研究者インタビュー

地域の「人と資源」で挑む地球温暖化問題

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日本の伝統的自然観を研究に活かす

 環境社会学は、1970年代半ばに米国で提唱されて始まった学問ですが、この分野で日本は今世界をリードしている国の一つです。それには理由があります。
 69年にアポロ11号が月面着陸に成功したとき、不毛な天体である月に比べて地球が恵まれた星であることに、多くの人々が氣付かされました。「宇宙船地球号」という言葉が実感を持って語られるようになり、翌70年には地球環境について考える「アースデイ」の初めての大規模なイベントが開催されます。さらに72年にストックホルムで「国連人間環境会議」が開かれ、73年にオイルショックが世界を襲うと、環境問題は一部の人や地域だけのものではない人類全体にとって重要な問題なのだという認識が広まりました。
 一方、日本は50年代後半から70年代にかけての高度経済成長期に、深刻な公害問題を経験します。その克服の過程で、社会学や経済学といったそれまで人間社会のみを対象としてきた学問も、人間が生きる環境を含めて考察する方向へと舵を切りました。先駆者である飯島伸子先生(故人)は68年に水俣病を題材とする修士論文を書かれましたが、これは公害を取り上げた世界初の社会学的研究だったと言えるでしょう。
 日本で環境社会学会が設立されたのは92年ですが、実はそれ以前に公害研究の長い歴史があったのです。環境問題への関心の高まりとともに学会の会員数は増加し、現在では約700名、世界的に見ても最大の規模となっています。
 滋賀県知事の嘉田由紀子さんは、長く琵琶湖の研究に携わってきた環境社会学者でもあります。彼女は琵琶湖と人間の関わりあいの歴史を調べ、上下水道が整備されて以後、水質汚染がむしろ急速に進んだことを明らかにしました。琵琶湖に注ぐ川の水を取って使っていた時代の方が人々は水の汚れに敏感で、上流と下流に暮らす人々の間で互いを思い合う氣風があったのです。
 また、日本人には昔から排泄物を肥料として用いる知恵と技術がありました。当時世界一の人口を養っていた江戸の町が清潔に保たれていたのは、近郊の農地との間でリサイクルが機能していたからです。人間と自然をはっきりと区別する欧米の世界観とは違って、日本の伝統的な世界観は自然との共生を当然のこととして、環境的制約の中で生きることを受け入れてきました。日本の環境社会学研究が大きな成果を上げてきたのは、以上のような歴史と無関係ではないのです。

「正しく争う」ことが住みよい社会をつくる

 私自身は、80年代に新幹線の騒音公害・建設問題に取り組むことでこの分野を専門とするようになりました。調査を進めるうちに、騒音問題は技術的問題である以上に、社会問題であるという思いを強くしました。国鉄側が官僚的であることによって紛争がこじれるケースが多かったのです。
 当時の国鉄は「建設予定地をあらかじめ知らせると土地の買い占めが起こるから」などの理由で、情報を出そうとしませんでした。騒音対策も不充分でした。これに反発した住民側が、ヨーロッパで一般的になりつつあった環境評価(アセスメント)の知識を得るなどして対抗し、互いに不信感を募らせたまま交渉していたのです。
 双方が次第に互いの主張に耳を傾けるようになった結果、東北・上越新幹線は対策が前進し、東海道新幹線よりはるかに振動や騒音が小さくなりました。建設に時間と費用はかかりましたが、高架の柱は太くて地中でつながっていますし、鉄橋もより頑丈に作られています。「ルールに従って正しく争う」ことで多くの問題が解決し、その経験が次に活かされるということを、私自身も体験的に学ぶことができました。「正しく争える社会こそが成熟した社会」という考え方は、日本でも次第に認められつつあるように思います。
 今、市民には住民投票や株主代表訴訟といった権利の行使の方法があります。社会的な活動に取り組む団体が法人格を持てるNPO法人(特定非営利活動法人)の制度もできました。国内外の情報の入手も容易になり、市民は問題が起こってから立ち上がるのではなく、問題を未然に防いだり、自ら政策を提言したりできる存在になったのです。
 さらには、環境に配慮した事業を新たに起こすこともできます。2001年に始まった「生活クラブ生協・北海道」を母体とする風力発電事業は、その典型的な例です。原子力発電に疑問を抱く人々などが、寄付ではなく出資という形で1億5000万円もの資金を集めて始めました。「市民風車」と呼ばれるこの活動は、実は私の提案をきっかけとして生まれたものです。宮城県では風の強い場所が少ないために実現できていませんが、研究者と市民とが力を合わせて作り上げたビジネスモデルとして、今後さらに広がる可能性があると思っています。

地域での学び、そして行動へ

 雪道用のタイヤが道路を削る宮城県のスパイクタイヤ粉塵問題は、市民的な運動の広がりで公害問題を解決できた数少ない例です。1985年、全国に先駆けて「宮城県スパイクタイヤ対策条例」が公布されたことは、もっと誇って良いと思います。
 しかしスパイクタイヤ問題が、問題も成果も目に見えやすかったのに対して、今大きな話題になっている地球温暖化問題は、危機的状況も、行動による成果も「目に見えにくい問題」です。私は「ストップ温暖化センターみやぎ」のセンター長を務めていますが、この問題の解決のためには、個々の地域での取り組みも重要であると考えています。
 特に農村部は、都市部に比べて温暖化問題との関わりを実感しやすいのではないでしょうか。氣候の変動によって、作物の商品価値が激しく変動したり、新たな病害虫の被害が発生したりすることがあります。しかも地域の森を守ることも、地球温暖化を止めることにつながります。農村の人々が、自然保護や環境保全に積極的に取り組むことで、都市住民に対して「時代の先進地」をアピールすることができる時代になったのです。
 塩竈の港湾地域には多くの水産加工場があります。
かまぼこを作るのに使った廃食油は、かつてはお金を払って業者に引き取ってもらっていました。しかし今では「塩釜市団地水産加工業協同組合」が自ら回収し、自動車用の燃料に再生して使っています。この取り組みは宮城県知事賞に輝くとともに、昨年度の「ストップ温暖化『一村一品』大作戦」の全国大会でバイオマス賞を獲得し、大きな反響を呼びました。
 「ストップ温暖化センターみやぎ」では、県の指定をうけて市民有志を募って地球温暖化防止活動のための推進員を養成しています。研修の内容は本格的です。現在は県内でおよそ90名の推進員が活躍していますが、メンバーは50代後半から60代前半の男性が多く、エネルギーや電機関係の仕事の方が目立ちます。熱心に学び、子どもたちや地域の人々に正しい知識を伝えることにやりがいを感じてくださっている姿は頼もしい限りです。
 社会人経験、子育て経験を持つ方々が再び学び、得た知識を社会貢献活動に活かしていくというのは素晴らしいことだと思います。私たちのセンターの活動にとどまらず、地域に学びの場が広がり、学ぶ人が増え、さらにはそれが行動の変化に結びついていくことを強く願っています。

(取材=2008年5月27日/東北大学文科系合同研究棟201号室にて)

研究者プロフィール

東北大学大学院文学研究科教授 専攻・環境社会学
長谷川 公一 先生

(はせがわ・こういち) 1954年山形県生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東北大学教養部助教授などを経て現職。
社会学博士。環境社会学会会長。財団法人MELON(みやぎ・環境とくらし・ネットワーク)理事長。

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