研究者インタビュー

“からだ”が秘めている豊かな可能性

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未来の教師に“からだ”の存在を氣づかせる

 宮城教育大学は教員養成大学です。私は1年生を対象とした体育の授業で体操を担当していますが、その内容は学生たちが思い描いている体操とは全く違います。

 まず1分間、自分の呼吸の回数を数えてみます。呼吸の速さは人それぞれです。胸で呼吸している人もいれば、腹式呼吸をしている人もいます。自分がどんな呼吸をしているのかを確かめ、それを手がかりに自分自身のからだと向き合うことが、私の授業の第一歩です。

 次に二人組になり、互いのからだに触れ、呼吸の様子を確かめ合います。そして、互いに背中で押し合ったり、相手のからだに手を添えてストレッチ運動を助けたり…。他者のからだに触れる機会がほとんどない学生たちは、最初は戸惑いますが、徐々にコミュニケーションが取れるようになっていきます。やがて、受験勉強に疲れて固まっていたからだが少しずつほぐれていきます。体育の授業で氣持ちが良いからだの状態を味わうことは、学生たちにとって新鮮な体験なのです。また、二人で背中を合わせて背中でYes、Noを表現してみると、意外に伝わるものです。ある姿勢を取ったり、身を固くしたり緩めたりすることでお互いの背中を通してメッセージを伝えることができるのです。このように、人はからだで表現したりそれを読み取ったりすることができるのです。

 普段はほぼ100%外に向けられている意識を、内、つまり自分のからだやその動きに向けると、実に様々な発見があります。自分の“からだ”という存在にあらためて氣づき、頭や言葉ではなくからだを通して他者や外の世界と関われるようになること。これを私は“日常のからだ”から“感じるからだ”“表現のからだ”へ、と呼んでいます。

 身体表現やダンスの授業もありますが、決まった振り付けを教えるのではありません。最初はみんなでキャンパスを囲む青葉山の林の中へ入って行き、裸足になり、目を閉じます。普段の私たちは圧倒的な割合で視覚から情報を得ていますから、足の裏で感じる土や木の葉の感触、そして林に満ちている音、においなどは実に新鮮です。あるいは林の中で、新聞紙を広げた上に仰向けになって、いつもとは異なる角度から木々を見上げてみたりもします。抑え続け、枯れてしまっていた感覚が甦りからだが覚醒されていきます。こうしたみる、きく、触れるなどの多様な体験の後で、例えば「木になって風に吹かれる」といった動きを試み、それをダンスへと発展させていくのです。

 豊かな表現は、感覚の覚醒と解放、そしてからだと心の解放から生まれます。これは身体表現に限りません。たとえば俳句をよむのに、机に向かって指で数えながら言葉をひねり出す前に、自然を感じなければならないことは誰にでも分かるでしょう。感覚のアンテナを伸ばして世界を受け入れなければ、いきいきした想像や創造はできないのです。

“からだ”で感じ、表現することの喜び

 私は、大学を卒業した後1年間、ドイツで子どもの体育について学び、帰国後は千葉にある幼稚園で3年間指導し、その後1980年から85年まで再びドイツのケルン体育大学に留学して、体操や身体表現を学びました。

 その過程で即興舞踊に出会いました。即興舞踊と聞いてもイメージしにくい方も多いでしょう。いわゆる「振り付け」はありませんので、事前に決められた振りの「練習」をすることもありません。その時にその場で感じ取ったものを、からだで表現するのです。舞台での演奏も即興でおこなわれます。踊り手と奏者はどちらが主とか先とかという関係ではなく、互いを感じ合いながら一つの世界を創り上げていきます。

 私は屋外、特に自然の中で踊ることが好きです。その場所や時刻、天候、あるいは集まってくださった方々の雰囲氣など刻一刻と変化する空間に身をゆだね、からだの声に耳を傾けながら踊ります。以前におこなった福島県会津地方の三島町でのパフォーマンスでは、大きな桜の洞(うろ)の中で、木に抱かれるようにしてはじまりの時を待ちました。風が鳴らす鈴の音や打楽器の音に誘われ、揺れ動く梢や激しく吹く風と呼応して夢中で踊りました。稲妻が夜空に光るすばらしい自然の舞台で踊れたことに、感謝を捧げる氣持ちに満たされました。私は、周りの世界と深く関わっていくことで、自分の意図を超えて無心で踊る“自然のからだ”でありたいと願っています。

 即興は、あらかじめ決められた通りに踊ったり演奏したりするのに比べて、「難しい」とか「特別」だと感じるかもしれません。しかし実は私たちは、毎日を「即興的」に生きています。予定や計画は立てても、あらかじめ練習した通りに、からだを動かしたり言葉を発したりする人はいません。人間にとっては、その時の状況や“場”の空氣に応じる言動の方がむしろ「自然」なのではないでしょうか。

 感覚を覚醒させ、解放することができれば、自然に動き表現することができます。これは、普段のコミュニケーションでも同様です。感じ取ることの質を高めることが、豊かな表現やコミュニケーションへとつながっていくのだと思います。表現やコミュニケーションというアウトプットのために、インプットを大切にしなければならないのです。

“からだ”のワークで健康と日々の活性化を

 人は誰でも、自分ならではの感じ方、表現、コミュニケーションが可能です。私の授業はそれを促すためのもので、授業やワークショップでは、からだや動きに関する様々なワーク(実習)に取り組みます。

 体の部分部分に焦点をあてていくワークでは、たとえば自分の背骨の位置や形を確かめながら動かしてみます。すると、やがて背骨は自然に動き出し、「語り」始めるのです。手の指の関節ならば、長く伸ばしたアルミ箔を指先に巻き付け、いろいろと動かしてみるうちに、手は自ら「語り」出します。

 私のワークは、からだが弱かったりからだのどこかが不自由な方にも取り組んでいただくことができます。「高校までの体育は全部見学だった」という学生たちも、「動かせるところはどこなのか、どのようにどこまで動くのか」などをていねいに試していくうちに、自分にとって必要な動きをみいだしたり、自分なりの表現を創り出すことができるようになるのです。教師になる人たちには、子どもたちの“知”を育てるだけではなく、一人一人の子どもの“からだ”に向き合い、からだや心の状態を感じ取れるようになってほしいと願っています。また、子どもたちにとっても、からだや動きのワークに取り組むことによって、自分のからだのすばらしさを知り、からだを大切にしようと思える「氣づきのワーク」であってほしいと願っています。

 ワークは、もちろん教師や子どもたちのためのものだけではありません。私は『からだで遊ぶからだを遊ぶ』と名付けた公開講座などで、市民の皆さんにもワークを体験していただいています。からだと心を開きお互いにつながっていくことや、常にからだが緊張した状態にある方に、リラックスしたからだの状態を知っていただくことなどを実践しています。力の抜けた状態を知ることによって、必要な際に持っている力を十分発揮することができます。1日に1度はからだを緩めてみませんか?

 ワークは、難しいことや高度なことの習得を目指しているわけではありません。しかしワークを体験することは、毎日をいきいきと過ごしたり、他者と豊かにコミュニケートする上で大きな意味があると思います。自分のからだを知って動かす喜びは、ダンスやスポーツの専門家だけのものではなく、全ての人のものであり、年齢も関係ありません。私自身も、舞踊家として「年を取ってからだが動かなくなったから引退」ということはないだろうと思っています。いつまでも、その時々のからだと向き合いながら踊り続けたいと思っています。今の時代は歌ったり踊ったりすることが特別なことになってしまっていますが、かつての人間がそうだったように、日常生活の中で、自分の感じたことを誰もが自然に表現できるようになりたいものです。

 私たちの“からだ”は、本当に豊かな可能性を秘めています。これからも学外でのワークショップやパフォーマンスにも、積極的に取り組んでいきたいと思っています。市民の皆さんと、そうした場でお会いできることを楽しみにしています。

(取材=2009年2月24日/宮城教育大学体育館・ダンス室にて)

研究者プロフィール

宮城教育大学教育学部教授
里見 まり子 先生

(さとみ・まりこ)山口県生まれ。東京教育大学卒業。幼稚園勤務、計6年間に及ぶ2度のドイツ留学などを経て、1986年より宮城教育大学にて教員養成に携わる。2007年より現職。即興舞踊家として活動を続け、公演多数。市民を対象とする講座、ワークショップ等にも力を入れている。

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