東北学院大学 教養学部 教授
専攻=交通心理学
専攻=交通心理学
「安全意識の高い人」も事故を起こす
心理学の中にもいろいろあって、私が研究しているのは交通心理学という学問です。あるいは一般の方にはなじみが薄いかもしれません。
昨年は交通事故による死亡者が、昭和28年(1953)以来54年ぶりに5千人台まで減少しました。平成7年(1995)までは8年連続で1万人を超えていましたから、10年あまりで半分ほどになったわけです。私は学生たちと一緒に、こうした統計や自分たちで調査した結果をもとに「なぜ人は事故を起こしてしまうのか」「事故を減らすためには何が効果的なのか」を追究しています。人が語る言葉ではなく数字から人の心を探るわけですが、実は数字は、行動の兆候を示す統計や行動を何らかの形で数値化したものだと言うことができるのです。
たとえばシートベルトは安全意識の象徴とされることが多いのですが、「シートベルトをつける運転者ほど、左折するとき自転車やバイクを巻き込まないよう安全確認をする」と言うことはできるでしょうか。私は学生たちと共に、交差点にかかる歩道橋の上から運転者の様子をビデオに収め、研究室に戻ってはそれを再生してシートベルトの装着と後方確認の有無をカウントしてみました。歩道橋から撮影したのは、もちろん運転者に氣付かれないようにするためです。
青信号を通過しながら左折する時、後方を確認する人は20%ほどしかいなかったのに対して、赤信号のために先頭で止まった状態から発進する時は、50%を超える人が後方確認をしていました。しかしシートベルトをつけている人とつけていない人の間には、ほとんど差は認められませんでした。シートベルトと左折時の安全確認の間には、何の関係もなかったのです。
「安全意識」という言葉は便利で、「事故を起こさないよう氣をつけよう」とか「安全意識を高めよう」という言葉をよく聞きますが、実はこうしたスローガンはほとんど効力を持たないのではないでしょうか。交通事故は、「青信号を通過する際も、左折時には必ず後方を確認する」のように、一つ一つの行動を徹底することによってのみ減らすことができるのです。
「エコで自由」な自転車に要注目
交通事故を減らすには、個々人の行動だけでなく全体の統計も見なくてはなりません。交通事故の件数は歴史的に見ると増えたり減ったりしていますが、よく見ると死者と負傷者では増減の方向が異なることもあるのです。
交通事故の統計をグラフに表してみると、日本で死者が減り始めた時期は2度あって、高度成長が終わった昭和46年(1971)からと、バブル経済が崩壊した平成5年(1993)からであることが分かります。私はこれを偶然だとは思いません。経済的な豊かさや効率性を追求するよりも、安全に価値を置く時代になったために、交通事故の件数は増えても重大な死亡事故に至る割合は減少したと考えるべきだと思うのです。
これは単なる仮説です。しかし研究は仮説を立てることから始まり、実証へと進むのはその次です。実験や調査の結果、仮説の正しさが証明される場合ばかりではありませんが、たとえ誤っていた場合もそれは無駄にはならず、次の仮説を立てるために役立てることができます。こうした積み重ねによって「知識の公共財」に貢献するのが、研究者の仕事なのです。
このように、交通事故の統計も単に数字だけを見るのではなく、その中に人の心を読み、時代や歴史を読むことが大切だと言うことができます。私が注目しているのは、今増えている自転車です。自転車が歩行者と起こす事故は少なくありませんし、歩行者が高齢者の場合は重篤な事故となります。自動車から自転車に乗り換える人は、エコロジーや健康に対する意識の高い「良き市民」に他ならないのですが、自動車を運転するときはいろいろと配慮して慎重に運転する人が、自転車に乗るときは勝手氣ままになってしまう、ということがあり得るのではないでしょうか。その自由勝手さが全体の安全を脅かすことのないよう、そして「良き市民」を罪人にしてしまわないよう、社会の設計を考えたいと思っています。
「言行不一致」だからこそ人は面白い
人の心は複雑であり、しばしば思っていることとは違う行動を取ってしまいます。これを「言行不一致」と呼んで批判することは簡単ですが、むしろ人間は本質的に「言行不一致」な存在なのではないでしょうか。車を運転する際、人はした方が良いと分かっていても安全確認をしなかったり、しない方が良いと分かっていてもスピードを出したりします。私はそうした人間という存在に、むしろ面白みを感じてこの道を歩んで来ました。
人間の心のありようを非難したりスローガンを繰り返しても事故は減りません。しかしたとえば、左折時の巻き込み事故の知識は事故を減らします。そしてこれは運転者だけではなく、自転車やバイクに乗る人、歩く人など、巻き込まれる側も持つべき知識なのです。運転免許を持つ人は、歩行者としても事故に遭いにくいことが分かっています。知識を持ったり、それをわが子に伝えることで、事故を未然に防ぐ可能性は高まるのです。
学校教育には、たいへん期待しています。小学生も4年生くらいになれば本音と建前の使い分け、つまり「言行不一致」について理解できるそうです。そこでぜひ子どもたちにも「ルールを守れば交通事故は起きないはずなのに、なぜ事故がなくならないのか」「事故を起こさないため、巻き込まれないためにはどうすれば良いのか」について考えてほしいのです。
単に交通法規を説明して「氣をつけましょう」と言うよりも、子どもたちが事故に遭う可能性はずっと低下するはずです。
大学の研究者には、市民の方に研究の成果を分かりやすく伝える義務があると思います。私は警察の関係者や自動車学校の関係者に講演をしたり、交通安全ボランティアの方々を前にお話しさせていただく機会がよくあります。そうした場では、交通心理学の原理や論理といった、大学の講義内容を分かりやすくお伝えするよう心がけています。大学や学界レベルの話は難しいはずですが、お聴きになる方々の理解力や知識には確かなものを感じています。そして私はいつも、「ぜひ『なぜだろう』と考えてみてください」とお願いしています。知識の普及、そして自ら学び、考えることが、安全の大きな推進力になるからです。
私は一般の方や高校生向けの本も書いていますので、今これをお読みの皆さんにもご一読いただければ幸いです。交通心理学は研究室に閉じこもってする学問ではありません。これからも、さまざまな形で学びを志す皆さんと出会いたいと願っています。
(取材=2008年2月29日/東北学院大学泉キャンパス4号館「工作室」にて)
研究者プロフィール
専攻=交通心理学
(よしだ・しんや)1951年宮城県仙台市生まれ。仙台第二高等学校を経て、東北大学文学部卒業。1980年、東北大学大学院を満期退学し、東北学院大学に勤務。1989年より現職。1990年、国際交通安全学会論文賞受賞。