研究者インタビュー

シェイクスピアをラーメンのように

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東北学院大学 教養学部教授
専門=英文学・比較演劇
下館 和巳 先生

東北弁で演じるハッピーエンドの「ロミオとジュリエット」

 私は大学の研究者ですが、「シェイクスピア・カンパニー」という仙台のアマチュア劇団の主宰者でもあり、その脚本・演出を担当しています。劇団はもう20年以上続いていて、ほぼ毎年公演を行ってきました。

 私たちの芝居は、舞台を東北地方に移し替えたシェイクスピア劇です。だからロミオもジュリエットも、ハムレットもマクベスも、登場人物はみんな方言を話します。なぜなら演じる私たちにとっても観客の皆様にとっても、切実な想いを語り、劇の本質に触れるには、標準語よりもふだん話している言葉の方が適切だからです。

 このような形で元の作品を活かすことは、シェイクスピア劇に限らず珍しいことではありません。もちろん本来の脚本通りに上演することにも意味はあります。しかし英語から日本語にする時点で既にオリジナルとは言えません。特にシェイクスピアのセリフは全て詩の形で書かれていますし、ダジャレのような言葉遊びにも溢れていますから、翻訳は至難の業なのです。

 また今年は没後400年ですから、シェイクスピアは日本で言えば江戸時代の初期に亡くなったことになります。当時の日本語と私たちの日本語が違うように、彼が書いた英語と現代の英語も、かなり異なっているのです。

 しかし私たちは、稽古で必ずシェイクスピアの原文に触れることにしています。たとえ十分に意味を理解できなくても、言葉や音に込めた想いを感じる必要があるからです。私たちは2000年には本場英国に乗り込み、東北弁で「マクベス」を演じて喝采を浴びて来ました。公演では5回とも英語の字幕さえ用いませんでしたが、観客は筋書きを知っていますから、問題は言葉が通じるかではなく、芝居が良いか否かだったのです。

 その後も順調に活動を発展させてきましたが、2011年の東日本大震災では劇団員もお客様方も深刻な被害に遭い、徹底的に打ちのめされました。しかし「毎年楽しみにしてんだよ。まだやってけだらいいっちゃ」という、ある高齢の女性の言葉に励まされ、お客様方のために活動を再開したのです。

 その方の「短くて、誰も死なないのやってけさいん」という言葉を受け、被災した方々に楽しんでいただける芝居を作ろうと、それまで以上に大胆な脚本に挑みました。そうして震災の翌年から、沿岸被災地を含む11カ所で、鳴子をモデルにした温泉が舞台の「ロミオとジュリエット」を演じて回ったのです。

 モンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットは、門太露未緒(もんた・ろみお)と、河富樹里(かふ・じゅり)になりました。原作では二人はおよそ17歳と14歳ですから、この作品でも高3と中3です。客を奪い合い、いがみ合っている旅館とホテルの跡取りである二人は、出会い、恋に落ち、苦しみます。原作では最後に二人の死が両家を和解させますが、私たちの芝居では誰も死なず、ハッピーエンドで幕になるのです。

 今の若者たちなら、恋を標準語で語るでしょう。しかし時代を昭和30年代に設定したこの芝居では、若い二人も東北弁です。バルコニーでのジュリエットの有名な独白は、樹里の「門太、門太、門太露未緒……なんでっしゃ、なんで門太なのっしゃ。」という切ない言葉でなければなりません。仮設住宅に暮らす年配の方々が、津波に奪われた配偶者との思い出を温められるような、そんな芝居にすることができたと思っています。

ラーメンに学んだシェイクスピア

 私がシェイクスピアに出会ったのは、仙台にあった映画館の「名画座」でした。高校の時オリヴィア・ハッセー主演の『ロミオとジュリエット』に魅了されたのです。東京の大学に進んで英語劇部に入った私は、ワイルドの小説を脚本にしました。これが高く評価されたことが、私のその後を決めたのです。

 英国に留学して多くの舞台に触れるうちに、私は役者たちの英語が一通りではないことに氣づきました。階級社会である英国では、言葉が階級を表します。役者たちは役柄に合わせた英語を、見事に使い分けていたのです。さらには首都ロンドンがあるイングランド以外の、各地の訛(なま)りも効果的に使われていました。もちろんシェイクスピア劇でも。

 英国の舞台で方言が話されるようになったのはビートルズの影響です。彼らが歌ったり話したりしたのは、上流階級の英語でもロンドン言葉に基づく国営放送BBCの英語でもない、地方都市リバプールの英語でした。若者を中心に「自分たちの言葉」を見直す動きが広まり、それが舞台にも及んだのです。

 「英国の芝居をそのまま持って来るのではなく、日本の観客に合わせて上演しよう」と私に決意させたのはラーメンです。私はラーメンが大好きで、食べ歩くだけではすまず、自分で作って味を究めようとしていました。英国行きの際は、具材から調理用具、果ては丼までを別便で送ったほどです。

 ところが英国人に自慢のラーメンを振る舞うと、「スープが熱い」と食べようとさえしません。彼らが「ロンドンにはうまいラーメン屋がある」と言うので行くと、スープがぬるくて全くおいしくありません。しかし私がいくら「日本の本当のラーメン」を誇っても、英国人には見向きもされないのです。

 ラーメンとシェイクスピア劇はもちろん違います。400年後の今も世界中で演じられ、演劇の世界では絶対に無視できない存在であり続ける彼は、確かに文豪でしょう。しかし実際に脚本を読み、劇場での観客の反応を見れば、その芝居は難しくも堅苦しくもなく、ざっくばらんでひたすら面白いのです。こうして私は、日本の観客が喜んで観てくださる、ラーメンのようなシェイクスピア劇を志しました。

劇を上演するために研究者になった

 私が研究者になったのは、シェイクスピア劇を上演するためです。英語や演劇を研究し、彼の戯曲の本質を理解することなしに、「日本人のためのシェイクスピア劇」は実現できません。また宮城県塩竈市の出身である私にとって「私たちの言葉」とは東北弁ですから、方言についても勉強しました。

 「シェイクスピア・カンパニー」は東北各地はもちろん、東京でも英国でも上演しますし、震災後は沿岸の町の小学校の体育館や、仮設住宅の集会所でも上演しています。私たちの姿勢は「シェイクスピアをやるから観に来なさい」ではなく、「面白い芝居をやりますから観に来てください」です。ある時はワインとおつまみで誘惑し、ある時は仮設住宅を一軒ずつ回って頭を下げて、客席へ足を運んでいただくよう努めます。そうして来てくださったお客様方に、笑ったりしんみりしたりしていただくのが、私たちのシェイクスピア劇なのです。

 二人が死なない「ロミオとジュリエット」には違和感を覚えるという方もいるでしょう。しかし英国にも、二人が死んでしまうものと死なずに結ばれるものを交互に上演した舞台がありました。またシェイクスピア劇に着想を得て作られた映画の秀作も少なくありません。彼の作品には、国境も時代も表現の形さえも超えて愛されるだけの力があるのです。

 この取材は「オジーノカリーヤ」という洋食屋さんで受けさせていただきました。街の中心部にあるとは思えないような、雰囲氣のある素晴らしいお店です。私は散歩中に偶然見つけ、何よりも店主の人柄にすっかり惚れ込んでしまいました。稽古場にしていた市民センターが震災後に使えなくなったため、この店で稽古させていただいており、本当に感謝しています。私たちの活動は、こうして多くの方々に支えられているのです。

 今年はエッセイ集『東北のジュリエット』と全5巻に及ぶ『東北シェイクスピア脚本集』を出すことができ、『脚本集』は文化庁の助成もあって、200セットを沿岸被災地の中学・高校に贈呈しました。近刊の準備も進んでいます。

 「小説は読むが戯曲は難しそうだ」と思っている方には音読をお勧めします。きっとセリフの美しさや面白さを堪能していただけるはずです。そして学びの道に踏み入ろうかどうかを迷っている方には、私の英国での師匠の言葉を東北弁でご紹介しましょう。「ごじゃごじゃ言わねでやってみろ!」
 次の本公演は来年の2月で、年内にも先行して小さな公演を行う予定です。皆様のお越しを、心からお待ちしています。

(取材2016年8月4日/オジーノカリーヤにて)

研究者プロフィール

東北学院大学 教養学部教授
専門=英文学・比較演劇
下館 和巳 先生

(しもだて・かずみ)1955年宮城県生まれ。国際基督教大学教養学部在学中に英国エクセター大学に留学し、1979年に卒業。同大学院博士後期課程比較文化研究科中退。1985年より東北学院大学に勤務し、教養部助手、講師、教養学部助教授を経て、1997年より現職。1992年、2002年に英国ケンブリッジ大学客員研究員。2002年に英国ロンドン・グローブ座ダイレクティング・フェロー。劇団「シェイクスピア・カンパニー」主宰・脚本・演出。著書に『東北のジュリエット~シェイクスピアの名せりふ』『東北シェイクスピア脚本集(全5巻)』など。

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