研究者インタビュー

体を動かす時間を減らして勉強に回すのは誤りです

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宮城教育大学 教育学部 教授
専攻=運動生理学
前田 順一 先生

「体を動かすとどうなる?」を科学する運動生理学

 私たち生き物が体を動かすとはどういうことか。体を動かすとどうなるのか。こうした問題を研究するのが運動生理学です。生理学は生命の仕組みや法則を研究する学問です。その中の運動生理学は生物の動きの全てが対象ですが、スポーツ生理学は、さらに目的を「どうすれば試合に勝てるか」「どうすれば記録を伸ばせるか」などに絞って行う研究だと言うことができます。

 私が初めて運動生理学に興味を持ったのは、大学1年生の時です。中学・高校で陸上競技の短距離選手だった私は、タイムを縮めるため、先輩の練習を真似するなどして試行錯誤を繰り返していました。ところが大学で「運動生理学」の講義を受けたことで「こうした合理的な方法をトレーニングに取り入れればうまくいくのでは」と考えたのです。

 実際には効果覿面(てきめん)というわけにはいきませんでしたが、科学的な計測・分析に基づいて体の動きをより良いものにしようとする研究が興味深く、卒業後も大学院で勉強を続けることにしました。

 大学院で取り組んだのが、「スピードの持久力」についての研究です。たとえば100m走でも、ほとんどの場合は後半にスピードが落ちます。このスピードを維持する方法を、体の仕組みや法則から明らかにしようというわけです。私自身が長距離にも挑戦するようになったことと、大学院の指導教官が第1回全国高等学校駅伝競走大会へ出場した経験もあったことから、マラソンなどの長距離種目でスピードを保つ方法が、主な研究課題でした。ちなみにフルマラソンの42.195 kmを2時間20分で走るためには、スタートからゴールまで、100 mあたりおよそ20秒のペースを維持しなければなりません。

 人間の体では、車のエンジンにあたるものは筋肉です。普通の人は持久力向きの筋肉と、瞬発力向きの筋肉が半々くらいなのですが、世界上位の長距離選手は持久力向きの筋肉の割合が8割にも達し、短距離ではその逆になっています。持って生まれた筋肉の質で、向き不向きが決まっているのです。

 一方で心臓は、トレーニングによって性能を高めることができます。生まれつきもありますが、普通の人の2倍くらいまで心臓を大きくすることができます。普通の人の心臓が1分間に送り出す血液の量は5ℓほどで、1,000mを全力で走ると20ℓほどに増えます。ところがマラソン選手は心臓の大きさが2倍ありますから、安静時には心拍数が普通の人のほぼ半分にとどまりますし、1,000 mを全力で走るときには毎分40ℓもの血液を送り出すことができるのです。

「行動体力」より「防衛体力」に注目してほしい

 血液は体中に酸素を運びます。そして人の体は、巧みなコントロールで、酸素を必要としている臓器へと優先的に血液を供給します。これを運動時の「血流再配分」と言い、私はラットを使ってその仕組みを解明したり、効率的な練習のあり方についての研究をしたりしてきました。スポーツの世界では、金メダルを争うレベルになると、科学的には説明し尽くせない再現性のない「芸術的な現象」が起こると言わざるを得ません。しかし多くの競技者や、スポーツをしていない人々にとっては、再現性のある運動生理学の研究成果をトレーニングや日常生活に活かすことには、大きな意味があると思います。

 成人後に、トレーニングで心臓を大きくしたりすることは難しくなります。しかし中年以降でも、科学的な裏付けのある効果的な運動によって、体脂肪を減らしたり持久力を向上させたりすることはできます。心臓病や高血圧といった生活習慣病を予防し、健康で長生きするための運動です。日本人の死因の3分の1は脳卒中など心臓・血管系の疾患ですが、体力を維持、向上させることでこうした病氣にかかりにくくなることができます。体力には個人差がありますから、目標を定めて適切な運動をするためには、まず自分の体力を知ることから始めなければなりません。ところが体力測定と聞いただけで、「子どものころ比べられて恥ずかしい思いをしたから」などの理由で強い抵抗を感じる方が意外に多いのです。

 そもそも体力には「行動体力」と「防衛体力」の二つがあることが、一般の方にはほとんど理解されていません。「行動体力」は、筋力、持久力、柔軟性などの、いわば競技能力です。これに対して「防衛体力」は「健康に関連した体力」と呼ばれることもあり、各種のストレスに対抗できる能力です。現代の体力測定は、こちらの体力にも注目して行われています。

 今の子どもたちは学校で、ただ長い距離を走るのではなく、決められた距離を一定のタイム内に何回走ることができるかというシャトルランをすることが多いのですが、これは、「防衛体力」の観点から持久力を確かめるのに適しているからです。

 また体力測定の中でも、握力は子どもから高齢者まで無理なく測れますから、生涯にわたって自分の体力を管理するための指標に最適です。健康づくりのため、市民の皆さんにはもっとご自分やご家族の体力に関心を持っていただきたいと思います。

「運動」と「勉強」のいい関係へ

 私が今、特に注目し、また憂慮しているのが子どもの体力の低下問題です。1964年と2009年の、宮城県の中1男子と高3男子の平均値を比べてみましょう。身長・体重ともに2009年の方が大きく上回っていて、体格はぐっと良くなりました。ところが1,500 mの持久走のタイムは、中1男子が6分34秒から7分26秒へと1分近く、高3男子が5分59秒から6分30秒へと30秒以上低下しています。今の18歳は、45年前の13歳程度の持久力しかないのです。

 先ほど体格が良くなったと言いましたが、身長が伸びたのはともかく、体重が増えたのは筋肉ではなく脂肪がついた疑いが濃厚です。問題は食事でしょうか? 実は食事を調べると、その内容はさておき、私たちのエネルギー摂取量は1970年代の半ばをピークに、ゆるやかに低下してきています。こうなると運動量が少なくなったことで、エネルギーが消費されず、脂肪をため込みすぎている可能性が高くなります。体が大きく重くなったのに比べて体力が下がっているため、持久走のタイムなどが落ちてしまったのです。

 今の子どもたちの生活を見ると、外で遊んだり遠くまで歩いたりすることが減り、家の中で過ごしたり家族の運転する車で出かけることが多くなっています。もっとも深刻なのが受験を控えた高3、中3、そして最近では小6の子どもたちです。勉強時間を確保するためや安全のため、家族が学校や塾に車で送迎することが珍しくありません。

 グラフは47都道府県の、体力順位と学力順位の相関関係を示したものです。秋田など体力で上位の県の子どもは学力でも上位につけ、宮城など体力で下位の県の子どもは学力でも下位
になっています。体を動かす時間を減らし、勉強に回して成績を上げようという発想は誤っています。本当は体を動かす方が、勉強の能率が上がり、身に付きやすくなるのです。



 私は宮城県教育委員会・仙台市教育委員会・宮城教育大学の三者による「みやぎの子どもの体力・運動能力充実合同会議」のメンバーです。この会議は、宮城県と仙台市が子どもの現状に強い危機感を持ったことから7年前に発足させました。宮城では、かつて体力測定は一部の小中高生だけを対象に行っていましたが、現在では全員に行っています。そして自分の測定結果の記録を、学校が変わっても持ち続けるようになりました。これによって本人や家族がもっと体力に注目してくれるようになることを強く願っています。

 週に1回まとめて運動するよりも、毎日少しずつ運動する方が「防衛体力」向上のためにはずっと効果的です。もちろんこれは子どもに限りません。スポーツを楽しむのは良いことですが、私はむしろ日常的に、少しだけ長く歩いたり、エレベーターやエスカレーターを使わずに階段の昇り降りをしたりすることをお勧めします。これは「便利さ」を追求してきた文明の時代、意識的に「不便さ」を選ぶということですが、自分の身体のことを考えるならば、とても大事なことと言えるでしょう。

 (取材=2010年8月4日/宮城教育大学3号館1階・前田研究室にて)

研究者プロフィール

宮城教育大学 教育学部 教授
専攻=運動生理学
前田 順一 先生

(まえだ・じゅんいち)1957年宮崎県生まれ。宮崎大学教育学部卒業。筑波大学大学院修士課程修了(体育研究科)。体育学修士。筑波大学体育科学系助手、宮城教育大学助教授を経て、2005年より現職。

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