研究者インタビュー

価値ある情報を検索し提供するのが図書館の使命

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図書館学から図書館情報学へ

 図書館には、市民の皆さんにとって身近な公共図書館だけでなく、日本で発行された全ての出版物を収集する国立国会図書館や、大学図書館、専門図書館など、いろいろな種類があります。図書館と聞くと好きな本を借りて読めるところというイメージがあるかもしれませんが、歴史を遡れば、専門的な資料を収集・整理・保存して、求めに応じて提供することこそが本来の使命でした。日本の国立国会図書館は1948年に米国をモデルに開設されましたが、米国の国立図書館は、議会図書館だけでなく医学、農学の計3つがあります。

 利用者が求めている情報を提供するため、図書館員には「最適な資料」を見つけ出す力、つまり検索能力が必要です。今ではインターネットを通じて様々な情報、データベースにアクセスすることができますが、かつてはそうではありませんでした。

 医学を例にとれば、新たな治療法や実験結果は、まず論文として学術雑誌や図書として発表されます。医師や研究者の求めに応じるため、図書館は題名や研究者名、さらには何について書かれているかという「主題」を書き出し、膨大な目録を作り続けてきました。こうした高度な知識と能力を持った図書館員を養成するための学問が、図書館学だったのです。

 しかし1946年にコンピュータが登場すると、やがて目録の電子化が始まります。他の分野に先駆けて進んだのは、医学論文の検索システムでした。ワシントンにあったコンピュータを使っての技術開発の後、これを遠隔地から操作して検索できるオンライン化が実現し、さらには図書館や国によって異なっていたファイル形式の標準化が進みました。電子化によって情報検索の速さと正確さは大きく向上し、図書館学も、情報処理を扱う情報学と融合した図書館情報学へと変わってきたのです。

 今では医学に限らず、さまざまな専門分野の資料の文献目録が電子化されています。大きく見れば、自然科学から始まって、法律学などの社会科学、文学などの人文科学へと広がっていきました。目録や文献そのものが電子化され、検索できるようになったことで、時代による研究動向の変化を明らかにするといった「計量的分析」も可能になりました。また、図書館の利用のされ方を分析することで、より良いサービスの提供につなげることも可能になっています。

 今は家庭にもインターネットが普及し、誰もが自分の求める情報を検索できる時代になりました。しかしインターネット上の情報は膨大な上に玉石混淆(ぎょくせきこんこう)で、本当に欲しい情報、確かな情報を手に入れられるとは限りません。ましてや高度に専門的な情報が必要な場合は、それがインターネットで入手できるのか、無料なのか有料なのか等も確かめなければなりません。現代の図書館にはいっそう質の高いサービスが求められているのです。

資料情報の電子化に立ち会う

 私は大学卒業後、慶應義塾大学の医学分野の専門図書館である、北里記念医学図書館(のちに慶應義塾大学医学情報センター、現・慶應義塾大学信濃町メディアセンター)に勤務しました。1937年創立のこの図書館は、歴史、蔵書数、文献提供サービスの質の高さに加えて、学外の医学研究者の利用を受け入れる開放性でも知られています。

 1968年から、私は慶應義塾大学の大学院で、図書館・情報学を4年間学びました。米国からもたらされた新しい技術を使いこなす図書館員を養成する課程に、委託研究生として派遣されたのです。手書きで記入した紙のカードを使って資料を探し出す方法から、コンピュータのデータベースで検索する方法へと、日本の図書館が変わる最初の場面に立ち会いました。

 米国は1964年から医学論文目録のデータベース検索を開始していましたが、その入力作業の一部(日本の代表的な医学雑誌100誌)を北里記念医学図書館で実施していました。(このことで、1972年から協力国である日本に磁氣テープが政府間交渉で日本科学技術情報センター<現:JST>に無償提供される。現在の入力は米国で実施。)米国から帰った研究者の指導のもと、私たちは主題分析の索引方法や新しい検索方法を学びました。医学論文のデータベース入力や検索には、医学の専門知識が欠かせません。朝から夕方5時まで図書館勤務の後、6時からは専門家のレクチャーを受けて医学知識を勉強しました。

 こうして北里記念医学図書館は、それまで困難な情報探索をまずマニュアルで提供できる体制を整えました。当時は、日本の図書館として最大の約100名というスタッフを擁していて、うち10名が医師や研究者への情報探索の対応にあたりました。女性が多くを占める図書館員が、高度に専門的な要求を理解し、医学の索引誌を駆使して、的確な情報を提供することに、医師や研究者を大いに驚かせたものです。そして、いずれは日本でも米国と同じようにオンライン検索で、より早く、より的確な情報検索ができることを待ち望んでいました。

 私自身は1974年、新設の防衛医科大学校に移り、これまで学んだ知識を基に、1978年我が国初の公衆電話回線によるオンライン情報検索を実施しました。米国で、通信環境が整って医療業界向けのオンラインサービスが始まったのは1971年です。日本にも76年に導入されましたが、当時は専用回線の使用料が月額70万円もしました。78年に電電公社、今のNTTが公衆回線をデータ通信用に開放したことで、電話線を通じたデータベースへのアクセスが可能になります。受話器をセットする端末を使い、電話代とデータベース利用料を氣にしながらでしたが、日本でもようやくオンラインでの情報検索が普及し始めたのです。

 1980年から宮城学院女子大学で図書館司書の養成に携わることになった私は、82年、端末を導入して学生に情報検索を学ばせました。83年には「国文学研究資料館」の国文学論文目録データベースにアクセスしてオンラインによる文献の情報検索を行いましたが、これは人文科学分野における日本で初めての例です。

市民の学びと図書館サービス

 資料のデータベース化は、専門的な研究論文から、やがて一般図書や新聞記事にまで広がりました。オンライン化は国境を越え、今ではインターネットで世界中が結ばれています。学術雑誌はデジタル化が進み、論文は図書館で印刷物を探すのではなく、研究室のパソコンで検索して入手するものになりました。

 論文以外でも、文書のデータベース化が急速に進んでいます。今でもデジタル化されていないものや、インターネットで存在が確認できても、入手できなかったり利用料が必要な資料もまだまだたくさんあります。しかし技術の進歩によって、情報へのアクセスがたいへん容易になったことは間違いありません。

 公共図書館は、資料の貸出、児童サービス、郷土に関する質問への回答や資料の提供などの役割を果たしてきました。これからは健康や医療、生涯学習、ビジネス、行政、法律などについて、有益な情報が提供できるよう努めなければなりません。そのためには司書を十分に配置する必要がありますし、司書もまた自己研鑽に励む必要があります。

 市民の皆さんには、図書館についてもっと知っていただいて、積極的に活用していただきたいと願っています。公共図書館には本以外にも様々な印刷資料、視聴覚資料、電子資料がありますし、ネットワーク化によって、その図書館にない資料も県内の他館から取り寄せて貸し出すことができるようになっています。県内に無ければ、国立国会図書館から取り寄せて無料で閲覧したり、これは有料ですが、雑誌記事のコピーを入手することもできます。判断や行動に自己責任が求められる時代にあって、図書館は問題の解決が一ヶ所で期待できる「ワンストップサービス」の、頼れる機関だと言うことができます。

 図書館サービスの最終目標は、利用者個人を援助するレファレンスサービスであり、図書館員の仕事は、資料を駆使して最も的確で、信頼できる正確な情報を提供することです。加えて、専門の情報機関や専門家を紹介したり、データベースを使って、過去・現在の新聞記事や雑誌記事を探し出したりすることもできます。来館が困難であれば、相談は電子メールや電話・FAXでも可能です。

 学びに志しておられる市民の皆さん、公共図書館は市民の税金で運営されています。遠慮することなく大いに質問し、利用していただきたいと思います。

(取材=2009年8月27日/宮城学院女子大学・人文館3階東会議室にて)

研究者プロフィール

宮城学院女子大学学芸学部日本文学科教授
図書館情報学
澤井 清 先生

(さわい・きよし)1942年北海道生まれ。学習院大学法学部卒業。慶應義塾大学文学研究科図書館・情報学専攻修士課程修了。慶應義塾大学医学情報センター、防衛医科大学校図書館勤務を経て、宮城学院女子大学へ。1987年より現職。専攻は図書館情報学。1979年、三田図書館情報学会賞受賞。

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