研究者インタビュー

文系・理系の垣根を越えて学び続けるために

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科学について考える三つの学問分野

 「科学的なものの見方」とか「科学的な考え方」とはどのようなものでしょうか。このように「科学的であること」の意味について考える学問が、私の専門である科学哲学です。

 私たち現代人は合理的にものを考えますし、ものごとに実証的な裏付けを求めます。この二つが、科学を成り立たせている柱といえます。

 「合理的である」ことの核にあるのは、論理的な推論です。これは古代ギリシャに端を発していて、ユークリッドの幾何学やアリストテレスの論理学が出発点になっています。もう一つの「実証的な裏付け」は、アラビアの錬金術や医学に由来しています。成功はしませんでしたが、鉄や銅から金を作ろうとして、実際にああでもないこうでもないと実験を試みたのです。錬金術を英語ではアルケミーと言いますが、これはアラビア語に由来しています。この「アル(al)」は英語の「the」にあたる定冠詞で、科学用語にはアルコール、アルカリ、アルゴリズム、アルジェブラなどアルで始まる言葉が多いのですが、これらは皆アラビア語を語源としています。

 ギリシャから来た合理性と、アラビアから来た実験技術を基礎にした実証性がヨーロッパで合流して、近代科学が成立しました。宗教や迷信が否定されたわけです。しかし現代でも盛んに星占いや初詣が行われているのを見れば分かる通り、私たちは迷信から完全に自由になったわけではありません。人間は近代化、合理化、科学化だけでは割り切れない存在ですし、もし割り切れてしまったら、人生は面白くなくなってしまうでしょう(笑)。

 科学哲学では、科学の理論構造や理論転換の要因、科学の方法論などについても考察します。科学理論はどのようなプロセスを経て形成されるのか、ニュートン力学からアインシュタインの相対論へと理論が大きく転換したとき、それはどのような要因で起こったのか、などの問題を扱う学問分野です。

 より広い意味で「科学について考える」場合には、科学論(サイエンス・スタディーズ)という言葉が使われます。科学史、科学哲学、科学社会学という三つの学問分野によるアプローチがありますが、科学史とはその名の通り科学の歴史です。たとえば、コペルニクスの地動説がどのようにガリレオに引き継がれ、さらにケプラーによる楕円軌道の法則に結びついたのか、あるいはニュートンはいかにして万有引力の法則を発見したのか、といった歴史的な展開を研究します。

 科学社会学は、科学と社会のかかわり合いを解明する学問です。比較的新しい研究分野で、現在ではSTS(科学技術社会論)という略称がよく使われます。科学者のエートス(社会の中での行動パターン)や、科学理論がどのように社会に受け入れられて行くのか、科学理論によって生み出された成果が技術的に応用されて社会にどのような影響を及ぼすのか、といった問題が研究の対象です。

科学というモンスターをコントロールするには

 科学の進歩について、市民の皆さんは期待と不安の両方をお持ちではないでしょうか。先端的な医療技術や遺伝子組み換え技術などが大きく発展する一方、実際の治療現場や食品生産への応用については議論が続いています。新しい科学技術には、メリットとともに必ず社会的リスクが伴います。しかも、かつては実験室で開発された技術が市場に出回るまで時間がかかりましたが、今ではすぐに実用化されたり商品化され、ゆっくり議論する余裕がありません。

 20世紀の初めまでは、科学者個人の好奇心や探究心が、科学の進歩の原動力でした。アインシュタインやキュリー夫人の時代です。しかし20世紀半ばからは軍事や産業と結びついたプロジェクト達成型の研究が主流になり、科学者の組織化や実験装置の大型化が進みました。大規模化と高度化によって、科学は市民(素人)にとって理解が難しいものになっています。

 この問題は、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げて1970年に大阪で万国博覧会が開催された頃までは、市民の意識に上ることはほとんどありませんでした。しかし実は、その時点でも公害問題やエネルギー問題が起こっていたのです。その後も産業技術、医療技術の進歩で、私たちの暮らしはさらに快適で便利なものになりました。しかし、環境問題を挙げるまでもなく、いまや「適性規模の快適さ」や「等身大の便利さ」について考えるべき時代になっています。

 市民は、科学について考えることを専門家だけに任せることはできません。科学技術が政治・経済と密接に結びついている現代では、市民が自分たちの責任で科学をコントロールしなければならない時代に入っています。また、専門分野が細分化されすぎて、科学者も全体を把握できなくなっているという問題もあります。科学について考え、発言するためには知識が必要です。読み書き能力のことをリテラシーと言いますが、市民には今「科学リテラシー」が求められています。

 もちろん科学者の方も、社会の中で研究をしている以上、社会が何を求めているのかを知らなければなりません。社会制度や文化的背景を学び「社会文化リテラシー」を身につける必要がありますし、市民に対する説明責任もあります。市民と科学者の間のコミュニケーションがうまく機能することでしか、科学というモンスターを適切にコントロールすることはできません。

 哲学の本質は、哲学の歴史や哲学者の思想内容について学ぶことではありません。ものごとを根本から、またいろいろな角度から考えることが哲学です。科学を「哲学する」ことは誰にでも可能ですし、むしろ現代は、それが必要とされている時代だと言うことができます。

大学を活用して学び続けていただきたい

 私が科学に関心を持ったのは中学時代です。ジョージ・ガモフという物理学者が青少年向けに書いた『1,2,3…無限大』という本がたいへん面白くて、高校にかけてガモフの全集を読みました。その影響から「宇宙の果て」や「時間の始まり」について学ぼうと大学は物理学科を選んだのですが、実際の物理学では手足を動かして実験することが重要な部分を占めています。そこではじめて「自分がやりたかったのは哲学だった」と氣づかされ、大学院では専攻を哲学に変えました。

 自然科学と違って、哲学でははっきりと結論が出て終るということはありません。論文を書いた後でも、「本当にこれで良かったのか」「他の考え方もあるのでは」と考え込んでしまいます。また、それが哲学の魅力だと言うこともできるでしょう。

 日本の教育では、高校で早々に文系と理系が分かれてしまいます。しかし、今日では人文・社会科学も自然科学の知識なしには成り立ちませんし、先ほど述べたように、自然科学の研究者にも人文・社会系の知識が必要です。東北大学では昨年度から、文科系の学生を対象にした「自然科学総合実験」という授業を始めました。自分で実際に実験をしながら科学の本質を学んでもらおうという内容で、今年は70~80人が履修している人氣科目です。

 また、日本では18歳で大学に入学して4年で卒業するのが標準とされていますが、米国では社会人を経験してから入学することが普通に行われています。最近では日本でも多くの社会人が大学や大学院で学ぶようになり、かつてに比べ、市民が学び続ける環境は整ってきました。

 大学も、公開講座や出前授業の開催などに積極的です。東北大学では自然科学系の「サイエンス・カフェ」に加え、昨年からは人文・社会科学系の「リベラルアーツ・サロン」を始めました。いずれも研究者の話を一方的に聞くだけでなく、いくつかのテーブルに分かれて座った市民の方々に大学院生が加わって討論する双方向のスタイルをとっています。また、私は現在大学の附属図書館長を務めていますが、ご登録いただければ閲覧はもちろん、資料の貸し出しも可能なことをご存じでしょうか。お仕事を退かれた方や、子育てを終えられた方々に、もっと大学を活用していただきたいと思います。きっと、人生を豊かにするきっかけになるはずです。

 私たちは学ぶことで、使うことのできるボキャブラリー(語彙)が増え、より深く考えたり、一面的でないさまざまな角度から考えたりすることができるようになります。ご自分の興味のあることから学び始めれば勉強は面白いものですし、効果も上がるはずです。ご自身に合った入り口を、ぜひ見つけていただきたいと思っています。

 (取材=2010年5月11日/東北大学附属図書館・館長室にて)

研究者プロフィール

東北大学大学院文学研究科・文学部教授

科学哲学
野家 啓一 先生

(のえ・けいいち)1949年宮城県生まれ。東北大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院科学史・科学基礎論博士課程中退。理学修士。南山大学専任講師、プリンストン大学客員研究員などを経て、1991年より現職。2008年より東北大学理事、附属図書館長。専攻は科学哲学。

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