛇口浩敬(へびぐち・ひろたか)氏から「地域の現場で実践的に行動し、具体的に課題解決策を探究する教育・研究活動を志しなさい」という言葉をいただいたことが、今の活動の原点になっています。

 私はまず、青森の名産であるリンゴ農家に向かいました。リンゴの栽培は1年を通して高所での手作業が続きます。収益性は良くなく、後継者不足で高齢化が進んでいました。学生たちと調査する中で、課題の解決には従来の農業の枠組みだけでなく、より広い視野で取り組むべきだと考えました。

 ちょうどガーデニングや畑作り、農村での食事や宿泊を楽しむ旅がブームでした。自然志向の市民とリンゴ農家を結ぼう、と設立したのが「はちのへ農援隊」です。市民は農作業や販売を支援し、生産者はお礼として農産物を現物で支給する。この仕組みがうまく機能し、直売所を開くまでになりました。

 研究者としての「研究活動」と、学生たちと地域の現場に立ち、実践的に行動する「教育活動」と、地域課題の解決に向けて地域の人々と有機的な関係を構築して行動する「地域貢献」。この3つの活動を一体的に捉えるのが、私の「産学連携」です。

 経済・経営の分野では海外、特に米国のドラッカーやコトラーといった人々が現場に入って実証的に研究し、大きな成果を上げてきました。ノーベル賞が基礎的・理論的な研究に与えられるのも、それが医療など実際の役に立つからです。日本でも、より社会に生かされる研究が進められるべきだと思います。

 次に私が注目したのは、八戸の基幹産業である水産業です。水産業でまず思い浮かぶのは漁業ですが、八戸港の用途別の出荷量を調べると、鮮魚よりも加工原料の割合の方がずっと大きいことが分かりました。宮城県でも塩竈は鮮魚の割合が上回りますが、気仙沼と石巻では加工原料用の方が大きいのです。

 八戸では漁業と水産加工業の結びつきを踏まえないと、水産業の振興や地域の活性化はうまくいきません。しかも輸入される魚介類や加工品との激しい競争、燃料費の上昇、デフレの影響、消費者の魚離れ、資源保護の必要性など、課題は多岐にわたります。しかし私はまず、自分の舌を使って考えました。

 八戸に住み始めた頃、スーパーで購入したサバの加工品を食べたところ脂ののりが良く、驚きました。脂ののったサバというと、ノルウェーなどから輸入されたタイセイヨウサバの人氣が高いですが、八戸産のサバはタイセイヨウサバと同じぐらいに脂がのっていることがわかりました。日本各地のサバを取り寄せて粗脂肪分を調べた結果、太平洋を回遊するサバは、北限の漁獲域に近い八戸沖で粗脂肪量が高まり、EPA・DHAといった不飽和脂肪酸の含有量も豊富であることが分かったのです。

オール石巻で挑んだ「サバだしラーメン」

 こうした分析結果も、地域の事業として成り立ってはじめて意味を持ちます。水産業の現状を知るため関係の会合に顔を出し、港や加工場に通ううちに知人が増えました。学問的には「参与観察」と言いますが、調査対象である人々の中に入って生活しなければ分からないことが多いのです。毎日出かけ、誘われて毎晩のように飲むうちに、貴重な知見を得るとともに体重が増加しました(笑)。

 一方で学生たちと消費、流通、マーケティングなどの問題を洗い出し、八戸のサバをブランド化するための方策を練りました。こうして生まれたのが「八戸前沖さば」です。八戸港に揚がったサバならではの価値を、関係者が一丸となってアピールすると注目され、大いに市場価値を高めることができました。

 7年いた八戸から石巻に移る時には、ライバルである「金華さば」の産地に移ることになったためずいぶん責められもしましたが、今でも八戸の方々との交流は続いています。「八戸前沖さば」の新展開としては、健康に有効だとされる成分の抽出による、サプリメントの開発を計画中です。

 2010年に石巻専修大学に着任してまず手がけたのは、かつての市街地の活性化です。現在の石巻市は12年前に近隣の6町と合併して誕生しましたが、人口の減少、高齢化、産業や経済の停滞などの課題は、旧郡部において特に深刻でした。

 私が携わることになった飯野川地区は旧河北町の中心部で、家庭や食堂などでサバだしを用いる食文化があります。宮城県の「金華さば」は有名なブランドですが、東日本では一般にサバだしはあまり活用されません。これを地域の強みにできないかと考えて生まれたのが「サバだしラーメン」です。

 しかし、ブランドの確立や維持は難しく、大手メーカーの商品や大手流通業が手がけるプライベートブランド商品と同じ土俵では戦えません。私たちは商品に地域性や独自性を付与しながら、大手メーカーやプライベートブランド商品との差異化を図ろうと考えました。



 「サバだしラーメン」の開発に際しては、スープを担当した水産加工業者、地元産小麦でサバの中骨を配合した麺を開発した製麺業者、小麦の生産者、まちづくりの関係者、飲食店などが力を合わせました。今では34万食を超え、飯野川商店街の食堂での提供に加え、家庭用商品や土産用商品も販売されるようになりました。ラーメンを食べることを目的とした来街者も増加し、昼時に行列ができる店舗も見られるようになりました。

 責任を持って商品開発に取り組んだ学生たちは、販売開始後も検証活動を重ねてブランドの発展に努めています。ピーク時には休日も夏休みもないハードさで、周囲から「ブラックゼミ」と言われたりもしますが(笑)、地域社会で実践的に学んだ学生たちの成長には驚くばかりです。

震災を機に八戸と石巻を結ぶ

 東日本大震災が発生した2011年3月11日は八戸に出張中でしたが、震源から離れている八戸市もライフラインは止まり、交通機関もストップ。日帰りの予定でしたが、帰る術を無くしたため避難所に寝泊まりして4日間を過ごしました。八戸滞在中、漁港付近の被災状況を見に行きましたが、浸水した水産加工会社も、3日ほどで通電したため復旧は順調に進みました。

 しかし宮城県の被害の大きさを知ると氣が氣ではなく、開通した鉄道の路線に合わせて移動することにしました。まずは青森市まで北上。その後、日本海側を通って新潟市を経由し、バスに乗って仙台に着いたのは発生から9日目です。翌日、自宅のある塩竈から自家用車で石巻に向かいましたが、目の当たりにした被害状況は八戸市で見た光景とは異なっていました。

 本格的な復旧・復興を待っていたら、石巻の水産業は販路を失い、人口流出で生産力も低下する。そして輸入品との価格競争に敗れて衰退してしまう。阪神淡路大震災の後、同じように苦しんだ神戸市長田地区のケミカルシューズ産業を知っていた私は、そう考えました。

 一刻も早く加工品の出荷を再開することで石巻の水産業を維持したいと考えた私は、八戸の企業に「石巻の商品を生産してほしい」と頼み、石巻の企業には「製造を八戸に委託して、早く販売を再開しましょう」と働きかけました。この試みは、双方からいくつかの企業が応じ、事業化させることができました。産地間、業者間という二重のライバル関係にある企業同士が協力できたのは、東北地方の水産業の持続のためにという、考えを理解していただいたからだと思っています。

 地域の枠組みを超えた取り組みは、その後も広がっています。宮城県産小麦の麺と、鳥取県・境港(さかいみなと)のベニズワイガニを組み合わせて開発した「カニだしラーメン」はその一例です。また水産加工会社から排出される魚の中骨を学校給食に用いる取り組みも、山形県高畠町など宮城県外に広まりつつあります。

 食品開発だけでなく、昨年6月からは観光商品の開発も始めました。JR東日本が展開している「駅からハイキング」という企画では、石巻市の産業復興の状況や食を知って・学んで・味わうといったプランを、学生や石巻市の事業者と企画・運営しています。これまで3回実施したツアーは予約開始翌日までに定員に達しており、おもに関東在住のお客様にご参加いただいております。

 現場を踏んで成長する学生たちを見てきた私は、産学連携による教育・研究・地域貢献活動に大きな意義を感じています。今後も石巻の産業界とともに連携活動を展開しながら、活動で得た成果や知見を、他地域にも普遍化・一般化させていきたいと考えています。

(取材=2017年2月23日/石巻専修大学3号館2階 石原研究室にて)

研究者プロフィール

石巻専修大学経営学部・大学院経営学研究科 教授
専門=地域産業論・地域経営論
石原 慎士 先生

(いしはら・しんじ)1970年愛知県生まれ。石巻専修大学経営学部卒業。弘前大学大学院 地域社会研究科 博士後期課程修了。博士(学術)。高校教諭、八戸大学商学部専任講師、ビジネス学部准教授などを経て、2010年より石巻専修大学准教授に着任し、2013年より現職。編著書に『新版 地域マーケティングの核心―地域ブランドの構築と支持される地域づくり』、共著書に『新版 地域ブランドと地域経済―ブランド構築から地域産業連関分析まで』『格差社会と現代流通』など。

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